カテゴリ:社会( 1833 )

民団と総連

 差別というものを知ったのは、すべてと言っていいほど大学時代を過ごした京都においてであった。まず入学時に大学で渡された「同和問題の手引き」というパンフレットを思い出す。鹿児島で過ごした18年間で一度も国内の差別問題について教えられた記憶はなかった。が、入学後関西や福岡、広島などの友人から部落差別や朝鮮人差別についていろいろな事を聞いた。差別を肯定する父親と殴り合いの喧嘩をしたという大阪の友人もいた。なお、京都という土地は川を隔てて「むこうは高級住宅街、こちらは被差別部落」という風にはっきりわかれていたり、この辺は「朝鮮人街」という風に町全体がそう呼ばれていたりと、普通に生活していても気づくような土地柄であった。ちなみに赤い鳥が歌った「竹田の子守歌」に出てくる「あの在所越えて」の在所は被差別部落のことであると森達也・デーブスペクター著「放送禁止歌」(解放出版社)に書いてあった。大学内でも「同和行政・同和教育」のありかたをめぐっての2つの勢力争いがあるのはすぐにわかったし、左右の対立以上にそちらの対立の方が激しいのがわかった。のちには、朝鮮人差別の話も耳に入るようになった。そういう活動をしている人の話では「部落差別は行政が面倒みてくれるが朝鮮人差別は放ったらかしや。差別の中にも差別があるんや。」と言っていた。そして、その朝鮮人団体にも「民団」と「総連」があった。
 私は、2回生の時に実家の会社が倒産して、バイトざんまいの生活が始まったが、一番長くやったのが清掃業のバイトであった。床を磨いてワックスをかけるという仕事であったが、仕事先のほとんどが隣保館と呼ばれる同和対策事業の建物であった。公民館だったり保育園だったりしたが、高層住宅の建ち並ぶ「同和地区」の中の建物が多かった。バイトの先輩が「こういう所の仕事は役所で左遷させられた人間のする仕事や。見てみい、いつ見ても将棋か囲碁かばかりやってるやろ。」と言われたのを鮮烈に覚えている。あと、ヤクザが経営するパチンコ会社の事務所にも掃除に行った。スリッパひとつ動かしてあっても大目玉を食らうという緊張を要する事務所であった。だいたい、休みの日に掃除はするので大目玉を食らったことはなかったが、事務所の正面に大きな「全斗換(チョンドファン)」韓国大統領の大きな写真と韓国政府の感謝状があるのに気づいた。上司に聞くと、パチンコの収益の一部を母国の韓国に送金しているのだという。つまり、そこのヤクザは在日朝鮮人なのだという。「パッチギ」でもわかるが、就職の機会に恵まれずヤクザとなった彼らにとっても母国は特別だという事がよくわかる光景であった。京都も南の方に行くと民団や総連の建物があったし、東山の方には朝鮮人学校もあった。
 その総連と民団が和解するのだという。新聞にもいくらかのコメントが載っていたが、「同胞」という呼び名にあるように自らの出自による「組織」に癒しを求める人は多い。私たちも海外に住めば、日本人どうしの交流が「支え」になる可能性が高い。母国の政治状況に左右されない「温かい」組織になれることを祈っている。そして、「差別」の状況が少しでも改善されることに「つながれば・・・・・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-18 22:46 | 社会 | Comments(2)

