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アマノジャクはこう考える

民団と総連

 差別というものを知ったのは、すべてと言っていいほど大学時代を過ごした京都においてであった。まず入学時に大学で渡された「同和問題の手引き」というパンフレットを思い出す。鹿児島で過ごした18年間で一度も国内の差別問題について教えられた記憶はなかった。が、入学後関西や福岡、広島などの友人から部落差別や朝鮮人差別についていろいろな事を聞いた。差別を肯定する父親と殴り合いの喧嘩をしたという大阪の友人もいた。なお、京都という土地は川を隔てて「むこうは高級住宅街、こちらは被差別部落」という風にはっきりわかれていたり、この辺は「朝鮮人街」という風に町全体がそう呼ばれていたりと、普通に生活していても気づくような土地柄であった。ちなみに赤い鳥が歌った「竹田の子守歌」に出てくる「あの在所越えて」の在所は被差別部落のことであると森達也・デーブスペクター著「放送禁止歌」(解放出版社)に書いてあった。大学内でも「同和行政・同和教育」のありかたをめぐっての2つの勢力争いがあるのはすぐにわかったし、左右の対立以上にそちらの対立の方が激しいのがわかった。のちには、朝鮮人差別の話も耳に入るようになった。そういう活動をしている人の話では「部落差別は行政が面倒みてくれるが朝鮮人差別は放ったらかしや。差別の中にも差別があるんや。」と言っていた。そして、その朝鮮人団体にも「民団」と「総連」があった。
 私は、2回生の時に実家の会社が倒産して、バイトざんまいの生活が始まったが、一番長くやったのが清掃業のバイトであった。床を磨いてワックスをかけるという仕事であったが、仕事先のほとんどが隣保館と呼ばれる同和対策事業の建物であった。公民館だったり保育園だったりしたが、高層住宅の建ち並ぶ「同和地区」の中の建物が多かった。バイトの先輩が「こういう所の仕事は役所で左遷させられた人間のする仕事や。見てみい、いつ見ても将棋か囲碁かばかりやってるやろ。」と言われたのを鮮烈に覚えている。あと、ヤクザが経営するパチンコ会社の事務所にも掃除に行った。スリッパひとつ動かしてあっても大目玉を食らうという緊張を要する事務所であった。だいたい、休みの日に掃除はするので大目玉を食らったことはなかったが、事務所の正面に大きな「全斗換(チョンドファン)」韓国大統領の大きな写真と韓国政府の感謝状があるのに気づいた。上司に聞くと、パチンコの収益の一部を母国の韓国に送金しているのだという。つまり、そこのヤクザは在日朝鮮人なのだという。「パッチギ」でもわかるが、就職の機会に恵まれずヤクザとなった彼らにとっても母国は特別だという事がよくわかる光景であった。京都も南の方に行くと民団や総連の建物があったし、東山の方には朝鮮人学校もあった。
 その総連と民団が和解するのだという。新聞にもいくらかのコメントが載っていたが、「同胞」という呼び名にあるように自らの出自による「組織」に癒しを求める人は多い。私たちも海外に住めば、日本人どうしの交流が「支え」になる可能性が高い。母国の政治状況に左右されない「温かい」組織になれることを祈っている。そして、「差別」の状況が少しでも改善されることに「つながれば・・・・・・・
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Commented by shin-pukupuku at 2006-05-19 08:09
東京では差別の問題を痛感することはそれほどないでしたよ。ただ,山の手にのると,チマチョゴリを着た女学生がいて,この人たちは何だろうと最初,思っていましたね。そういう感じで学生時代を過ごしたので,京都や大阪の話は,とても考えさせられます。
Commented by yksayyys at 2006-05-19 12:21
網野さんが言うように「東日本と西日本は差別に対する感覚に違いがある」のだろうと思います。やはり、天皇を中心とする「歴史」に影響するものでしょうか。京都、奈良、大阪、和歌山、三重などなど同和教育の熱心な地域には「王権」と「宗教」の香りが濃厚のような・・・
by yksayyys | 2006-05-18 22:46 | 社会 | Comments(2)