「ほっ」と。キャンペーン

ブログトップ

アマノジャクはこう考える

松尾尊允死去

 慰安婦第三者委員会報告書が埋め尽くす天皇誕生日の朝日新聞の記事の中に松尾尊允死去の記事を発見した。死去したのは12月14日、赤穂浪士討ち入りの日。私はだいぶ長い間、この人の名前とつきあわなければならなかった。なぜなら大学の卒論で大正デモクラシーをテーマとしたからである。このテーマを選んだ時から指導教官を問わず必ず歴史研究者から聞かれたのが「あなたは松尾説に立ちますか」という質問だった。それに答えないと話が先に進まないような雰囲気を常に感じていた。松尾説というのは簡単に言うと「大正デモクラシーを民主主義運動として積極的にとらえるかどうか」ということだったと思う。反対の人は「不徹底な改良主義的な考えで社会主義運動に無理解で天皇制軍国主義に飲み込まれていった。」という考えであった。ゼミの教官はそちらの考えで「あのグループは結局国家社会主義に流れていった」という立場であった。確かに赤松克麿(吉野作造の女婿)らはそうなっていった。しかし、私はいつも松尾説にたっていた。吉野作造も石橋湛山も積極的に評価しようとしていた。そのことでぶつかった人が少なくとも3人はいる。今日の新聞に興味あることが書かれていた。松尾は吉野作造が満州事変の時期に反・非軍国主義的な動きを見せていたことを本に書こうとしていたという。これはまさに松尾説批判に正面から対峙しようとしていた証拠ではないかと思う。松尾は晩年戦後史の仕事も多かった。おそらく、民主主義というものが好きだったのだろうと思う。私が指導教官に薦められて最初に読んだのは「民本主義の潮流」(文英堂)であった。そのシリーズ(「国民の歴史」)は全巻揃えた。他の中央公論社や小学館、講談社などの通史シリーズと較べてなかなか手に入らない逸品である。岩波講座は日本歴史、世界歴史ともいつ譲ってもよいが、これは手放せない。
[PR]
by yksayyys | 2014-12-23 08:53 | 社会 | Comments(0)