世界共和国

 柄谷行人の同名の著書を読みながら、「こういう本をずいぶん昔に読んだ気がするなあ」と思っていたら、今日思い出した。江口朴郎の「世界史の現段階と日本」(岩波書店)である。江口朴郎は歴史学研究会の委員長も務めた有名なマルクス主義西洋史学者で、日本史でいうところの石母田正みたいな存在の人であった。15年くらい前に亡くなり、追悼論文集も著作集も書棚に並んでいる。「帝国主義と民族」が代表作であるが、この「世界史の・・」はかなり晩年の著作であった。ちなみにまだ冷戦のころで、ゴルバチョフが登場した頃ではなかったかと思う。日本の首相は中曽根康弘、イギリスはサッチャー、ドイツはコールでアメリカはレーガンという「タカ派同盟」が幅を利かせていたころであった。江口はその本の中でそれまでの学術的発言とはちょっと違った事を書いていた。それがズバリ「いずれ世界はひとつになるのではないか」という内容であった。江口によれば「アメリカもソ連も歴史上類を見ないような広大な連邦国家である。多くの民族を抱えながらひとつの国を維持しているのは壮大な実験といえる。これはまさしく世界連邦への過渡期の形態である。」ということであった。確かこの本は結構話題になった。「あの江口が何を脳天気なことを・・」そういう反応だったように思う。数年のちに広松渉が「アジア共同体構想」を提示した時も似たような反応であった。が、私は純粋に「面白い」と思って読んだ。結局、歴史はそうは流れずに「冷戦終結」「民族紛争」「テロ」「アメリカ帝国主義」という風に流れていった。が、「アメリカの覇権主義」とは別の意味でグローバリズムは確実に進んでおり、人間の交流もどんどん国境を越えている。理想主義的に述べていた江口朴郎の発想には明らかに彼が専門とした第1次世界大戦後の「国際平和主義」があったように思う。
 世界連邦という意味では、EUはまさにその「実験中」である。それに比べて東アジアは何とキナ臭いことか・・・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-16 23:09 | 社会 | Comments(0)

年収

 友人からのメールで思い出したことがありました。先週会った政府系金融機関の友人は、今年収が1200万円くらいだと言っていました。現在の私は彼の半分くらい。同い歳とはいえ、「職種」と「昇進」と「本人の能力」と「運」でこれくらいの差が出て来るのはしょうがないことかも知れません。大学卒業の頃はいわゆる「バブル」で、民間企業全盛の頃で、大手企業から「飲ませ食わせ」の接待を受けながらいくつもの内定をもらう友人が周囲に結構いました。「売り」のない私にそういう経験はありませんでしたが、あの頃の景気だったら民間企業就職も「選ばなければ」可能だったかも知れません。卒業年度の今頃、同じ下宿の友人達と酒を飲みながら話したことを思い出します。経済、経営学部の友人たちはすでに「内定」をいくつももらっており、「どれにしようかな」という話をたっぷりと聞かされていました。文学部の私はその頃は公務員志望で、とりあえず教育実習に行かなきゃという時期でした。その酒宴で話題になったのは、何を基準に仕事を選ぶかということでした。「やりたいことや家庭サービスは少々我慢しても高給のために会社人間になって働かなきゃ」という2人と「自分や家族の時間を取るために低給でも」という2人に分かれましたが 、そこは「生き方の違い」ですので「議論した」というよりは「宣言しあった」という感じでした。ちなみに、前者の2人は銀行と大型電器店、後者の2人は教員(私)と法務省で更正保護の仕事(刑を終えた人の世話)をしています。この時の話を、生徒たちに「進路指導」の話としてすることがあります。価値観というのは「千差万別」で何がいいということは言えません。が、はっきりしているのは「その選択をして自分が後悔しないかどうか」ということじゃないかと思っています。公務員バッシングで給与はさらに減らされ、「エリート街道拒否」の身としては今後も上昇することは確実にありません。ただ、「気持ちよく」退職できるのではないかとも思っています。こうやって、みんな自分に言い聞かせるんですかね・・・
 ちなみに年収1200万円の友人も「かみさんの実家にはだいぶつぎ込んでいる。」と言っていました。「しょうがない、しょうがない」を天井を見上げながら連発していました。人にはそれぞれ
いろんな事情がありますから・・・「隣の芝生は・・・」とならないようにしたいものです。
[PR]
by yksayyys | 2006-05-15 12:27 | 社会 | Comments(0)

