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アマノジャクはこう考える

原稿その5

(4)「名人芸」
 今野は、「授業実践報告」のスタイルが「S=生徒、T=教師」といった定型化されたマニュアルとなっていく傾向を批判しながら「実践記録を書かない教師が見落とされている」と述べている。いわゆる「名人芸」とも思える授業を講義式で行っている教師に光を当てるべきであるという意味に取れる。その意見の是非はおいておくとして、筆者には「名人芸」という言葉を聞いてすぐに頭に浮かぶ鹿児島の教師が2人いる。一人は、中社研の研究部長を勤めておられたK氏(当時附属中学校)である。私は、Kさんたちと「いじめを考える授業」というものに取り組んだことがある。これは「いじめによる自殺が起きている今、社会科教師に何ができるか」というU氏(当時鹿児島大学助教授)の呼びかけに応じて始まった授業研究プロジェクトであった。その授業のひとつの集大成といえる授業公開が附属中学校で行われたことがある。授業者は2人。ひとりはUさんでありもうひとりがKさんであった。この2人の授業はまさに対照的であり、この様子をSさん(現中社研事務局長)は「東西の両横綱の授業を見た気がした。」と表現した。Uさんは「誰でもどこでもできる授業」を念頭に十分に練られた構想の上で子どもの発言をうまく整理しながら「ねらい」に到達するという今野の言うところの「伝達可能な」「再現可能な」授業であった。一方、KさんはU型の授業をふまえたうえでその後「いじめを考える」という討論授業を展開した。まさに「いじめ」という命・人権問題について生徒と討論しあう「筋書きのない」そして「魂のふれあう授業」であったと言える。私は「金八先生が社会科教師だったらこんな授業をしたかもな」とも思った。ただ、「真似が出来ない」と感じた。これはKさんという個性とこれまでの経験からくる「名人芸」の授業であったと思う。あともう一人はN氏(現L中・高)である。Nさんは私の「いちど授業を見せて下さい」というお願いに快く応じて歴史の授業を見せてくれた。古代の授業で「国風文化」のところだったが、「漢字からかな」への変化を黒板にチョークでスラスラと書き、そして古代にあった「穢れ」の観念を具体的に説明されていた。指導案などというものはないが、まさに「歴史の滔々たる流れに身を置いた」ような授業であった。あれは、歴史学者としても有名なNさんならではの授業でまさにこれも「名人芸」であった。では、「名人芸」の授業は「伝達不可能」で「再現不可能」で授業研究に不向きかというとそれは違うように思う。私は、2人の授業においては「生徒」になっていた。「生徒」がKさんのような「人格」、Nさんのような「教養」に接した時にどのような感覚を持ち、どのように理解していくか、まさに「体験」したような気がしたのである。「再現」は不可能でも、いくらか「盗む」ことは可能であると思える。今野が言うように「名人芸」の授業・教師も大切にすべきである。(K、N両氏は実践記録も豊富である。)ただ、「授業記録をもとに共有財産化すべき」というやりかたに不向きなだけである。そういう場合は、私のようにぶらっと「ちょっと見せて下さい」と見にいけばいいのではないかと思う。私的に見に行った私に対しNさんは「授業研究」の時間も設けて下さった。私は、報告書の文字ではなく、頭の中の再現フィルムでいろいろ言わせてもらった。そういう形の「研究」も可能なのだと思う。
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by yksayyys | 2009-02-26 22:52 | 社会 | Comments(0)