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アマノジャクはこう考える

なぜ子どもは死んだのか!

f0066076_190437.jpg川内の市街地を後に久美崎方面に出かけました。原発があるところであり、江戸時代までは薩摩の軍港として知られ「朝鮮侵略」に出兵する時の港として歴史家には有名です。その近くの小学校にこの「学童戦没者慰霊碑」がありました。この町外れの小さな集落で数名の小学生が米軍の銃撃で命を落としたのです。それはなぜか!「歴史地理教育」にも書きましたが、鹿児島は旧自治体の96市町村中94市町村が空襲を受けました。国内でこれほどきめ細かく空襲を受けたところはありません。「それはなぜか?」答えは「特攻基地」があったからです。この集落の川向かいの船間島というところに震洋の特攻基地があったのです。おそらく、小学校が司令部の役割を果たしていたのでしょう。奇しくも今日のM新聞に奄美に米軍関係者が調査に入ったことが報じられていました。戦時中に奄美の加計路麻付近で米軍機が撃墜され、それを島尾敏雄が葬ったということが島尾の著書で明らかになっています。「なぜ、加計路麻か!」そう、ここにも震洋の基地があったのです。鹿児島全体が要塞化するのに比例して米軍の爆撃も激しくなっていったのです。この碑は、これまで私が調べたいくつもの事実を証明するものでした。この子ども達も「英霊」だと「かの人々」は言うのでしょうか!次のフィールドワーク先は「学童疎開」関連の場所です。ここも被害者は「子ども」です。
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by yksayyys | 2008-05-18 19:17 | 社会 | Comments(0)