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アマノジャクはこう考える

浜園証言から

昨夜、徹夜で浜園証言のテープ起こしをしました。ビデオテープを見ながらパソコンを打つという地味な作業でした。完成したのは午前6時でした。それを午前中の歴教協事務局会で審議してもらいました。今までは「まとめた」ものでしたが、今回浜園さんの言葉に忠実に再現しましたので皆さん息を呑むように聞いてくれました。知覧小時代、特攻隊について調べたY小のSさんは「私が疑問に思ってきたこととも辻褄があう。」と言っていました。この証言、歴教協にとって大きな財産になりそうです。では、その中から「核心的」な部分を引用します。
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Q 出撃の日のことを教えて下さい。

A フィリピンの頃は3日前くらいに隊長に呼ばれるのが出撃命令だった。かねては「おい、ちょっと来い」なのに「来てくれないか」というんですよ。あの「来てくれないか」が来たらもう終わりだったな。出撃は昭和20年の4月6日でした。命令は総員集合がかかって言われました。あの○と△と×ですよ。でも、2月15日に前線から帰ったばかりの私をすぐには出さないだろうと思っていたんですよ。でも、翌日黒板に真っ先に張り出されていたんですよ。「ああ、1週間くらいだなあ」と思いましたね。4月6日というのは菊水作戦が始まった日ですよ。午後2時の出発で沖縄に午後4時ころ到着して突っ込む予定でした。出撃の前に、修理兵の人がこっそり言うんです。「ガソリンは満タンにしておいたから。」あれは今から考えると軍規違反ですよ。片道分だけしか入れられないはずなんだから。軍法会議覚悟でそうしたんですよ。しかも「この飛行機はよくないから調子が悪ければ引き返してください。」と言うんですよ。私は「そうするわけにはいかない」と答えました。そうして出撃したら、ほどなく敵機が集団で来ましたよ。あちらさんのレーダーは高性能ですからね。どの辺で迎え撃つかはすべて計算済みなんですよ。そのうえこちらは数も少ないうえに、オンボロ飛行機。しかも、250キロ爆弾を2つも抱え込んでいるわけですから。操縦しにくいですよ。自転車の2人乗りどころじゃないですよ。案の定、敵のグラマンにやられました。「殺し屋グラマン」ですよ。「あ、こりゃだめだ。」と急降下しましたね。ただ、不思議なことに敵機はそれで安心したのかそれで引き揚げましたね。私はすぐに後部座席の隊員に「引き返す」と指示して故障した機体とともにもと来た方向に向かいました。しかし、ヨロヨロする機体に「もうダメだ」と思い、知覧の畑に突っ込みました。機体は炎上しましたが何とか助かりました。ただ、大やけどですよ。あんなに痛いと思ったことはありません。今でもほら、やけどの跡は残っていますよ。

Q その後はどうなったんですか?

A ともかく手当を受けて、新田原まで帰されました。再出撃を待つということでした。

Q 陸軍は振武寮(生還者を隔離する施設)があったようですが、海軍はそういうことはないのですか?

A ありません。陸軍はひどいことをしますね。かわいそうですよあんなこと!
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by yksayyys | 2009-05-06 17:59 | 社会 | Comments(0)