「ほっ」と。キャンペーン

ブログトップ

アマノジャクはこう考える

小笠原登の生き方

f0066076_21441044.jpg
大場登著「やがて私の時代が来る~小笠原登伝~」皓星社を読んでいます。小笠原登という人は、戦前ハンセン病患者に対する強制隔離政策を批判し「ハンセン病は治る」「ハンセン病は危険な伝染病ではない」「患者と家族に対する偏見・差別こそ問題」と唱え、国策とそれを支える大多数の医師と敢然と闘った京大の医師のことである。言葉だけでなく、実践として病院による外来治療により患者と接し、決して患者を当局に密告しなかった「勇気ある人」である。それゆえ、学会では袋だたきにあい、事実上ハンセン病医学界から「追放」の目にあった人でもある。しかし、本のタイトルにもあるように時代はまさに「小笠原の論」通りとなってしまい、隔離を唱え文化勲章を受章した光田健輔が糾弾される立場となってしまっている。今度の「ハンセン病問題の授業」ではこの小笠原に代表される「勇気ある医師」の存在も紹介しようと思っている。やはり、どんな時代にも「こういう人がいた」という事実は伝えるべきだと考えるからである。今後、何かの壁にぶつかった時に思い出す名前だろうと思う。ちなみにこの人が唯一勤めたハンセン病療養所が奄美和光園であった。亡くなったBさんが畑を作っていたあの和光園である。
[PR]
Commented by ska37o at 2008-06-16 12:35
はじめて,知りました。
読んでみようと思います。しかし,どんななときにも「おかしいことは,おかしい」と言う人がいたのですね。
Commented by あまのじゃく at 2008-06-16 15:00 x
それが救いですね!
Commented by みけりん at 2008-09-14 07:59 x
「やがて私の時代がくる」を読みました。ハンセン病を国辱病とする
全体主義のなかで、たった一人で闘ったその精神の強さに感動しました。彼自身はハンセン病政策の流れのなかで一本の棒くいのように立っているので精一杯だったわけだけど、弟子だった大谷藤郎氏の発言が裁判の流れを変え、孫弟子の和泉真蔵氏の発言が、療養所医師達の非人間的な漫然とした姿勢を糾弾したんですもんね。すごい医師達の系譜だと思います。彼と奄美で友人になった田中一村も、生前は世間に受け入れらない、しかし信念にあふれた魅力的な画家でした。不思議な縁ですね。ストイックで患者さんを思いやるやさしさにあふれた小笠原の精神的ルーツは、やはり祖父でしょうか。人の信念を支えるには、やはりそういう存在が必要だったろうと思いました。
by yksayyys | 2008-06-15 21:58 | 社会 | Comments(3)