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アマノジャクはこう考える

カテゴリ:読書( 439 )

 岩波新書の最新刊です。裁判官の「人間味あふれる日常」を裁判官本人が書いたものです。本の帯に山田洋次監督の「こんな裁判官がいる限りこの国の法曹界を信じたい」という言葉がありますが、まさにそう思わせる内容だと思います。この著者は藤沢周平と池波正太郎を愛読するだけあって庶民の哀感を大切にしていることがわかります。それが、裁判官の職務に結びついているところが何だかホッとするところです。法学者のUn先生が、口癖のように「最後は人だ」と言っていましたが、それを証明する本だと思います。まあ、そういう理屈をぬきにしても、裁判官の日常を知ることができるとてもわかりやすいユーモアあふれる内容です。岩波新書もずいぶん柔らかくなったなと思いました。
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by yksayyys | 2017-03-20 20:41 | 読書 | Comments(0)

 発売日にネット予約し、先週の月曜日の夜から「寝る前の読書」で読み進めています。私も初版100万部に協力していることになります。睡魔に襲われながらの読書なのでなかなか進みませんが、今第1巻の終わりあたりまできました。「今度のはあまり面白くないなあ」と思っていましたが、途中からだんだん面白くなってきました。そういう構成になっているのでしょう。個人的には、初期のシンプルな作品が好きでしたが、この頃は最近のものもそれなりに面白いと思えるようになりました。 
 「困ったな」と思うのは、息子が読んでいることです。「蜜蜂と遠雷」も私よりもずっと早く読み終わった息子ですが、今度もこっそり持ち出して私より早いペースで読み進めているようです。中1が読むには「ちょっと」という箇所がずいぶんあるのですが、読み始めたものはしょうがないかな!と放っておいていますが・・・・

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by yksayyys | 2017-03-05 10:56 | 読書 | Comments(2)

 日本史の新書としては異例のベストセラーである。10月下旬に発行され、4ヶ月で14万部を超えているという。中公新書では以前「黄金太閤」もヒットしたが、それ以来であろうか。私も11月初旬には購入していた。奥付を見ると発行して10日余りで再版となっているので、最初から売れ続けているということがわかる。そういえば、朝日新聞の日本史コラムも人気の磯田道史からこの本の著者に替わっているので今が旬の歴史学者なのかもしれない。確かに切り口は面白く、これまでの通史的理解とは距離を置いた叙述なので面白いとは思うのだが、読みやすいかというと新書が一般向けの啓蒙書と考えると決して読みやすいとは思えない。数多の人物名、事件名はひとつひとつ整理していかないと、次の史実と結びついていかない。「応仁の乱以降の歴史がわかればよい。それ以前の歴史は現在を理解するのにわかる必要がない。」という言葉はずいぶん前から知っていたが、どうやら内藤湖南の言葉だったようである。厳密にその言葉がそうということはないであろうが、ある程度の説得力はあるようである。
 この本は応仁の乱の記述を奈良の興福寺からスタートさせているが、日本の隅っこにいる私の地域の歴史にもいろいろ関わりはあるようである。自宅の最寄りの神社は春日神社である。興福寺(藤原氏の氏寺)ゆかりの神社なのできっとこのあたりは藤原氏の所領であったのであろう。また、坊津に近衛某が流されたという史実を聞いたことがある。坊津には一乗院という大きな寺があったが、一乗院は近衛家ゆかりの寺であるというから、そのつながりで坊津に流されたというのもわかる。なるほど、地域史と通史とのつながりを考えながら読んでいくとこういう日本史ものもなかなか面白い。ベストセラーとなった理由はきっと誰か専門家がうまく説明してくれることでしょう。(笑)

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by yksayyys | 2017-02-25 22:06 | 読書 | Comments(2)

 直木賞受賞の「蜜蜂と遠雷」がなかなか進まない(面白いのですが、何せ大部なので)ので、同時進行で読み始めたのがこの本です。岩宿遺跡発掘の相澤忠洋から発掘捏造の藤村新一までの「光と影の考古学界群像劇」です。著者の書いたものは、以前被差別部落や解放教育を扱ったものを読んだことがあります。いわゆる高学歴のインテリではない、人間味あふれるタッチのノンフィクション作家と言えるのではないかと思います。考古学というと私は、月に1回は会っている社会科のN会長を思い浮かべます。この本に出てくる「考古ボーイ」という言葉はまさにN会長のような人を指すのだろうと思います。遺跡や発掘の様子を話す時のあのいきいきとした表情に接する時、「そんなにも楽しいものだろうか」と思ってしまうものです。しかし、この本を読むとその熱気というものが痛いほどよくわかるような気がします。戦後、皇国史観から解き放たれた考古学は「そもそも日本人のルーツは?」を科学的につきつめるための魅力的な学問となりました。が、戦後まもなくまで日本には「縄文時代以前の旧石器時代というものは存在しない」のが常識だったそうです。そこに相澤忠洋が関東ローム層の中に打製石器を発見する。大発見中の大発見なのですが、学界というのは研究者の世界というのはそう簡単に「めでたしめでたし」とはいきません。このあたりは、私も少しは経験したような気がします。学閥であったり、研究者の縄張りであったりというものは今でも存在しますし、結構な「タテ社会」だなと感じることがあります。ただ、そんな中、芹沢長介をはじめとするアカデミズムの人間といわゆる考古ボーイたちがつながって、画期的な発見へとつながっていくストーリーは実に感動的だと言えます。・・・・それが後の「神の手」の事件につながるというところはやはりこの大宅壮一ノンフクション大賞受賞作家の「腕」というところでしょうか・・・・
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by yksayyys | 2017-02-14 20:45 | 読書 | Comments(1)

