フィールドワーク下見から

 日曜日の下見を報告します。行けない人はこれで行った気になってください。
まずは護国神社からですが、神社本殿に向かって右側にたくさんの碑がありますのでそこを見学することになります。まず一番右が昭和天皇の歌碑で2つの歌が載っています。ひとつは「国のために命をささげた者たちよ安らかに眠れ」みたいなものでもう一つは毎月のように皇居のまわりを奉仕作業で掃除してくれる人たちに「あちこちから来てくれて私はうれしいよ」というようなものです。やっぱり天皇の神社だよなあということからスタートとなります。その横がミッドウェー戦没者慰霊碑で真っ正面に空母加賀乗組員慰霊碑が建っています。対米戦の岐路となった戦いだけにいろいろ考えてしまいます。その横が硫黄島戦闘の慰霊碑です。今映画が公開中だけに参加者も目を見張ると思われます。碑の記述は意外に事実をきちんと書いています。戦闘の前に病気や栄養失調で多くの死者が出たことが具体的に書かれています。また栗林連隊2万3千人のうち4千人は鹿児島県人の145連隊であったことなども紹介されています。その横は満蒙開拓義勇軍の戦死者の碑です。国策で満州に行かされ、敗戦間際で棄民となり死んでしまった者たちの碑です。そして、その横には警察殉職者の碑と消防殉職者の碑がありますが、消防の方は大戦末期の死者が多いようでしたが、空襲のせいではないかと思いました。
まあ、これだけ説明するだけで1時間くらいはかかるのではないでしょうか。次は南洲神社ですが、こないだの宿題の「朝鮮石」ですが、神社の人に聞いても「なぜここにあるのかわからない」ということでした。が、数年前に議員の人が来て「これは朝鮮のものだから返すべきだ」と言ったというエピソードを教えてくれました。「西郷さんの朝鮮討伐に関係するんでしょうかねえ。」とニッコリ言いましたが、「朝鮮討伐」とはすごい言葉を使うなあと驚きました。私が思うに、この石は「征韓論」を唱えた西郷のところに日清戦争か日露戦争の勝利の際に戦利品として持ち帰り神社に奉納したのではないかとも思いました。まあ、ここではそういう想像を働かせればいいのではないかと思います。あとは旅順陥落の記念碑ですが、これは陸軍大将であった西郷に陸軍が報告のために作ったのではないかと思います。
 両方を通じてのコメントですが、鹿児島の田舎の慰霊碑はだいたい戊辰戦争から第二次大戦までまとめて慰霊してあるのが普通なんですよね。でも、これは天皇制政府にとっては許されざる慰霊の方法なのです。なぜなら、西郷らは政府に逆らった「国賊」だからです。ですから、護国神社には決して祀られることはないのです。ただ、南洲神社における祀られ方の方がずっと丁寧のような気がします。勝海舟の「ぬれぎぬを・・」という碑が逆に「国賊」であった身を浮き上がらせているようです。ここでは、西郷の「負」の部分をきちんと予習していこうと思います。
まあ、ざっとこんな感じで合計2時間。十分な気がします。15日に原稿を持ち寄って資料作りです。まだまだ忙しいです。さっきプクプクさんに論文原稿を送ったばかりなのに・・・
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Commented by shin-pukupuku at 2007-02-07 20:39
 南京陥落の碑を確認に南州神社に行きましたが,ありませんでした。
私の思い違いだったのかもしれません。
Commented by ska37o at 2007-02-07 22:42
すげぇ!確かめに行ったんだ。さすが
by yksayyys | 2007-02-06 01:07 | 社会 | Comments(2)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


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