歴史地理教育7月増刊号「歴史の授業は子どもが主役」から

エアコンの効いた学校の職員室でじっくりと読んでみた。執筆者は討論授業の実践家・論客が勢揃いしている気がした。「あ、この人おととい報告してたな。」という人もいた。最初の「総論」のところで「アクティブ・ラーニング」について触れていた。ひとりは知る人ぞ知るK藤公明さん。もう一人はK藤さんの実践を研究し本も出しているW田悠さん。結論から言うと、今文部科学省の言うところのアクティブ・ラーニングの問題点は「正答主義に向かわせるための手段である」(K藤)、「国家にとってのグローバル人材育成方法である」(W田)ということである。
 なぜ、「アクティブ・ラーニング」という言葉にそんなにこだわっているのかというと、今2年後の九州中社研大会の研究主題を考えている最中だからである。教育内容についてはほぼ固まっているし、これまでの研究を継続したものなので心配はしていないのだが、教育方法に関してはまだ「暗中模索」中である。これだけアクティブ・ラーニングがはびこるとそれに対する姿勢・考え方を用意する必要がでてくる。その上で「これをやりましょう。」と提案しないといけないのである。6月の理事会でいちど提案したのだが、その場にいた人たちにはさっぱり伝わっていなかった。難しいのは歴教協みたいにある程度の「共通の土俵」があるみなさんがメンバーだったらいいが、中社研は「中学校の社会科教師」の集まりなのでいろいろな人がいるということである。いろいろな人たちを束ねる努力にそろそろ疲れてきているのだが、ここで逃げるわけにもいかない。
 こないだの理事会で私が言っていたことをこの増刊号では奈良のK尾さんが述べていたように思う。ただ、そこが社会科教師にはなかなか伝わらないのである。
 29日の夏季学習会までにある程度の文章を作らないといけないのだが・・・・
[PR]
Commented by 佐賀のT中 at 2016-07-27 13:46 x
「何となく同じようなことを感じておられたのだろうか」と思いました。私も何かすっきりしないものを感じたので、研究会から帰ってフェイスブックに、次のような文章を載せました( 長くなりますが以下FBからの転載です )。

土屋さんの「解釈型歴史学習」については、昨年の「学びあう教材・授業づくり研究会」でも講演があったので、一度は聞いていました。ただし、昨年は帰りの電車の時間の都合で、はじめのあたりしか聞くことができていませんでした。多少気にかかりながらも帰らざるを得なかったので、その後、『実践から学ぶ解釈型歴史学習 子どもが考える歴史学習へのアプローチ』( 2015 梓出版社 )を購入して読んでみました。ところが、読んでもあまり理解できませんでした。なぜ理解できなかったのかと云うと、何が「解釈型」なのかがわからなかったからです。そうしたことがあったため、今回、また土屋さんの話があることを知り、期待して参加しました。
話を聞きながら、面白いとは思ったのですが、何かしっくりこないものも感じていました。その影響かどうかはわかりませんが、今回、直接話を聞いても、やはりよく理解できませんでした。そこで、懇親会の席で、土屋さんに、「解釈型歴史学習って、何ですか?」と直接訊ねてみました。それでやっと、「何となく理解できたかな」と思いました。そうした理解が残っているうちにと思い、家に帰ってから、もう一度、『実践から学ぶ解釈型歴史学習』を読み直してみました。以前読んだときによく理解できなかったことが、今回やっと、「あぁ、そういうことを書いてあるか」とわかりました。そして同時に、土屋さんの話で引っかかっていたこともわかりました。
「解釈型歴史学習」は、加藤公明さんの「考える日本史授業」に近いものがあるとは感じていました。そのときに学んでいることに対して、自分で結論を出し、そのことについての解釈をする( どうして、そのように考えたのかを説明する、他の人を納得させることができるように説明をする )形を取っているところが似ているなと思います。そして、両方に共通しているのは、その解釈や説明のためには知識が必要になるが、その知識の習得( 方法 )などについては述べられていないことです。

