「株式会社 立命館」(講談社月刊現代5,6月号)より

 月刊現代の先月号、今月号と「株式会社 立命館」という連載特集が載った。立命館は私の母校である。連載の特集の感想の前に書いておきたいことがある。
 2回生の時、私の実家の会社はつぶれた。すぐに仕送りは途絶えた。「しょうがない」とすぐにアルバイト生活が始まったが、次第に大学の講義をさぼりはじめた。そんな時、ゼミの指導教官から呼び出しがあった。古代史の専門で山尾幸久という邪馬台国論争では大和説の急先鋒で知られ、「魏志倭人伝」などの著書も多い古代国家論の研究者であった。とは言っても、私にはさっぱり興味がわかず退屈な講義といえた。「厳格」でも知られた山尾さんからの呼び出しとあって私は「お叱り」覚悟で会いにいった。山尾さんは開口一番「最近、ゼミに顔を出さないが・・・」と聞いてきた。私は正直に答えた。すると山尾さんは、私に「学資貸与」という制度を紹介してくれた。授業料を卒業後に支払うという制度である。申込用紙も見せてくれた。私はその用紙を見て尋ねた。「所得証明がありますが、父は倒産まで社長でした。表向き高額になりますから無理だと思います。」すると山尾さんは「じゃあ、お母さんに手紙を書いてもらいなさい。できるだけ詳しいのを。私が何とかしますから。」そう答えた。その後、母は便箋にして10枚近くを使って家庭の窮状を綴って書類に添付してきた。その後の審査で私は提出者の中で2位という高順位で学資貸与を受けることになった。金額にして150万円余り!当時の立命館は私学では学費が安いことで有名であったが、その上この制度があったことで私は助かった。もちろん、日本育英会の奨学金ももらっていたが、この時の「救済」がなければ今のわたしはないだろうと確信する。のちにわかったことだが、山尾さんは「夜学出身でかなりの社会的辛酸をなめた」方であることを知った。「この学校にしてこの人あり」なのだろう。そういう意味で私は立命館に相当の恩義を感じている。
 さて、その立命館の最近の変貌ぶりは私たち卒業生にとってはただただ驚きである。「アカ大学」とまで言われていたのに、今や「株式会社」とまで言われるようになった。商売上手なうえに常に「変革の先取り」で私学の先頭を走っているかにみえる。しかし、このルポによればそこにはかなりの「無理」もあるようである。高校開設にあたってはあちこちの地域と軋轢も起こしているようである。もう私のいた立命館ではないとも言える。ただ、このルポで少し安心したのは「労働組合」の強さであった。十分なチェック機能を果たしているように思えた。学生時代、学内に響き渡る民青同盟のアジ演説を私は嫌った。あの独特の字体のビラも好きではなかった。しかし、「平和と民主主義」という校訓とは相容れない目標を掲げる校風には好感を持っていた。選挙では常に革新陣営に投票した。政党支持とは別な時点で、「革新的な校風」を支持していた。
 少子化を生き抜く「私学」はおそらく大変なのであろう。ただ、母校が「競争原理のみ」に邁進するのは嬉しくはない。まあ、もともと「・・・・愛」など持たぬ主義ではあるのだが!
 藤野さんが富山国際大学を解雇された理由も、私が考えるに藤野さんが国家を告発し続けた人物だからだろうと思う。あれだけのスター学者を切るということはそこにメリットがあるからである。私学助成との取引の匂いがしてならない。「大学の岐路」と言われて久しいが、最高学府はどこに流れていくのだろう。今のところ、良い流れにはみえないが・・・・
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Commented by よしい at 2008-05-11 00:52 x
君の下宿で
ゼミの発表の準備をしたね
日が暮れて外に出たら
雪が積もっていた
九州出身者同士で雪を見て喜んでいたのを覚えているよ。
ちょうどその頃かな。
そのときもう一つ覚えているのは、こたつの中に緑色のボールがあると思ったら……カビの生えたミカンだった。
Commented by アマノジャク at 2008-05-11 06:28 x
なつかしいな!よく覚えてるね。あの下宿に4年いたよ!
by yksayyys | 2008-05-10 22:24 | 読書 | Comments(2)