教育基本法をめぐる国会中継を見ながら

 中曽根康弘が小泉の引退勧告に激怒して行った記者会見での言葉を思い出す。「ようやく憲法・教育基本法の改正が実現しようとしている時に国会を離れるわけにはいかない。」自民党の議員の中にはそういう感慨に浸っている者が少なからずいるはずである。今日の国会中継は最初から「共産党」と「社民党」の質問しか見ないと決めていた。「改正反対」はこの両党だけなのだからしょうがない。両党とも数においては弱小野党である。それゆえあの短い時間で何を言うのか注目した。結果から言うと、共産党の志位委員長の発言が最も要を得て堂々としていたと思う。社民党の保坂委員は、首相の発言を引き出そうとする余り「攻め」が足りなかった。いっそのこと辻本清美にでも「演説」させた方が効果はあったのかも知れない。しかし、共産党が質問をしている間の議場の自民党議員の嘲笑や野次は見苦しかった。私は、共産党支持ではないが、共産党だけは「排除が先にありき」という風潮は地方議会でも国会でも同じであるが、見ていて憤慨する。それが判っていてか志位委員長は自分の主張を中心にしながら質問ができていた。しかし、民主党案にはがっかりである。「愛国心」条項は自民党よりも良くない。党内に海部俊樹元首相、西岡武夫元文相ら元自民党文教族を抱えているのでそういう風になったのであろうが、「涵養」などという言葉を使うところがいやらしい。
 今、刈部直「丸山真男」)(岩波新書)を読んでいるが、戦争中リベラルの拠点とされた東大法学部においてもその狂信的ファシズムの嵐のあまりのすごさにリベラルな岡義武助教授は「我々の方がどうかしているんじゃないか」という錯覚を覚えたそうである。私も今の学校に赴任してから、あらゆる事で絶対少数となっている自分を見つめながら「自分がおかしいと思った方がいいのではないか。」と思うことが多くなっている。小泉は今日の答弁の中で「日本は自由な民主主義の国である」と強調した。が、学校現場では「挙手」さえ許さない会議になっているのである。「反映される見込みのない」意見を果たして意見と言えるのかどうか。社民党の保坂委員は「ヒロシマやオキナワの平和学習にも影響が出てくるのでは?」と質問した。小坂文相は苦笑いしながら「絶対にない」と言った。保坂委員はそれ以上突っ込まなかったが、鹿児島では現に被爆体験談が禁止されていた時代が長くあったのである。「平和を言うものはアカ」という風潮は明らかにあるのである。
 「数が少ない」事で自分の信念が揺らいだ事は一度もないが、なぜ世論は「改正」を後押しするのかが全く理解できない。
 戦前の国家は「大日本帝国憲法」と「教育勅語」で作られた国家であった。戦後その2つを「日本国憲法」と「教育基本法」で葬り去った。森元首相をはじめとする自民党文教族はそれをもとに戻したいだけなのである。「日本は天皇をいただく神の国である」の発言をもう忘れたのであろうか。小泉が日教組憎しであることは、宮崎の高校生がイラク派兵反対の意見を持っていった
時に「学校の先生がちゃんと教えていないから・・・・」と発言する無神経さからも明らかである。
 朝日新聞には教育法学会をはじめとしてアカデミズムの世界から多くの「改正反対意見」が出ていることが紹介されていた。
 慶応大学の金子勝教授は「日本人はいくところまで行かないとわからないのでは」と嘆いていたそうである。衆愚論に立つわけではないが、今読んでいる「丸山真男」にも軍を強力に支持する戦前の庶民の姿が描かれている。あの「文教族」らのいかがわしさに早く気づいて欲しい。
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by yksayyys | 2006-05-24 22:58 | 社会 | Comments(0)