今朝のニュースから

「米軍再編合意」
 稲嶺沖縄県知事が政府案に同意したという。何が知事を「同意」させたのか定かではないが、岩国、鹿屋両市長は依然として反対。「裏で何かが動いている」としか思えない。
「ハンセン病判決から5年」
 朝日新聞に韓国のソロク島に関する記事が載っていた。植民地における台湾・韓国の問題は未だ未解決。先日はフィリピンの世界最大級の療養所の記事も載っていた。日本の「強制隔離」はきわめて特殊であったが、世界的に「隔離」が実施されていたことも忘れてはならない。「優生思想」はすぐにでも復活するし、今でもあちこちにあると思っている。
「小熊英二」
 朝日に「ナショナリズム」についての小熊のインタビューが載っていた。小熊は「今の動きはナショナリズムというよりはポピュリズムである」と言っている。かねて考えていたことをすべて代弁してくれたように思う。というよりは私が小熊の影響を強く受けている。
「教育基本法」
 今日、国会で審議に入るという。やはり朝日に教育基本法の特集が残っている。注目はやはり「制定前後の議論」である。60年前の議論から私たちの国はいったいどれだけ進歩したというのであろうか。森喜朗の発言はあまりにも「悲しい」。この人が元首相で現首相の後見人とは・・
「法律」
 今国会で審議されようとしている法案はどれもきな臭いものばかり。共謀罪法案に教育基本法改正、国民投票法案に米軍再編・・・政府高官曰く「各省庁が解決をねらっていっきに法案を提出してきた」とのこと。自公絶対多数のもと、強硬に押し切るのか・・・
「地方紙」
 地元新聞に見るべき記事がない。朝日がいいとは言わないが、コラムや文化欄などは確かに「読ませる」。やはり地方一紙独占はよくない。もうひとつ「批判」をスローガンに掲げるような地方紙が欲しい。鹿児島はすでに「翼賛体制」に入っている。先日の投稿にも「国に対しては厳しいが地方には甘い」とあった。国の記事は共同通信の配信であるから、結局・・・・・
 やめようかな・・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-11 12:28 | 社会 | Comments(0)

編集者と記者

 私が「論座」で楽しみにしている連載がある。雑誌の一番最後にある「わたしの戦後出版史」というインタビューものである。インタビューされているのは未来社の元編集者で現在影書房(季刊「前夜」を発行)の編集をしている松本昌次という人でインタビューしているのは講談社と小学館という大出版社の元編集者2人である。何が面白いかというと、とにかく出てくる「交流史」が面白い。未来社は「戦後思想」を得意とした出版社だと思うが、たった3人くらいでやっていたというのを聞いて驚く。でも、出版社ってそういうところが多いですよね。この松本さんは埴谷雄高と花田清輝の本が出したくて編集者になったと言う。私が今まで手にした本で「さっぱりわからなかった」本の著者がこの2人である。埴谷の「死霊」、花田の「復興期の精神」2つともいろいろな書物で名著にあげられていたので学生時代購入したのだが、試合開始直後の「大雨」といった感じであった。きっと「わかる人にはわかる手応えのある名著」なのであろう。私も文学部出身なのでそういう「編集」という仕事にあこがれていた。著名な作家や知識人と「本づくり」を話し合うなど「夢のような」仕事である。実際はいろいろ大変なのであろうが、端から見ているとかっこいい。学生時代の同窓にも1人編集者がいる。もういくつ会社を渡り歩いたかは忘れたが、とにかく今でも現役の編集者である。佐高信や有田芳生、水谷修、田中伸尚といった人たちと交流があり、彼のおかげで水谷さんと田中さんとは言葉を交わす機会を与えてもらった。彼もとてもいい仕事をしていると思う。学生時代はそんなに交流があったわけではないが、卒業後何かと連絡を取り合うようになった。「ジャーナリストの目」私は教師をやりながらそういう目を持っていたいと切に感じている。
 あと、「世界」で同じく学生時代の友人の動静を知った。「巨悪と闘っている」と感じた。彼は新聞記者。科学雑誌などに書きながら苦労して記者になった。学生時代のイメージと今の姿はあまり重ならないが、今は心から敬服している。
 そして、自分。彼らに何が語れるのか!?
[PR]
by yksayyys | 2006-05-11 00:15 | 社会 | Comments(0)

