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アマノジャクはこう考える

ようやく書いた「育児休業体験記」

 頼まれていた「育児休業体験記」をようやく書き上げました。少し長いですが、貼り付けます。

1 取得まで
 私は2005年の12月から2006年の7月まで育児休業を経験した。育児休業を取ってみようと思った理由はいくつかある。ひとつは、当時1歳だった息子と「じっくり向き合ってみたい」と思ったことである。子どもが病気になるたびに妻と「どっちが休もうか」と相談する必要もなくなるし、産休・育休が続いた妻に「久しぶりに担任をさせてあげたい」という気持ちもあった。そして、もうひとつの理由は「現場を離れてみたい」というものであった。職に就いて18年間、四十路を迎えていろいろな壁にぶつかっていた自分としてはもう一度自分を見つめ直し、教育現場を外から眺めていたいという気持ちからである。学校長から市教委に問い合わせてもらったところ、「育休は連続して取ることになっているので難しい」ということであった。つまり、妻が育休終了の時点でそれを引き継ぐべきであったということであった。妻はその時点ではすでに復帰して10ヶ月を経過していた。したがって、「取得は困難」という声はあちこちから聞いていた。しかし、「取得するぞ」という気持ちを固めていた私は何度も校長に面会に行き、市教委にも何度も問い合わせてもらった。「なんとかなる」という根拠は県が出していた方針「男性の育児休業取得を推進する」という文言であった。「推進するには環境を整えるべき」と要求した。その要求は受け容れられた。11月の時点でOKが出たのである。11月18日に社会科の公開授業(九州中学校社会科研究大会)を終え、12月の成績処理も済ませて終業式当日から育休に入った。「なぜ終業式当日からか?」答えは「集会で挨拶をしたくなかった」からである。
2 一日の流れ
 朝起きて食事の準備をすることから1日がスタートする。それまでと違ってゆったりとしたリズムで始まる。妻が出勤した後、食事の片づけや洗濯物干し、掃除機をかけるなどしているとだいたい8時が過ぎてくる。その頃、車で娘を保育園に送っていく。最初の頃は、保育園の子ども達が「どうして、ゆうきちゃん(娘の名前)のおうちはお父さんばかりが来るの?」と不思議そうに言っていた。交替で送り迎えは珍しくないのですが、「お父さんばかり」というのはやはり珍しいようである。「お父さんがお休みでおうちにいるからだよ。」と答えるが、子ども達はピンと来ないようである。保育園を出てからはそのまま海岸近くの公園に向かった。目の前に海が広がり、砂浜や芝生がたっぷりと取ってある「まだ工事中」の公園である。そこで、1歳の息子とサッカーをしたり、追いかけっこをしたりして小一時間ほどを過ごす。ほとんど誰もいないことが多い。至福の時間である。その後は2時間ほどドライブに出かける。息子はこの時、眠ってしまうことが多い。私はそれを利用して本を読んだり、史跡巡りをしたりする。昼食は、出かけた先でパンを食べることが多かったように思う。一番多く訪ねたのは、やはり動物園であった。5回行ったと記憶している。何と言っても、200円という入場料が魅力である。それに、結構歩くので運動にもなるし、その疲れで息子は簡単に昼寝してくれる。午後は、近所の図書館に行ったりするが、息子と一緒に家で昼寝することも多かった。妻からは「昼寝している間にいろいろやって欲しい」と言われてはいたが、ついつい「一緒にうとうと・・・」としてしまうのである。 絵本もずいぶん読んだとは思うのだが、食事を作っている時とか掃除している時などはビデオを見せることもあった。そっちに集中してくれるのでこちらの仕事ははかどるのであるが、テレビ漬けになることの問題をあちこちで聞いていたのでちょっと反省している。 午後3時過ぎころになると、ずっと夕食のことばかり考えていた。楽しみなのである。みんなそうだとは思うが、家事で一番楽しいのは「食事を作る」ことである。別に大したものは作れないのだが、「食べる楽しみ」を考えると思わず力が入ってしまい、エンゲル係数が高くなりがちだったように思う。この時の影響からか、父の日の娘のメッセージは「いつもおいしい料理を作ってくれてありがとう。」だった。5時前には娘を保育園に迎えに行く。妻の帰りが遅い時は、そのまま公園に遊びに行くことも多かった。よく娘が「私もお休みしたい。」と駄々をこねるのでこういうサービスは大切である。夕食は妻が帰ってくる頃、ちょうど食べられるようにしておく。今でもそうだが、夕食の時だけは全員揃って食べるようにしている。食事後は、妻が子ども達を風呂に入れてそのまま3人で寝る。私は、食事の片づけと洗濯をした後、深夜本を読んでいた。育児休業中で読んだ本は50冊くらいだろうと思う。その中には育児本もあった。今でも売れている「子育てハッピーアドバイス」はかねて思っていたことを書いてくれているような気がした。
