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アマノジャクはこう考える

原稿その3

(2)今野日出晴による加藤公明実践批判
 加藤公明氏は千葉県の高校教師であり「絵画資料等を用いた討論授業」で有名な実践家である。「加曽利の犬の授業」など耳にしたことがある人も多いかと思われる。筆者は中学・高校の別はあるが、加藤のような討論授業をしてみたいといつも考えていた。いや今でも考えている。その加藤実践を今野日出晴は「歴史学と歴史教育の構図」の中で厳しく批判している。批判の論点はいくつかある。まずひとつめは加藤が「講義式授業の否定」を強調していところにある。加藤曰く「最新の学問成果を踏まえた科学的な歴史像であっても、教師という権威からの教え込みによって身に付くものではない。」そして、主張された新しい授業は「生徒に歴史認識の主体性を回復させ、自ら歴史を探究し、真実を明らかにしていく。討論を通じて互いの認識をより科学的に発展させてゆけるような授業」とする。「これこそが歴史教育再生の道」と説く。なるほど、「知識注入」でない「討論による授業」の提唱には反論の余地はないように思われる。が、今野は基本的な疑問を投げかける。「(はたして)従来の歴史教育は生徒の認識能力や思考力の養成を軽視し、歴史学の成果を如何に生徒に伝達するかという観点からのみ実践されてきたのではない。」そこで著名な近代史研究者遠山茂樹の言葉を引用する。「歴史教育の目的ー小学校から大学にいたるまで原則は同じーは、教科書執筆者や教員の歴史観を生徒・学生に教え込むことにあるのではなく(それはできることでもないし、思想の自由の尊重からすべきではないという意味で)、将来学生・生徒が各自に科学的な歴史観を自主的に形成できるよう、その土台としての基礎的な知識の学習と基礎的な思考の力の訓練を行うことである。」そのような理論的地平で行われてきた歴史教育に対し、「従来のような、歴史学の成果をやさしく生徒に解説して理解させるのが歴史教育だといったとらえ方が今日の歴史教育の危機を深刻化させている。」と加藤が断罪していることに抗議する。そして、今野は最大の問題として「何か、歴史学の研究成果を大事にしようと言ったとたんに、それを講義によって注入し教え込むという連動がなされ、古いタイプの教え込み主義者として、生徒の主体的な学習を疎外させるようなイメージがつくりあげられる。」ことを挙げている。筆者が思うところ、今野の言いたいところは「レッテル貼り」への抗議と「バランスが大切なのではないか」ということである。今野は苅谷剛彦の次の言葉も引用する。「日本の小学校の教育を「教師が一方的に子ども達に教え込む指導」とみなし、より一層子ども中心主義を求めた教育改革は、それまでの適切なバランスを崩す方向に教育を変えてしまった可能性がある。」そこには、加藤の実践が流行となりそれをマニュアル化してしまう「亜流」の普及への警戒であるように思える。この本の他の章では「法則化運動」や「新しい歴史教科書をつくる会」への批判も行われるが、共通するのは「マニュアル実践」流行への危惧である。また、今野は加藤の実践は「生徒の認識能力の向上」に力点がありすぎてこれまで重要な問題として追究されてきた「歴史像の構成」を軽視しているとみる。また、当初「民衆の立場」を重視していた加藤が「歴史をどの立場からみて評価するか。それは基本的に生徒それぞれが決定すべきものである。だから、はじめから一つの立場に限定してしまうのではなく、いろいろな立場に立つことで、その歴史がどのように見え評価できるかを、生徒たち自身が比較できるような問題が望ましい。」と述べていることについて今野は「教師の歴史観が押しつけと把握されている以上、あれもこれもの相対主義に陥らざるをえないのであろう。民衆の立場を軽視する歴史教育が、歴史教育再生の道とは思えない。」と批判する。「相対化」しすぎることへの警告であろうか。ただ、今野も指摘している通り(筆者もそう考えるが)加藤は「教え込みから討論授業」へのパラダイムチェンジを強調するあまり、討論授業にいたる下準備つまり「討論に向けた相当の知識・理解を深める」場面を報告していない。加藤も前述の安井もそうであるが、2人とも授業方法の革新者として著名であるゆえに、その教材研究の広さ、深さが見落とされているのである。安井は筆者と同席した研究会の席上「発問研究などありえない。発問は緻密な教材研究の中から生み出されるものである。」と発言した。「最初に討論ありき」なのではなく、緻密な教材研究を経てその必然性から「発問」や「討論」が設定されるのである。加藤も、討論授業とその前段にある取り組みをきちんと示し「カリキュラムの全体像」を示すことが、その発言からの誤解を解くことにつながるのではないかと考える。1992年に雑誌「歴史地理教育」で行われた座談会において指摘された問題点「通史学習のなかで討論と講義をどう位置づけているのか。」はそういうことを言っているのだろうと考える。
 筆者は安井、加藤両氏の姿勢・方法を支持するものである。ただ、両者が優れた実践家である理由はその革新的授業方法のみにあるのではなくその「緻密な教材研究」にもあると考えているのでその双方向からの「総合的な評価」がなされることを切に願っている。
 ただし、今野の指摘もまた重要である。今野は歴史研究の出身であるが、次第に歴史教育へと傾斜していく。高校教師としての実践も豊富であり、この本の後半にある「捕虜を殺す兵士・殺さない兵士」の実践は安井、加藤両氏に通じる「子どもが主体的に学ぶ」授業であると言える。繰り返しになるが、おそらく、今野氏が最も危惧していたのは、そのパラダイムチェンジに便乗して「マニュアル化」に走る教師が増えることであったことは間違いない。 
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by yksayyys | 2009-02-26 22:46 | 社会 | Comments(0)