「保守」という立場

 朝日の「論座」を立ち読みし、岩波の「世界」を買ってきました。「論座」には今月も保守勢力の分裂の様相が描かれていました。教科書ネットの俵義文さんが「つくる会」の内紛の様子を、評論家の宮崎哲弥が保守という言説について文章を載せていました。「左」とか「右」とかいう言葉を使うのはもう時代遅れなのかもしれませんが、10年くらい前までは「左から右」にぶれる人はいくらでもいるのに「右から左」にぶれる人はほとんどいなかったと思います。確か、宮崎哲弥も以前は「保守の論客」と言われていたのを思い出します。それが、自由主義史観(今の「つくる会」の思考法)が出てくるあたりから「保守」論壇とは一線を画すようになりました。その宮崎がこれまでの保守は「・・・に対する保守」だったと言っています。言い得て妙だと思います。イデオロギーや理想主義的風潮に対しての「歯止め」としての保守だったということで「思想」というよりは「感性」「時間」みたいなものだったような気がします。また、政権も保守の中でも「軽武装経済重視主義」具体的には吉田、池田と続いた「イデオロギー色の弱い」宏池会系統が主流だったために「戦前には戻るまい」という安心感が国民にあったと思います。戦後おこなわれた「昭和史論争」においてもマルクス主義の色の強かった「昭和史」(岩波新書)に対し、評論家亀井勝一郎が「人間が登場しない歴史だ」と指摘したことはある意味で「庶民の実感」に根ざしたものだったと(私は)考えます。そういえば、以前は保守といえば亀井や小林秀雄、福田恒存などの文学者が代表していたものでしたが、今は社会科学者も大きな勢力となっています。「つくる会」の鹿児島支部長は水産学部の学者です。そういう意味で、保守が「理論形成」を図ろうとしている時代なんだろうと思います。政権も小泉にしろ安倍にしろ「タカ派」ですので、「私はこう思う」タイプで傲慢な姿勢が顕著な人々です。「論座」は分裂を強調しますが、「革新」はなやかなりし頃は路線闘争も激しかったように思います。思うに、「内紛」は勢いがある証拠のような気もします。
 ただ、私はどうもあの人たちの文章が好きになれません。「ソ連の手先」とか「売国奴」「非国民」など時代錯誤のレッテル貼りをこれでもかこれでもかと続けます。以前、我慢しながら藤岡信勝、西尾幹二、渡部昇一、谷沢永一らの著書を集中的に20冊ほど読んだことがありましたが、「プロパガンダ」以外の何ものでもありませんでした。私には、以前の「ちょっとついていけないなあ」くらいの抑制の利いた「保守」の方が好きです。
 そういう意味で、宮崎哲弥が言っていることはよくわかりました。俵さんはもともと「立場のはっきりしている」人なのでああいう文章になるのはよくわかります。でも、以前はこういうネタは「噂の真相」の独壇場でしたけどね。もう復刊しないのかあ。待っているんですけど・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-10 19:43 | 社会 | Comments(0)

