学童疎開の碑

f0066076_18393547.jpg旧宮之城町で写真の学童疎開の碑を見つけました。大戦末期、甑島と種子島は小2から小6の学童は強制的に疎開させられました。全国的にも「有無をも言わさない強制疎開」は珍しいと思います。目的は、「学童の安全」などではなく「予科練などの学徒兵の宿泊先確保」のためでした。疎開先としては、特攻基地など軍事拠点が少ない山間部の宮之城、入来、祁答院などに集中しているようです。この疎開の聞き取りを本にまとめた和田静子さんの話によると、この疎開先で学童達はかなりの「地獄」を味わったと聞いています。強引に引き離された親たちがこっそり船に乗り会いに行こうとして米軍潜水艦から攻撃を受けたという話も聞いています。この碑自体は送り先の甑島の自治体の首長が迎えた自治体にたいする「感謝の意」をこめて建立したものです。総勢450人とありました。今は2000人に満たない人口の村ですので、けっこうな数字だと思います。「強制疎開!!」もっと注目されていい事実だと思います。
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Commented by ska37o at 2008-06-02 16:28
種子島の子どもたちの疎開ですが,蒲生町にも相当数きていたようですよ。今でも蒲生小と種子島の小学校(中平じゃなかったかな?)交流があるようです。
by yksayyys | 2008-05-31 18:53 | 社会 | Comments(1)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


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