2017年 11月 16日 ( 4 )

別れ

 Hさんの通夜に行ってきました。中社研県大会の会場準備を終えた後、鹿児島市内まで車を走らせてきました。葬祭場は、中高生でいっぱいでした。現職教員56歳。まだまだやりたい事はいっぱいあったことでしょう。入り口で次男坊に会いました。私にとっては教え子になります。「元気してた?」の問いかけに彼は「昨日でした。(棺の中の父を)見てあげて下さい。」と答えました。何と無駄のない簡潔で美しい言葉でしょう。私は促されるままHさんの棺に歩を進めました。遺影はずいぶん若い頃のものでした。同じ音楽仲間のつれあいさんが好きな写真なのでしょう。素敵な笑顔でした。棺の中のHさんは、思っていたよりふっくらとした姿でした。生前、私たちがよく見ていた顔でした。
 私は遺影の写真を見てから駐車場に戻るまでずっと泣いていました。香典代のお札を準備するために(1万円札を崩すために)買ったファミマのハンカチがびしょ濡れになりました。
 帰ってからつれあいさんの挨拶状を読みました。「常に手本となる存在」「理想的な父親」とありました。ピアノはショパンが好きだったということです。「緑の山河」「組合歌」以外の演奏も聴いておけば良かったと思いました。
 私を大事にしてくれたHさんさようなら。ずいぶんつらい闘病生活だったようです。「かの地でゆっくり休んで欲しい」つれあいさんがそう挨拶状に書いていました。
 告別式に出たかったのですが、明日は中社研県大会。不義理をお許し下さい。

[PR]
by yksayyys | 2017-11-16 22:16 | 社会 | Comments(0)

どうぞ、研究授業へ

 12月15日に研究授業をすることにしました。3年に1回義務づけられている研究授業でもあり、小中一貫教育の取り組みのひとつでもあります。したがって、校区内の小学校にも案内がまわります。
 授業は歴史的分野の「中世の日本」ですが、具体的には「〇〇の中世」です。〇〇には勤務校の地名が入ります。久しぶりに地域史の研究授業に取り組みます。「通史の知識を活用しながら地域史を学ぶ」という内容にするつもりです。内容はまだまだ未定ですが、これから1ヶ月準備に励みます。参観を希望する方はどうぞおいで下さい。「公開」することで自分に鞭をあてたいと思います。12月15日5時間目ですので14時15分授業開始です。対象は1年生。なかなかの「強者」ぞろいのクラスです。昨日、その事を同僚に話したら異口同音に「私だったらあのクラスはやめておきます。」とのことでした。担任は「ありがたいです。私は研究授業は別のクラスでしましたけど!」と笑っていました。こないだの高校の授業を観て思いました。「やりやすいクラスでやるのはやめよう。あえてやりにくいクラスで。」
 ちなみに12月15日は娘の誕生日です。5日は私の誕生日ですが、その日はPTAの授業参観です。パールハーバーの8日は、小中交流学習でまた文化祭での劇を披露することになっています。12月も忙しくなりそうです。

[PR]
by yksayyys | 2017-11-16 04:07 | 学校 | Comments(3)

9人いない

 最近、勤務校では教職員の出張が多くて大変です。昨日は、8人が出張で1人が年休で9人いませんでした。病休による休職に対し、非常勤講師が来てはいますが、「授業だけ」ですので該当学年は大変です。昨日の午後は、2年部と3年部は1人ずつしかいませんでした。2クラスあるのに!さすがに気の毒で、他学年ではありましたが1時間自習監督を手伝いました。おかげで「空き時間」はなくなりましたが!
 原因は「行かなくてもよい出張が多すぎる」からです。おそらく教委から「この会に〇名出せ」と言われてその通り出すのだと思います。管理職も指導助言者等でいない事が多くなっています。こういう私も金曜日は中社研大会で1日休みますが・・・自習にはならないように振り替えてはあります。生徒達が落ち着かないのはそのような職員の体制に理由があるような気がします。「会あって甲斐なし」というところでしょうか。

[PR]
by yksayyys | 2017-11-16 03:54 | 学校 | Comments(1)

友人の訃報

 頭がガンガンして寝付けないところに先ほど訃報が入りました。前の支部の支部長でかつて同僚でもあったHさんです。3月にガンが見つかり闘病中だったようです。全然知りませんでした。初任校で最後の1年間一緒でした。二人とも組合員でしたが、その頃は分会の方針に対する考え方の違いからあまり接触はありませんでした。私の方が分会主流派で彼は未組の若者たちとつきあっていました。彼の「降りかかる火の粉はふりはらうが、それ以外の活動に興味はない。」の発言に反発した覚えがあります。しかし、5校目にN支部にお世話になる頃は彼は書記長、支部長を務め組合の中心にズドーンと座っていました。まさに「誰かのために全力で」走り回っていました。以前との違和感を正直に伝えた事がありました。彼は「その通り。まさか自分が専従になるとは!」と答えました。その後は、お互いに信頼関係で結ばれていたと思います。N支部の文化部長として私も支部執行委員として一緒に働きました。それとは別に、彼の学校に彼の要請で2度呼ばれました。最初は職員研修の講師として、2度目は生徒・保護者への講演の講師として。2度ともタイトルは「いじめをなくすために」でした。私たちが取り組んでいた「いじめの授業」の文献・資料を読み込んで心から賛同してくれた数少ない人でした。当時は、批判が多かったので有り難く思ったものです。異動してからは接触が少なくなりましたが、県教研のアトラクションに脚本を提供したのが唯一の恩返しだったのでしょうか。私が脚本に書いたBGMの曲を楽譜に作りかえたと聞いています。そう、彼は音楽の教師でもありました。
 昨日の夕方息を引き取られたとKさんからショートメールがありました。HさんとKさんは名コンビでした。この2人は私の前任校B中で同僚だったはずです。まさにN支部を二人三脚で支えていました。Kさんの悲しみは如何ばかりかと・・・
 今日、中社研大会の会場準備に目途がたった時点で、お通夜に向かおうと思います。そういえば、Hさんの息子には社会科を教えました。バスケ大好き少年でした。Hさんはバスケ部保護者会長として息子を支えていました。やんちゃな息子の事を「あいつは俺に似て・・」と笑って話していたのを覚えています。
 ご冥福をお祈りいたします。ブログをご覧のみなさまもくれぐれもお体にはご自愛下さい。

[PR]
by yksayyys | 2017-11-16 03:40 | 学校 | Comments(1)