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アマノジャクはこう考える

情報求む 内藤智秀

 ある「世界史」関連のサイトの中心になっている県外の高校教師の方から内藤智秀という人物の「鹿児島における情報がないか」と連絡がありました。もともとは、山形県の庄内の人のようですが鹿児島の七高から東大に進み、その後旧制加治木中学(1912年から)で教壇に立った方だそうです。多くの大学で教え、世界史教育において名を残している人だそうです。「鹿児島だから」ということで私に連絡が来ましたが、私は恥ずかしながら「初耳」で今のところ全く情報がありません。どなたかご存知ありませんか!
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Commented by ぽんジュース at 2011-02-13 23:43 x
こんにちは。

すでに,サイトでも紹介されていることですが,史料的に出てくる内藤智秀は以下のようです。

内藤智秀氏

東京女子高等師範學校西洋史學教授,文學博士。明治四十五年東京帝國大學西洋史學科卒業。その後久しく外務省にあつて,主としてペルシヤ,トルコ,バルカン等西亜近東諸國の國情調査の任に當られ,屢々同方面にも出張滞在されて多くの重要資料蒐積,わが學者として全く未拓の分野を開かる。その學位論文「日土交渉史」(昭和八年四月慶應義塾大學より學位を授與さる)は,即ちこの間の研究の結晶たるものであらう。近業「西洋史概観」及び「史學概論」は,近時斯界の好著として迎へられてゐることは周知の如くである。
『歴史教育講座月報』第四号,昭和10年7月発行,歴史教育研究会,2-3頁。

戦前においては,外国史教育について論じた論考が多い人物です。鹿児島ともゆかりのある人物とは知りませんでした。加治木中学で教壇にとっていたとのことですので,加治木の町史や鹿児島県の教育史に出てくるでしょうか。広告鳥さんならわかるかもしれませんね。

何かわかったら私にも教えてください。
Commented by 広告鳥 at 2011-02-14 03:13 x
内藤氏のこと、私も初めて聞きました(^_^;)。

1912年から何年間、教壇に立たれていたかは分かりませんが、1922年までの10年間には県教育会雑誌『鹿児島教育』の目次に(所在不明の号もある上、目次に必ず名前が出てくるわけでもないのですが)内藤の名前は出てきませんでした。

もしかしたら鹿児島県教育会が出していた『鹿児島県学事関係職員録』で名前が確認できるかもしれません。
Commented by アマノジャク at 2011-02-14 19:55 x
早速の情報ありがとうございます。地道に調べてみますね!
by yksayyys | 2011-02-13 22:46 | 社会 | Comments(3)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・