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アマノジャクはこう考える

2017年 05月 14日 ( 1 )

今日の朝日新聞から~鷲田清一・木村草太・柄谷行人~

 今日の朝日新聞の朝刊は読み応えがあった。日曜日の朝は時間的余裕があるからそう感じるのかもしれないが、新聞側もそう思って「骨太」なコラムを用意しているのであろう。
 まず鷲田清一。毎日の朝刊で、まず読まないのが「社説」。あんなの読んでいたら朝の家事、通勤に影響してしまうし面白くない。時々読むのが「天声人語」。テーマによってサッと読んで、内容よりも文章の作り方にうなってしまうことがある。そして、忙しい時でもゴミ袋を脇に置いてでも読むのがこの鷲田の「折々のうた」。読みやすくて面白くて考えさせられる。昔の大岡信のものよりもぐっと身近になった気がする。その鷲田がこの「折々のうた」に関するインタビューを受けていた。「言葉」の大切さをわかりやすく話している。最近よく使用される「ポスト真実」という言葉について「そもそもこれまで真実などあったのか」と問いかける。だからこそ、「言葉」が大切になってくる。その通り。
 木村は書評で「道徳教育」について触れる。出だしの「批判することも道徳教育」の下りはまったく同感である。初任時代以来「押しつけ道徳」を見せられる度に思ってきたことである。紹介された本はどれも読んでみたいものばかりである。締めの文章は「道徳よりも論理」である。その通り。
 柄谷行人は大塚英志が書いた柳田國男、千葉徳爾を扱った「戦争と殺生の民俗学」について触れる。ドイツの民俗学がナチズムに回収されてしまうのに対し柳田の民俗学がそうならなかったのは「理科」だったからとある。言い換えれば「科学」であったということであろう。イデオロギーに支配されないために学問や研究は科学でなければならない。古くて新しい命題である。そして、民俗学は「経世済民」の学、つまり公民の学であるという。柳田の系譜が社会科とつながっているというのはそういうことである。プクプクさんは「私たちも柳田の弟子の流れにある」と教えてくれた。そう意識してみると「なるほど」と思うことは多い。社会科は公民のための学問。その通り。
 最後にあった千葉の「三島がやったのは切腹ではない」の下りはなるほどギョッとする。

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by yksayyys | 2017-05-14 08:57 | 社会 | Comments(1)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・