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アマノジャクはこう考える

文集の「恐ろしさ」

 秋田の事件は、近所の被害者主婦の逮捕ということで大騒ぎのようである。今朝の新聞も「村上逮捕」か「秋田事件」のどちらかである。その「秋田事件」の記事の中に気になる記述を見つけた。容疑者の生い立ちの記述の中に、彼女の卒業文集のことが書いてあった。彼女が「帰ってきたら遊んで」とあるのにクラスメートは「秋田に帰ってくるな」などと書いてあったという。私は「きわめて残酷だ」だと思う。もちろん周囲のクラスメートが「残酷」だということである。そして、それを放置した教師に怒りを感じる。私は、ここ10年ほどこの「文集」問題に取り組んできた。学級文集、卒業文集に見られる「差別的文章」や「今にも死にそうな人ベスト10」などのいわゆるランキング追放に全力を挙げてきた。同伴者はほとんどいなかったが、学校でそして「人権に関する」研究会などで具体的に問題提起をしてきた。今の勤務校で改善されたのは、ようやく3年目に入ってのことであった。「人をけなし」「人を弄ぶ」文章やイラストが「多数派」の暴力性を加味してどんなにひどい文集となっているかを、教師はほとんどわかっていなかった。訂正や指導を求める私の指摘に「子どもの自主性を損なう」などという非常識な発言も2,3度あった。私が思うに、「文集づくり」は生徒任せで教師は「ほったらかし」である。この文書がどんなに残酷で、それが半永久的に残されるという事実に鈍感なのである。私は、この容疑者は「自己肯定感」からは遠いところで育った人であろうと想像できる。その責任は教師・学校にもあると思う。日本全国、どこの学校の図書館にも多くの「文集」が置かれてある。素朴な装丁のものが多いが、中身はじつに「残酷」なものが多い。弱者への視線の全く感じられないものがいっぱいある。今まで勤務した学校すべてに存在した。その程度がその学校の「人権意識」を映し出している。特に卒業生を担当する教師は「忙しい」などという理由で「ほったらかし」にしないでもらいたい。その行為は「犯罪」であると私は思っている。「それまでの取り組みこそが大切なのではないか」と声高に言った教師もいた。そんな事当たり前である。わざわざ口にして言うほどのものでもない。その集大成が「文集」に結びつかないとおかしい。
 この事にふれる時、私は「きつくなる」と同僚に言われる。しかし、きつく言わないと「なくならない」という事実がこれまであったことを理解してもらいたい。
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Commented by ぷくぷく at 2006-06-06 22:02 x
文集の恐ろしさ,なるほどと思いましたよ。人権尊重の視点でわたしたち教師は文集を見つめているかといえば,たしかにほったらかしという印象ですね。あとあとまでこの文章は生き残るわけですね。
by yksayyys | 2006-06-06 14:01 | 社会 | Comments(1)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・
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