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アマノジャクはこう考える

日韓の共同授業研究

 午後からは上越教育大学の実践センターに移動して日韓の「人権教育」の共同研究が行われました。メンバーは、韓国側から韓国教員大学校のK教授(韓国では相当の権威を持つ方のようです。角田房子の「閔妃暗殺」を韓国語訳しています。)と現職教員が小学校1人、中学校1人、あと通訳として上越に留学しているPさん、日本からは上越教育大学のUm先生、K先生と新潟大学のM先生、現職教員が附属小1名、附属中1名そして顧問としてこの交流の道を開いたN先生、そして「先行実践者」としての私の合計11名。会場に着いた時、N先生の顔を見てちょっと緊張しました。もちろん、歴史地理教育8月号のコメントが頭にあったからです。N先生もそれはわかっていたようで、少しその話をしかけたのですが、途中で会が始まりそのままになりました。あ、そうそう白樺湖の「N塾」に参加されたFさんのことを嬉しそうに話されていました。「あの人は鹿児島の秀才ですね。」とN先生が言われたので私は「そうです。頭の切れる人です。」と答えておきました。本当にそう思ってますから・・・・
 会は、Um先生の趣旨説明の後、具体的な話になっていきました。私たちが鹿児島でやっていたプロジェクトと違うところは「かなり中身をつめてから実践しよう」というところでした。鹿児島における「いじめ」や「ハンセン病」の授業は、「趣旨」を共有してあとは「それぞれがそれぞれの工夫で」というものが多かったように思います。が、今回は「日韓」「小中」という「共同」「比較」研究のため「できるだけ同じ教材・スタイルで」を追究し、「そのためにはできるだけ綿密な打ち合わせを」という方向になっていきました。そうなると、いきおい「先行実践がどうだったか」という話になり、後半はほとんど資料にある私の「授業報告書」の検討に時間が割かれたような気がしました。いやあ、嬉しかったですよ。役にたったわけですから。自分でもやらなかった「感想分析」を参加者皆さんがやってみるのを見て、あらためて実践研究における「感想」の大切さを思い知った気もしました。
 私は、列車の都合で午後4時すぎに中座しました。Um先生が駅まで送ってくれましたが車中では「とにかくこういう交流が重要なんだ」と言っていました。
 Um先生の言われる「交流」の意味は「同じことをやる」意味ではなく、「それぞれがそれぞれの場所でやっていることを交流する」ことにあります。「共通歴史教科書」も「出来るに越したことはないが、まずはおたがいの歴史を知ることが大切」と言っていました。が、この「人権教育」の授業はそこから一歩踏み出したもののような気がしました。日本が戦後63年、韓国が民主化から21年、それぞれの民主主義の歴史、スピードは違いますが、目指す方向はきわめて近いと思いました。たった2日間でしたが、そこで接した韓国のみなさんとの距離感は、私が親しくさせてもらっている日本の人達と何ら変わらない気がしました。やはり、「最後は人」なのだと思います。結論はそこにきました。
 生きてたらBさんもここにいたかも知れません。このプロジェクトの報告書には彼の名前と文章も載るようです。「やっぱり早すぎましたよBさん!」と帰りの車中から空を見上げて言いました。
 以上、新潟報告でした。
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by yksayyys | 2008-08-23 14:41 | 社会 | Comments(0)