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アマノジャクはこう考える

賢治で60時間

 先日の歴教協県大会の時、講師のSさんは宮沢賢治の授業を60時間かけてやったと報告された。「ふつう宮沢賢治で60時間もやりませんよ。」と笑ってもいた。こういうところは小学校における実践のうらやましいところである。中学、高校では不可能に近い。やっているとしたら筑波大付属くらいであろう。昨年度、今年の教育課程を検討するときに「総合的な学習の時間」がすべて行事の振り替えだったのに異を唱えて、「少しは自分たちで考えた総合学習をやりましょうよ!私はそういうのを考えるのは得意ですよ。」と言った。教務主任は苦笑いしていたが、校長が「今年度通り」で押し切った。最初に校長が述べた「創意工夫のある教育課程」が雲散霧消した瞬間であった。教育という職を選んだのは「社会的使命」と「創造ある仕事」の2点であった。が、年々教育行政は「お前たちは教育内容なんか考えなくていい。俺たちの作った教科書をいかに効率よく詰め込むかだけ考えればいい」という施策を押し付けてくる。教師もなめられたもんだなと思う。しかし、それでも自分たちのよって立つところは「教育内容の自主編成」であり、それが成就した時の喜びは何ともいえないものである。今年の夏もその準備をさせていただくこととする。
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by yksayyys | 2014-07-06 08:06 | 社会 | Comments(0)