3 ジェンダーの始まり
 休業取得当初、よく妻と娘が口論をしていた。娘が「どうしてお母さんがご飯を作らないの」と食ってかかるのである。私と妻で「育児休業」の話をするのであるが、娘は「お母さんが作らないといけない。どこの家もそうだ。」と譲らない。おそらく、保育園の友達からいろいろ言われているのだろう。ただ、あまりにもしょっちゅう口論があるので、よく私は叱りつけた。妻は「根気よく話す」がモットーだが、私はすぐに短気を出す。反省はしているが、「叱る」場面も必要だとは思う。しかし、この口論も育児休業も1ヶ月を過ぎるころにはほとんどなくなった。それどころか後半は、雑用が見つかると娘が「お父さんにさせれば」と言うようにまでなった。いいのか悪いのか・・・
 あと、保育園のやりかたにも少し違和感はあった。着るものや履くものは男女で「色分け」されており、先生達から再三「男の子だから」「女の子だから」という言葉を聞いた。実際の保育園の生活にもそれが色濃く反映されていた。これについては、妻が奮闘した。 その保育園は小学校といっしょに「保幼小連携」の研究公開に向けて取り組んでいたのだが、公開当日全体会で妻は「ジェンダーについての研修を深めてもらいたい」と要望を出したという。反応は早く、保育園からは「研修をしたいので、講師を紹介してほしい」「ジェンダーフリーの絵本を揃えることにしました」と連絡があった。保育園の先生の中にも同様の考えを持っている人がいて、「共感」の手紙も来たりした。ただ、やはり「男らしさ、女らしさ」の刷り込みは相当早くから行われていると思ってよいのではないかと考える。「家庭できちんと」は確かにそうであるが、子ども達は集団の環境の中で育つので、私たち自身が保育園や学校教育とどう関わっていくかは大切なことのように思える。ただ、この問題は「けっこう敵を作る」ような気がした。「生き方」に関わるからであろうか。
4 学校を離れて
 この2年ほど、教師という職業に「行き詰まり」を感じていた。10年ほど前は「絶好調」の時期で、「天職」とまで思っていたのであるが、最近は様々な要因からストレスがたまり、「天職」ならぬ「転職」を考える日々が続いていた。柄にでもなく胃が痛み、学校のトイレで吐いたりすることさえあった。が、育児休業に入ってからはそういう体の変調は一切なくなった。それは、育児休業終了後も続き、心身ともに健康な状態が維持されている。それが、「現場を離れたから」かどうかはわからないが、「リフレッシュ」されたことは間違いないと思われる。育児休業の動機としては「不純」かも知れないが、結果としては子どものためにも良かったのではないかと考えている。あと、不思議なことに育児休業に入った途端に子どもは病気をしなくなった。同僚の分析によれば「親がそばにいる安心感からでしょうね」ということであった。そんなもんなんですね。
5 育児休業を終えて
 現場に復帰してもう半年が過ぎた。家庭も学校も「まあまあ」順調なような気がしています。反省の一番のポイントは「子どもにとってどうだったか」なのであるが、3歳になった息子はもちろん「良かった」とも「悪かった」とも言わない。きっと大きくなっても「覚えていない」だろうと思う。ただ、育児休業を取ったという事実はあるし、6歳になった娘ははっきり覚えているので、息子が大きくなったら機会をとらえて「おまえと一緒に・・・」という話をしようと思っている。そして、息子にもそういう経験をしてもらいたいとも考えている。その頃は「珍しい」と言われない時代になっているといいのだが・・・・ともかくも、無事育児休業を無事終えたことを妻をはじめとする多くの人に感謝したい。
 補足を2つ。まず1つ目。育児休業日記をブログという形でつけ続けた。私としてはけっこうマメにやったと思う。いつか子ども達にも見てもらいたいと思う。そして2つ目。育児休業は経済的にはけっこう大変である。休業2年目、3年目は無給なのだが、保険やローンなどは払い続けたので、「想像以上にきつかった」と妻が言っていた。
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Commented by yoitiy2 at 2007-03-18 22:08 x
この記事をかみしめながら2日かけて読みました。言葉ではいいつくせませんがアマノジャク様の思いや気持ちがものすごく伝わってきました。
またこのことについてお話できたらと思います。本当に「子供と真剣に向き合っている。命がけ。」という気迫が伝わってきました。
by yksayyys | 2007-03-17 19:29 | 育児・家庭 | Comments(1)