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アマノジャクはこう考える

奇襲の裏に!?

 同じ価値観の教師と同僚になることは珍しい。同じ教科となると20年以上さかのぼらないとそういう経験は思い出せない。今年の夏も「あれ」と思うことが何度もあった。
 1学期の終わりに同僚から「教科書の指導書はどこですか。あれがないと僕は授業ができません。」と言われた。私は「私指導書使わないから。準備室の棚にあるんじゃないの。」と答えた。彼はパニック状態の中ようやく探しあてたようで「良かった。これで授業が出来る。」と安堵していた。そういえば彼の板書は指導書のものと全く一緒。いつも一人でしゃべっているようだが「なるほどな」と思った。
 それより驚いたのが歴史の授業であった。太平洋戦争開戦の授業の後、彼は私に言った。「ここは私こだわりがありますからね。奇襲攻撃という濡れ衣はアメリカ大使館の不手際だという話をみっちりしてやりました。」誇らしげな表情であった。この件については保守派のひと達がよく使う説明であるが、先日読んだ加藤陽子の著書でも、宣戦布告を意図的に遅らせたことは様々な証拠から明らかになっている。太平洋戦争開戦という重要なポイントとなるところでそのような話を延々とさせられた時に、生徒たちはどのような歴史認識を形成してしまうのか。私はそこを心配してしまうが、同僚は「してやったり」と言わんばかりの口調。教師という仕事の役割、危うさをあらためて感じさせる場面であった。
 教育という営みには謙虚であり続けなければならないと思う。そして、教師はやはり学び続けなければならない。
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by yksayyys | 2015-08-25 09:02 | 社会 | Comments(0)