「田沼の政治」は改革じゃない!?

 1年生の歴史が終了しました。化政文化で終わりでした。前の前の時間に「享保の改革」「田沼の政治」「寛政の改革」をやりました。が、今回以前から不思議に思っていたことについてちょっと調べてみました。それは「田沼の政治が改革と呼ばれないのはなぜか?」ということです。同じような扱いをするのに「田沼の時代」だけ「改革」という呼び方をしない。おおよその推測はありましたが、今回はいろいろ文献で確認してみました。簡単に言うと「倫理観の欠如」「幕末混乱の元凶」と言ったものでした。ただ、私はこの見方はいつか変わるんじゃないかと思います。すでに大石慎三郎などが「見直し」を進めていますが、田沼の改革はまさに「殖産興業」政策で、今だったら「税収増加を図った積極的な経済政策」と言われるんじゃないかと思います。思うに、田沼以外は「家康以来の質素・倹約」型に回帰しようという政策で一致しており、歴史家がそういう共通部分で「改革」の名を付けたんじゃないかと思います。ここ薩摩では、調所広郷の「重商主義」はきちんと「改革」と位置づけられています。ただ、その裏には「奄美からの収奪」「密貿易」があるのですが・・・・・もちろん、授業では時間を取ってそこを説明しました。地名「天保山」ってそのころつけられたんですね。甲突川の川ざらいをした後、埋め立てた土地が「天保山」なんだそうです。そういえば、天保山の松林の一角に調所の銅像があります。はい!
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Commented by 広告鳥 at 2010-03-04 09:48 x
先月、鹿大であったシンポジウムで聴いたことですが、奄美をたんなる被収奪側=客体ととらえるのではなく、その主体性にも目を向けるべきだという研究提言もちらほら出てきているそうです。
Commented at 2010-03-04 14:47
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by yksayyys | 2010-03-04 05:07 | 社会 | Comments(2)