歴史を書き換える時

 昨日の県議会で伊藤鹿児島県知事は自民党議員の質問に答えて教科書会社に西郷隆盛に関する記述を書き換えるよう要求したいと答弁した。西郷が「征韓論者」として記述されている事に対し、「西郷は平和的に使節を派遣しようとしたまでだ」という「遣韓論者」であるという主張である。この「征韓論VS遣韓論」が話題となるのは初めてではない。20年くらい前に一度ブームのように扱われた。大阪市立大学の毛利敏彦の研究が発端であったと記憶している。一昨年、大久保利通を調べる時にこの毛利氏の文章をよく読んだが、毛利氏は「西郷ファン」である。そして、文章の上からは大久保に厳しい。(大久保を評価する学者は逆になる。)当時、鹿児島の歴史教育者協議会でもだいぶ話題にしていたことを覚えている。鹿児島の県立歴史資料センター「黎明館」は「遣韓論」で説明されている。結局は「使節を派遣しようとしたことは事実であるが、要求を飲まない場合は武力行使をするつもりであった。」という風に落ち着いたのではないかと思っているが、知事が再度その問題に火を点けたことになる。
 今日の朝日新聞には秀吉の朝鮮侵略に関するシンポジウムが開かれたとあった。面白いのは、日韓にとどまらず、アメリカやオランダなどの歴史学者も参加していたことだ。そして、そこで議論された内容も実に興味深いものであった。「日本と朝鮮の間の戦争だとの見方はやめるべきだ。」これはアメリカの学者の提案である。当時の中国を中心とした東アジアの状況で考えるべきだということである。あと、当時「朝鮮を攻めるのは実力者の共通認識であり、秀吉の狂気の沙汰と考えるのはおかしい」「当時の朝鮮の軍隊は国家の軍隊というよりは私兵である」「拉致した捕虜はのちの日朝交渉により返還された者もいたが悲惨な運命にあった場合もあった。」など、どれも初めて聞く衝撃的な説であった。これを日本の研究者だけが言ったとしたら幾分感情論が噴き出したかもしれないが、欧米の学者を含めてのシンポジウムでの発表であることが重要であると思える。
 「征韓論VS遣韓論」の問題も、議会や知事に振り回されることなく、研究者の実証的な解説に委ねるべきであると考える。わが国の威張りくさった政治家もすぐに「評価は歴史家に委ねる」と発言する。わが県の指導者たちもそういう冷静な姿勢を持っていただきたい。「歴史を書き換える」というのは相当に重要なことである。「政争の具」にだけはしてもらいたくない。
[PR]
Commented at 2006-06-29 16:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ska37o at 2006-06-29 20:54
ぼくは,今朝この新聞の記事を見て,伊藤を評価したのは間違いだったと思いました。もっとも,日本の政治家のレベルは,この程度ということなのかもしれませんね。ちょっと斜めに解釈すれば,「つくる会」の息のかかった県議が多い中で,県議会の大多数を占める政党の圧力ものすごいんだなぁと感じました。
by yksayyys | 2006-06-29 16:12 | 社会 | Comments(2)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


by yksayyys
プロフィールを見る
画像一覧