「宗教史」後半に入るまえに

 先ほど息子が早めの「お昼寝タイム」に入り、おかげで「日本宗教史」を読み終えることができました。後半はあっという間でした。引用に入る前に、ふと自分と「宗教に関わる思い出」についていろいろ思い出しましたのでそれを書きたいと思います。私の周囲で最も「信心深い」イメージがあったのは亡くなった祖母です。毎月1日には必ず、神社にお参りしておみくじを引き、日曜日には教会に行って牧師さんの話を聞き、そして日蓮宗の信者でした。そう、何でもありでした。家の中も仏壇の中には位牌と並んで浄土真宗でもないのに阿弥陀様がいて、その横には「天照皇大神宮」のお札がありました。祖母の信心の理由は「祖先崇拝」と「病気の治癒」でした。ひどい喘息でしたのですがるような気持ちだったのでしょう。通い付けのお医者さんに拝んでいたすがたさえ見たことがあります。亡くなる前も「南無妙法蓮華経」と題目を唱えていました。私自身は浄土真宗に宗旨替えしたいのですが、祖母の姿を思い出すとそれもやりにくくなります。あと、学生時代を過ごした京都では下宿、バイト先を通じてよく「勧誘」を受けました。下宿に創価学会の熱心な信者がいてある集会に連れていかれてビデオを見せられました。バイト先では阿含宗の信者から護摩木をもらいました。あと、大学の行き帰りに細い道を通っていたので「手かざし」の人からよく呼び止められました。最近では、家を建てる時に身内から「風水」の話を聞かされました。タブーばかりの我が家ですので「心配でたまらない」と言ってもいました。そういう経験はありますが、結局「無宗教」というか「宗教無関心」でいます。かと言って宗教を否定する気には到底なれません。人間には「人智を超えたところ」の救済や奇跡を信じる要素が少なからずあると思いますし、それを信じることによる「安らぎ」を得られることもあると思います。働くことも休むことも「宗教」と無縁ではありません。明治期の社会主義者がほとんどキリスト教徒であったことや私の好きな河上肇が熱心な仏教徒であったこと、あるいは北一輝が日蓮宗の信者であったことも決して不思議なことではなく、「社会問題の解決」と「宗教的情熱」が分かちがたいものであることは日本の近代史にも顕著なことです。
 残念な事は、冷戦後この宗教が「戦争」や「テロ」の大きな要因になっていることです。この本にも若干触れられてはいますが、宗教にとっては「暴力」や「戦争」はひとつのエネルギーにもなると書かれてありました。私が入り込まないのもその辺に理由があります。
 ただ、思い出すひとりの人物がいます。前任校で知り合った浄土真宗のお坊さんなのですが、この青森生まれの方は会うと私に「今・・・・を読んでいるんだけど」と話しかけてくる人でしたが、ニーチェとかフーコーが好きな人でした。そして、異動間際に温泉で会った時は「聖書にはまっている。」とニコニコしていました。うまくは言えないですが、こういう「マージナル(境界)な人々」に希望があるような気がします。そういえば、一度も親鸞とか蓮如の話などしなかったなあ!!
[PR]
by yksayyys | 2006-05-08 11:20 | 社会 | Comments(1)

ジョン・レノン

 BSでジョン・レノンのドキュメント映画をやっていたので途中から見ました。衝撃の死から20年以上が経ちましたが、私はその時「ああ、そうなのか」としか思いませんでしたが、大学に入ってから何人もの友人から「あの時は泣いた」という話を聞いて「すごい人だったんだ」と思ったものでした。そして、福岡の友人からアルバムの解説を聞いて「イマジン」を購入したのを覚えています。今では、私が文化祭で作る劇のBGMの定番になっています。映画では、オノ・ヨーコとの出会いやビートルズの解散やポールとの確執などが生々しく描かれ「人間ジョン・レノン」が等身大で登場する佳作と理解しました。ジョンが死んだのは40歳なんだそうです。私は、41歳・・・何をしているんだろう俺!!
[PR]
by yksayyys | 2006-05-06 23:43 | 社会 | Comments(0)

