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アマノジャクはこう考える

オノ、ヨーコ

 トリノオリンピックの開会式でオノ・ヨーコが「平和への訴え」を行い、ラストに「イマジン」が合唱されたと報道された。マスコミは、ラストはイタリアの楽曲と決めつけていたらしくジョン・レノンの曲に一同驚いたという。しかし、「オリンピックらしい」選曲ではある。また、「イタリアらしい」ともテレビでは解説していた。イタリアでは今でも平和運動がさかんで平和を意味する「パーチェ」(おそらくPEACEの語源であろう)という言葉が街に散見されるという。ベルルスコーニという右派政権を持つイタリアではあるが、左派政権の歴史も長い(4月の総選挙 では下馬評有利)「懐の深い」国柄が影響しているのかもしれない。ちょうど5、6年前に小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」の中で「日本の平和ボケどもはイマジンでも歌って自己満足するのである。」と嘲笑していた。また、昨年香山リカはその著書「今どきの常識」ど中で「平和を唱えることが何か時代遅れで非現実的であるかのような雰囲気」を憂えていたのを思い出す。私の職場でもこういうできごとがあった。学校で使用している国語の教科書に「少年H」が掲載されていることに国語教師どうしで意見交換をしていた。「きちんと時間をかけてこの小説の背景となった時代を伝えたいです。」初老の女性教師が言った。それに対して20代の男性教師は言った。「こういうイデオロギー的に偏ったものを教科書に載せるべきではない。」 その男性教師の言い分は「平和を唱えることは一部の人々の無責任な言動である」ということである。「よくぞ俺のいる前で」・・私はそう思った。
 「平和を求める」ことはイデオロギーではない。普遍的な価値観であるはず。同じくイラクに軍隊を派遣したイタリアでのオノ・ヨーコの姿にその意を強くした。
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by yksayyys | 2006-02-13 23:53 | 社会 | Comments(0)