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アマノジャクはこう考える

英語教育

 オリンピック・パラリンピックを控えて文部科学省はそれに向けた教育政策を発表し予算要求をしているようである。その柱は

① 英語教育の充実。中学校において英語のみの授業を!
② 我が国の伝統と文化を学ぶために 国語において古典文学の指導の拡充
  中学校において近現代史の充実のために歴史を25時間授業時間を増加する。
 
 社会科教師として「近現代史の充実」は望むところではあるものの、今の流れは「領土教育」に代表されるナショナリズム発揚のための近現代史。にわかには喜ぶわけにはいきません。あと、英語教育も考えものです。オリンピック・パラリンピックで外国人がたくさん来るから「英語が出来る人材を増やそう」という発想なのでしょう。教育界に限った事ではありませんが、政策立案はインテリとエリートの共同作業です。いわゆる「できる人間たち」が考えるものです。彼らは「できる者をもっともっと伸ばす教育を」と思っているでしょうし「英語くらいちょっと勉強させればどんどん出来るようになるはず」「現場教師の学力などたかが知れている。自分たちの言うことを聞いていればそれでいい。」と考えているだろうということはかねての発言、文章でよくわかります。
 しかし、正直に言いますが、中学校の教科において最も学力差が大きい教科は英語です。英語検定準二級をとる生徒もいれば、book desk の単語の段階から前に進めない生徒も山のようにいるのです。それを「できる人たち」は「それくらい」と考えているのかもしれません。1時間英語のみで授業をして英語力がつくのはほんのひとにぎりの生徒にしかすぎません。そのほんのひとにぎりの生徒が欲しいのかも知れません。「英語を教えるのか、英語で教えるのか」これは禅問答のような発想かも知れません。しかし、教育はそこを考えずにして展開できるものではありません。これも古い命題ですが、堀尾輝久は「国家の教育権か国民の教育権か」と問いました。「国家に有用な人物を」一辺倒になっている今の教育政策を根本から疑うことからすべてを始めるべきだと考えます。
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by yksayyys | 2014-04-06 19:13 | 社会 | Comments(0)