 直木賞受賞作品「蜜蜂と遠雷」は面白そうです。というか読み始めているので正確に言うと「面白い」です。やはり、私は文体よりはストーリーの方に惹かれるようです。500頁に及ぶ大作ですが、ワクワク、ドキドキの場面展開に身も心も躍っています。わかりやすい文章、スリリングな展開。私は大衆文学向きなのでしょう。眠る前の時間に読み進めることにしていますが、今からその時が楽しみです・・・
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by yksayyys | 2017-01-31 20:30 | 読書 | Comments(0)

 第156回芥川賞作品である。前回に引き続き芥川賞・直木賞作品を読むことにした。直木賞作品の方はずいぶん分厚かったので薄いこちらの方を読んだ。読むのに2時間とかからなかった。読むスピードはあまり速いほうではないのだが、それでもその程度だった。 
 読後感は「何が面白いのだろうか」のひとことであった。倉本聰が作った富良野塾二期生の1年間を二期生のひとりである著者が丹念に日常を描いたものであった。おそらくほとんどが本当の話なのであろう。だから、一貫したストーリーというものはなく、やたらと風景描写、状況描写が細かかった。ああ、これが純文学というものかとも思った。本の帯には「音楽を聴いているような小説」とあったが、そう言われてみるとそうかなあと・・・・
 次は直木賞作品。音楽を聴いているような、ではなく音楽を素材にした長編小説である。芥川賞作品は120頁くらいだったから4倍以上の長さである。しかも2段組。でも、こちらの方がハラハラドキドキで面白いような気がしている。

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by yksayyys | 2017-01-29 16:04 | 読書 | Comments(0)

 言わずと知れた「クローズアップ現代」のキャスターを務めた国谷さんのまさに「クローズアップ現代」を扱った著書です。私がこの本を読み進めながら思ったことは「国谷さんという人は日本人離れしたジャーナリストである」ということでした。でも、理由はおそらくとても簡単な事でした。国谷さんが外国育ちの帰国子女であったということです。語彙、知識ともに「日本語がよくわからない」という国谷さんにとって帰国子女ゆえの「ストレートな発想」と逆に「日本を知らねば」という意欲がこの番組を支えたのだろうと思います。この本の中にある「私はこういう力をつけた」「私はこういうことが出来るようになった」という断定調の言葉は「純日本」の人間からはなかなか出てこないのではないかと思いました。それだからこそ、世界の要人や日本のキーマンたちに臆することなくインタビューできたのでしょうし、多くの人々の支持と賞賛を得たのだろうと思います。こういう人たちはまだまだメディアの中にはたくさんいるのだろうと思いますし、そう信じたいと思います。
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by yksayyys | 2017-01-28 19:33 | 読書 | Comments(0)

桂太郎と参謀本部

 「国際化時代と『大正日本』」を読む中で「教科書的通史」の修正を必要とする記述もあった。桂太郎と参謀本部と書いたが、2つに直接的なつながりはない。
 桂太郎はこれまで「第一次護憲運動」で「閥族」の代表的人物として倒閣運動の対象となったこととして有名である。尾崎行雄が桂を批判した時の「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸と為す」の言葉は当時の国民を十分に鼓舞しただろうと思われる名セリフである。しかし、桂の実像はかなり違うようである。立憲政友会に対抗して立憲同志会という政党を作ったのは知っていたが、これまでの知識では「政党政治勢力をつぶすために官僚等を動員した政党」というイメージであった。伊藤博文が自由党、立憲改進党に対抗して立憲政友会を作ったのと同じ理由である。しかし、この立憲同志会は社会政策を掲げるなどかなり進歩的な考えを持つ政党であったようである。政友会の「利益誘導」体質に反発する勢力が結集した側面があるとのこと。後藤新平の入党は典型であるし、若槻礼次郎、加藤高明などかなり洗練された人物も結集していた。桂は倒閣運動によって首相を辞任し、のちガンで亡くなってしまい、この政党は加藤高明によって引き継がれていく。最後は民政党として2大政党に成長することにもなる。 
 統帥権の問題がのちの軍国主義の台頭を許す事になったとよく言われるが、その統帥権の元凶参謀本部が政府の統制から離れたのは実は桂内閣後の山本内閣の時である。山本内閣は、軍部の横暴を抑えるために陸軍大臣の現役武官制を廃止しその対象を退役軍人に対象を拡大した。退役軍人に軍部の命令は届かないために、それはそれで軍を抑える事に役立ったと思われる。が、その時に軍が組織改革を行い、軍の編成権など実質的権力を陸軍省から参謀本部に一括して集中したのである。軍の暴走を抑える政策が軍の暴走を許す改革につながったという皮肉な結果となったのである。
 