※コメントは一度に1000文字位しか書けないようなので、数回にわけました。
Commented by 佐賀のT中 at 2016-07-27 13:47 x
その2
 「解釈型」とは、「暗記型」に対してわかりやすいようにネーミングをしたと土屋さんは述べられています。それは、歴史学習のための授業には、「暗記」ではなく「考えること」が大切なのだと云うことを提起してあるからでしょう。加藤さんの授業にも同じ考えがあると思っています。講義式ではない、子どもが自ら考える授業の提起があるのでしょう。しかし、解釈するにしろ、他の人を納得させように説明するにしろ、そこには「知識」が必要となります( そうでなければ単なる空想にとどまってしまい、討論などもお互いの意見が絡み合うことなく空中戦で終わってしまいます )。だから、その知識の獲得については、授業として、その方法等について提起されなければ、理想には近づけないし、暗記型授業の批判が批判にはならないと思います。
 暗記型授業を批判してはいるものの、その暗記により知識を身につけていることを暗黙の前提として解釈型の授業がおこなわれているとも見えるからです。社会科教育の現状を変えて、理想的な授業に近づけていくためには、多くの社会科教師が取り組める形での提起が必要です。そうして現状を乗り越える見通しがあれば、多くの社会科教師も取り組むようになるはずです( 取り組めるはずです )。
そうしたことがないために、素晴らしい実践であるにもかかわらず、広がりが見られないのではないでしょうか。
 解釈をする、つまり、説明をするためには、当然、事実に基づいて考えることが必要になります。事実に基づいて考えるためには、知識が必要になります。その知識を、「どうやって身につけさせるのか」が抜けていると、解釈をさせるための前提を無視していることになるのではないでしょうか。
暗記型の授業を批判してあるが、そうした暗記型の授業により知識を身につけている面があることも考えておかなければならない。子どもたちは、小学校や中学校までの暗記型の授業により、解釈をしたり討論したりする場合の知識を身につけているわけだから、完全に暗記を否定することはできないのではないでしょうか。もし暗記型の授業を全面的に否定するのであれば、解釈型や考える授業のやり方と共に、知識習得の方法についても明確に提示すべきなのではないでしょうか。
Commented by 佐賀のT中 at 2016-07-27 13:48 x
その3
 その方法として大きく2つに分けて考えると、その授業の中でおこなうのか、あるいは、討論などの話し合い活動の授業の前におこなうかでしょう。
 ただし、知識の習得を、授業でおこなわないとすれば、それは事前に子どもに調べさせるなどの方法しかないでしょう。つまり、課題などとして授業の前に予習させておくわけです。これは、一種の「反転授業」となるのでしょう。
中学校の授業では、社会科に限らず、現状では高校入試を無視することはできないでしょう。高校入試があるために「暗記型」の授業がおこなわれていると言っても過言ではない面があります。この高校入試と云う現実を乗り越える方法まで、きちんと提示しなければ、多くの社会科教師は暗記型の授業からは脱却できないのではないでしょうか。この現実を乗り越える方法をも、きちんと示しながら、理想的な歴史学習の方法を提起することが必要なのだと思います。
 解釈型歴史学習とは、たとえば、土屋さんの話の中で、「憲法前文の中で、あなたが大事だと思う部分に線を引いてください」と云う発問がありました。この発問は、線を引いた後に、「どうして、そこに線を引いたのか、隣の人に説明してください」と、指示が続きました。そこが解釈型の歴史学習と言われている部分のようでした。ここでは線を引くことが目的ではなく、線を引いた理由について説明する、つまり、「何故そこが大事だと考えたのか、憲法前文に対する解釈=自分の考えを互いに話し合う」ことのようです。「こうした学習をおこなうことを意識しているかどうかが大事なことだ」と言われていました。
 しかし、考えてみると、こうした授業方法は、これまでもおこなわれてきました( おこなってきました )。ところが、耳新しい表現( =ネーミング )をされると、何となく新しいことのように感じます。
Commented by 佐賀のT中 at 2016-07-27 13:49 x
その4
 アクティブラーニングについても同じことが言えると思っています。アクティブラーニングと言われている授業方法も、これまでおこなわれてきた( おこなってきた )やり方と同じであって、何も新しいことではないようです。もし違いがあるとすれば、「何を目的にやっているのか」なのではないでしょうか。主権者教育についても同様です。主権者教育は、これまでもおこなわれてきた( おこなってきた )はずです。それを「18歳選挙だ」と云うことで、さも「新しいことに取り組まなければならない」みたいな言い方をされているだけのようです。
 大事なのは、何が社会科の授業で大切なのかです。それは、これまで私たちがやってきたことであり、その中で、悩み考え工夫して取り組んできたことです。理想を掲げながら、現実を乗り越えるために、それぞれの社会科教師がやってきたことを互いに学びあうことだと思います。そのことは、社会科を教えている教師であれば、共通に理解しあえることだと思います。
 そんなことを考え文章にしていたら、「解釈型歴史学習をどのように自分の授業に取り入れられるだろうか」と前向きに考えることができるようになりました。それは、自分のやっている授業が、論題について結論を出し、その理由について述べさせているのだから、結局は同じことをやっているわけだと気づいたからです。

 思いついたことをダラダラとFBに書いただけの文章ですが、言わんとすることは伝わっているでしょうか( 長くなって申しわけありませんでした )。
Commented by yksayyys at 2016-07-27 20:26
丁寧な文章ありがとうございます。T屋さんの「解釈型・・」の本をまだ1冊しか読んだことがありません。T中さんの文章とあわせて検討してみたいと思います。あの日の話だけではどうも・・・
 
 九民研でまた語り合いましょう!
by yksayyys | 2016-07-25 20:14 | 社会 | Comments(5)