ハウル、天球館、ガウディ

 昨夜、筑紫哲哉のニュース23で「筑紫哲哉と宮崎駿監督との対談」がありました。宮崎監督は「過疎化や少子化から見えてくるものがある」「子どもたちをしっかり見ていきたい」と言っていました。私がジブリの作品を真剣に観るようになたのは「もののけ姫」からですのでごくごく最近のことですが、観るたびに「奥が深いなあ」と感心しています。さて、最新作「ハウルの動く城」のまさにあの城は、私の考えるところ輝北町の「天球館」をモデルにしているのではないかと思います。あの独特の形状といい、立地環境といい「似すぎている」と思っています。今日、輝北町を車で通行しながら思いました。そういえば、天球館を設計した建築家はガウディの影響を強く受けた人として有名ですが、今日のNHKで「ガウディ建築」の特集をやっていました。以前からサグラダ・ファミリアなどの「異様な」建築のファンなのですが、グエル公園などの映像に魅入られてしまいました。ああいう曲線って何ともいえないですね。(私の家は直線ばっかりですが・・・)ガウディの分譲地が二件しか売れなかったという逸話がいかに彼が「先進的であった」を物語っているような気がします。ただ、ガウディは寂しい晩年を送り、鉄道か馬車かの事故で死んだと評伝に書いてありました。
 ちなみに未完のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は2030年に完成の予定だそうです。行ってみたいなあ。それまでに・・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-06 23:34 | 社会 | Comments(0)

郷中教育復活?

 先日、新聞に「郷中教育」復活をめざす取り組みが紹介されていた。島津一族の人をはじめ私の元同僚も熱心に活動している。郷中教育は、薩摩藩の武士の子弟を教育するやりかたで、少人数に組織し年長者が年少者に教えたり、議論を重視するという特色があると言われており、県教育界のお偉いさん達が講演で引用することも多い。しかし、私はある本を読んでからこの郷中教育はクセモノと考えている。その本は「少国民文化」といい、戦前・戦中にかけて教育関係者に向けてつくられた戦意高揚雑誌で名だたる文化人がいかに戦争賛美、戦争協力に舞い上がっていたかが嫌でもわかるシロモノである。その雑誌の1944(昭和19)年5月号に「薩藩の郷中教育」という投稿がある。書いているのは戦後県教育界で重鎮となったN氏でもしかしたらまだ生きているかもしれない。内容は、郷中教育を賛美し、当時の時局にまさにピッタリのものであると言っている。以下引用する。

「郷中教育の目的とする所は武士道の修養と強兵への錬成であった。米英の物量を恃む重圧をはねのけて現在の難局を打開し、大東亜戦争を完遂するために青少年学徒に要請されて居る事は同じく強兵への道である。時代は降り社会組織は異なるであろうが、明治維新において輝かしい成果をあげた郷中教育から我々は如何なる点を採用すべきであろうか。」
「先日、郷里鹿児島の友人からの手紙によれば、鹿児島に於いては真剣に郷中教育に注目が向けられ、如何にして郷中の精神を現在の時局に即応させるかについて真剣な研究が始められているという。私は、郷中教育のよき伝統を全日本の学校青少年団の組織に復活し活用させる時期は現在であり、それが又我々の重要な課題である事を痛感するのである。」

 現在「郷中教育」を推進している人たちにぜひ読んでほしい文章である。したがって、私は「郷中教育」によい印象を持っていない。理由はこの文章だけではない。例えば「年長者が威張っている」「説教が多い」「同調圧力が強い」などの鹿児島県人の特徴がここらにあるような気がしてならないからである。そして、その気風が学校の部活動、スポーツ少年団、自治会などに濃厚に残っている気がする。県出身者である和田勉や岡留安則が「鹿児島の気風は合わない」と言っている意味はよくわかる。「議を言うな(議論を尽くして決めた事に異議を唱えるなという意味らしいが実際は理屈を言うなという意味で使用されている)」は「多事争論」の対極にある。
 私は、大学を卒業する時に友人達に「鹿児島を変える」と宣言して教師になった。が、今のところ、「ドンキホーテ状態」である。相手にもされていないような・・・
[PR]
by yksayyys | 2006-05-04 08:50 | 社会 | Comments(3)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


by yksayyys
プロフィールを見る
画像一覧