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by yksayyys | 2017-01-22 09:15 | 読書 | Comments(0)

 通史ものの中で最も読みやすいのはもちろん近現代史である。時代背景や用語が理解しやすいせいもあるし、何せ資料が豊富であり出てきた史料を素通りせずに読むことができる。ただし、戦後史くらいになると「同時代史」になってくるし、著者の思想・信条が(左右を問わず)明確になってイライラすることもある。ということで、明治から第二次大戦あたりまでが自分にとってはちょうど良い。その中でも「大正」という言葉にはどうも弱い。「大正」という名のつく本をすぐに買ってしまう。大学の卒論がそこだったからという理由もあるが、正確には興味・関心があったからそこを選んだというのが正しい。だいたい、あの卒論なんてゴミと一緒である。頭のいい中学生なら夏休みの宿題で書いてしまいそうな内容である。 
 そんなお気に入りの「大正」なのだが、最近「大正デモクラシー」という言葉をとんと聞かなくなった。「やっぱり」という感覚が私にはある。私の周囲の人々はほとんど「大正デモクラシー」を評価しない。理由はうなずけるものも多い。「デモクラシー」を唱えた人々がその後雪崩をうったように「ナショナリズム」の担い手となっていくからであり、その思想内容も「天皇制の枠内の民主主義」であるからである。あるいは外来の思想をそのまま直輸入した「民主主義」「社会主義」だったということもある。ただ、当時は世界中がそういう雰囲気にあったということは重要であると思う。「国際協調」というのは列強主導であれ、世界標準の考えであり「民族自立」もタテマエとはいえ理屈では十分まかり通っていた。ざっくり言うのははばかられるが、実に多様な形で、雰囲気として「人権」「民主主義」「平和」という雰囲気が日本や世界を覆っていた時代である。そこになにがしかの夢を託して考え動いていた人々の事を考えると何となく心が動いてしまうのである。
 私は、この時代と今がどう違っているのだろうと思うことがある。スマホやロケットなどの「文明の利器」はともかく人々の頭の中はこの頃とあまり変わっていないのではないかと。天皇、政党政治、財閥、右翼に左翼、メディア、警察、軍隊、女性、マイノリティ・・・この頃洋服を着てトンカツやカレーライスを食べて円本を読み、映画や芝居、落語、相撲、野球を楽しみ、デパートに買い物に行った庶民達。その人たちがその後軍国主義や独裁者に期待していった事と今の人たちが安倍やトランプに期待している事とどれほど大きな違いがあるというのか。今トランプの就任演説が批判の的となっているが、オバマの退任演説も「格調高い」と評価する声がある一方「またリベラルのお説教か」との批判も多いという。
 歴史の本は歴史の本で楽しみたいし、実際に楽しいのであるが、こういう世の中だとどうしてもそういう事を考えながら読んでしまう自分がいる。
 あと、様々なマイノリティが自らの不遇に気づき立ち上がる姿が何ともかっこいいのである。いつの世も「何もしない人々」の「評論」はうんざりするものである!

 ※ 最近、ようやくという感じで大正天皇の評伝が相次いでいる。が、評価はバラバラのようである。両「大帝」に挟まれ、扱われることが少なく「病気」のみが強調される気の毒なイメージであるが・・・

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by yksayyys | 2017-01-22 08:21 | 読書 | Comments(0)

 タイトルほどに軽い本ではありません。ただ、博識の社会学者の「言いたい放題」という面は確かにあります。しかし、このように原始・古代から近現代までの日本史を世界史を背景に縦横に語ることができる人はすごいなとも思います。
 興味を持ったのは、日本における「武士」の存在です。マルクス主義歴史観が強かった時代は武士が「革命集団」として扱われていたという風に聞いています。なるほど、自分のまわりにある著書や教材にそれを匂わす文献はたくさんあります。それがいつしか「残忍な人殺し集団」のように解されていったのも逆に面白いなと感じます。この本の中でも武士が「暴走族」や「暴力団」のように扱われる下りは、私にとってはとても説得力があります。近くにああいう集団がいればそんな風にしか思わないだろうなと思うからです。「武士道」なる言葉を美化して語るという行為もそういう流れを考えればおかしなものだなと思えてきます。
 読むほどに知識は増え、読むほどに知識が消えていく。そういう本です。それでも残った知識が自分にとって必要だったということでしょうか。

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by yksayyys | 2017-01-10 20:11 | 読書 | Comments(0)