「天皇」と「生存権」

 今年の憲法記念日の新聞・テレビで印象に残ったことは例年の「9条」問題以上に「生存権」への言及が多かったことでした。雇用や生活への不安が脅かされる今日あらためて「健康で文化的な生活を営む権利を有する」国民に、国家は何をしなければならないかを痛感させられたような気がしました。NTV特集では、派遣村の湯浅誠さんと内橋克人さんの対談がありましたが、その中で紹介された森戸辰夫と朝日訴訟の役割の大きさを痛感しました。森戸は戦前クロポトキン思想の紹介で言論弾圧を受けた人物として有名ですが、戦後は日本国憲法のGHQ草案に「生存権」条項を加えさせた人物として有名です。ほとんど孤軍奮闘で「生存権」の重要性を訴えた森戸の働きはもっと見直されていいのかも知れません。あと、朝日訴訟ですね。最高裁で「健康で文化的な最低限度の生活」の判断は、「厚生大臣の裁量」とされ訴訟自体が却下されたこの朝日訴訟は「生存権」について日本中が考えさせられたものでした。教科書にも必ず登場する事項です。今年のI中の公開はこの朝日訴訟で討論させるのだそうですが、私はその話を聞いて大いに危惧しました。生徒達が「新自由主義的」価値観で討論に参加する時、教師はどのような立ち位置でこの討論を眺めるのでしょうか。昨年のI中の公開を見てがっかりした私としては不安でしょうがありません。妻が行く予定のようですので、あとで話を聞こうと思います。あと、「プロジェクトJAPAN」は天皇の問題を扱っていました。論点の整理に立花隆を使うのは正解だと思いました。「日本国憲法は大日本帝国憲法の改正版である」という主張にうなずきました。もちろん「変化」を強調することも重要ですが、あの国会の開院式を見るかぎり「連続性」も指摘し続ける必要があると思います。あと、先日のブログにも書きましたが、伊藤博文が「君主権重視」のプロシア憲法を重視したのも事実ですが「君主権制限のない憲法はありえない」と主張したことも重要だろうと思います。「国家」を「情念の発露」とみるもの達から切り離すためには怜悧な「理性」しかないと思われます。
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by yksayyys | 2009-05-04 07:45 | 社会 | Comments(0)