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アマノジャクはこう考える

社会科の授業

 プクプクさんから歴史教育に関する貴重なコメントをいただきました。それを受けて考えたことを!
 中学校社会科の役員を引き受けて以来、他県の社会科の授業を数多く観てきたわけですが、たぶん自県以外に「これは!」と思える授業を一度も観ていない気がします。それは、自県を肯定的に見がちであることを差し引いて考えないといけないにしても「やっぱりそうだ」と思ってしまいます。
 理由は簡単だと思います。どの県も九州大会においては提案性の高い授業を提供しようとします。そして、現場の教師としては教育方法の専門家ですので教育方法の新しさを掲げて新しさを提案しようとします。例えば「ディスカッション」「言語・表現活動」というものを掲げて研究を進めようとします。しかし、そこに「内容知の劣化」が生じてきます。少しでも内容に通じている人間なら「そりゃないだろう」と思ってしまいます。結果として、「方法」を追い求めてきた割には「方法」すらもあれっと思う授業になってしまう。そういう授業をたくさん観てきました。地元県の教員たちは「失敗という総括は許されない」と思っているのか「本当に成功した」と思っているのか、「提案に成功した」といつも言います。
 それがあるので私は鹿児島の研究主題の解説には毎年「内容と方法のバランス」という文章を残しています。市民育成のための「歴史」という理屈はよくわかりますが、まだ具体型で説明できない自分がいます。「社会科における市民育成(市民的資質)とは何か」「社会科における社会認識とは何か」という古典的命題をあらためて確認したうえで考え直してみようと思います。「社会科」という教科がなぜ必要なのか。社会科歴史とはどういう考え方なのか。その社会科の学力とはどういう力なのか。
 強いて自分の興味に引きつけて言うなら、その社会科の中で地理・歴史・公民という領域の持つ面白さをどのように反映させられるのか。「生徒がいきいきしていた。」「よく動いていた。」という言葉に簡単に集約されないようなそういう授業をしてみたいなと思います。
 50歳を過ぎてまだまだ迷える「子羊」であります。
 
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Commented by shin-pukupuku at 2015-08-05 15:20
私のコメントを真摯に受けとめていただいてありがとうございます。たしかに九州大会の授業は提案性を求めるあまりに、あまのじゃくさんが述べるように、方法論に重点をおいているような印象を持ちます。おそらくそれは、授業者や研究委員がその歴史的知識をまず押さえていないからだと思います。授業者が専門家としての少なくとも授業部分の歴史学における知見をきちんと整理し、その上で教育方法の工夫だと思うのですが、残念ながら高校レベルの歴史の知識も欠けていると思われます。。「社会科における市民育成(市民的資質)とは何か」「社会科における社会認識とは何か」という古典的命題をあらためて確認したうえで考え直してみよう」というあまのじゃくさんの真摯な決意に学びたいと思います。「歴史意識」については、日社学編『社会科教育事典』pp.134-135に木全さんが解説していますが、私のとらえ方とは違うような印象を持ちました。
Commented by yksayyys at 2015-08-05 16:10
早速のご返事ありがとうございます。今年の夏は、いろいろな事があったせいかじっくり勉強しているような気がします。またいろいろ教えて下さい。
by yksayyys | 2015-08-05 11:11 | 社会 | Comments(2)