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アマノジャクはこう考える

カテゴリ:社会( 1780 )

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ちょっと気になって2年前に撮影した近所の護国神社の慰霊碑の碑文を見たところ、やっぱり「大東亜戦争」でした。そして、建立は「明治百年」の1967年である昭和42年でした。この時期にあちこちに建てられたんだろうと思われます。そして、近くにあった「日露戦争戦没者慰霊碑」の碑文を書いているのは東郷平八郎でした。日本中の碑文を書かされたんでしょうね。ご苦労なことです。
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by yksayyys | 2006-02-27 00:02 | 社会 | Comments(1)

給与改革と桜島

 県が県庁横の土地を数十億円かけて購入するらしい。理由は、そこにマンション建設計画があり、計画通りマンションが建つと「県庁から桜島が見えなくなるから」らしい。私の周囲の人たちはほとんどが「ふざけるな」と言っている。「誰も桜島を見に県庁には行かない」「桜島が見たければそのビルを降りてこい」ごもっともな意見である。この怒りの背景にあるのは、先日発表された公務員(教員を含む)の給与改革の内容にある。簡単に言うと、給与体系を2つに分ける。ひとつは管理職コースで、これまで以上に手厚い給与となる。もうひとつは「ヒラ」コースで42歳で昇給はストップする。そして、どちらも評価制度(いわゆる査定)をもとにするというもの。
 「偉くなる覚悟のない奴は低い給料で我慢しろ」ということである。「民間に倣え」とよく言うが、本当にそれが好結果を産んでいるというのか!?多分、この制度は40歳以上の公務員のモチベーションを奪う。特に役職が階層的になっていない教員の世界ではそれが著しいといえる。そして、それこそが、上の人たちの「ねらい」である。「早く辞めてもらって新陳代謝を図る」そういう制度である。わかってはいても、今の時代状況、社会背景ではどうしようもない。労組の力も「落ちたものである。」その直後に、「眺望の確保に数十億円」では怒り心頭なのも当然である。
 給与にしろ雇用にしろ「安定」の何が悪いのか?

 マンション建設推進運動でもしたいものである。・・だからと言って数十億円は私たちには来ないか・・・・・「時代閉塞状況」という言葉を使ったのは啄木だっったような・・・
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by yksayyys | 2006-02-25 23:31 | 社会 | Comments(1)

フィールドワーク当日

 今日が「平和教育フィールドワーク」の当日でした。参加者13名で期待以上の人数でした。
が、私はデジカメを忘れる。ということで写真はなし。集合の後、自己紹介をして出発。予定していた車のうち1台がバッテリーの故障で動かず。私の車が出動となる。片づけておいて良かった。あとは場所ごとに
「多賀山公園」
 東郷平八郎の銅像の前で私が説明を行う。出発が20分おくれということで、急いでしゃべるが、私が早口の時はいつも「不評」。今日はどうだったかな。最後の東郷の「詰め襟」発言はウケる。なお、公園下の「鹿児島では超有名な百貨店」の社長・会長宅の壮麗さに一同驚く。
「牛島満の碑」
 沖縄守備軍司令官だった牛島満の碑の前で専従のKさんが説明。碑の横の会員名に鹿児島政財界のお歴々の名前がズラリ。少なくとも「〇〇〇新聞社」くらいはメディアとして遠慮してほしかったなあ。
「海軍格納庫跡」
 本日のメイン。当時のままの「実物」はここだけ。現在は、バス会社の倉庫となっているが、思ったよりもでかい。今も使っているわけだから、頑丈でもあるのだろう。ここを作ったがために、丘の上の見晴らしのよいミッション系の女子校が移転させられたという。ミッション系ゆえに「スパイがいる可能性あり」との理由・・・見晴らしがいいのも「非常時」には危険!?
「貴様と俺の碑」
 海軍航空隊の跡に「きさまとおーれーとーはー」の歌から「貴様と俺の碑」が建てられる。予科練の年端のいかない若者たちがここに集結させられた。
 
 どこに行っても違和感があったのが「大東亜戦争」の文字。どれも戦後しばらくたってからの建立なのだが、「アジア、太平洋戦争」「十五年戦争」の文字はない。「明治百年」前後のものが多いが、「明治百年」が何を狙って行われたイベントかが予想できる。
 あと、車中での会話がためになった。長崎出身の人が言った。「鹿児島の戦争関連遺跡は予習復習をしっかりしないと、妙な方向に引っ張られそうで・・・・」納得!!

 ともかく第1回は終了ということで・・・ちなみに小学生が1名参加。次は私も子どもを・・・
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by yksayyys | 2006-02-25 16:14 | 社会 | Comments(3)

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 私にとって弟子屈という地名は「学生時代の北海道旅行で友人がスピード違反で捕まった所」であり、「インターネットショッピングで頼むカニのお店がある町」です。そことこの町が姉妹盟約を結んだ理由がこの人「永山在兼」だそうです。釧路近辺の道路を造ったとか・・・北海道の開拓の中心人物はほとんど薩摩の出身と聞いたことがあります。そういえば「官有物払い下げ事件」で収賄関係にあった黒田清隆と五代友厚も薩摩閥。「だいぶ悪いことしたんじゃないかなあ」ついついそう考えてしまいます。
 この後、息子が眠たそうなので家に帰りました。午後はいよいよ「予防接種」です。
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by yksayyys | 2006-02-23 11:00 | 社会 | Comments(1)

今日は天気が良く、いつもの「親子サッカー」の後、町内の史跡めぐりをしました。
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 「日韓友好の塔」です。豊臣秀吉の朝鮮侵略の際、島津義弘が朝鮮人陶工を強制連行してきてから400年を記念して建てられたものです。彼らが「薩摩焼」をはじめて鹿児島の文化にとってなくてはならない存在ですが、強制連行の歴史は消えることはありません。なお、この碑の除幕にやってきたのが金大中拉致事件の時の首相金鐘泌でした。共通するのは「拉致」・・
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その近くにあるのが東郷茂徳記念館。強制連行された朝鮮人の末裔がA級戦犯になるという「歴史の皮肉」。建設の際には反対運動もありましたが、地元にとっては「郷土の偉人」。訪れる人もほとんどなく、有志ボランティアで運営されているようです。
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by yksayyys | 2006-02-23 10:48 | 社会 | Comments(1)

 画像を小さくする方法がようやくわかりました。見るのに時間がかかったみなさんすみませんでした。
 さて、先日図書館に息子を連れて行った際に、息子が途中で本より置いてある椅子に興味を持ち、そこからのジャンプを繰り返すようになったため、私も「付き合ってられない」と真後ろの本棚に目をやると子ども向けの「ギリシア神話」が目に入りちょっと読んでみました。そこで、「今さら聞きにくい質問」なのですが、ギリシア神話には「親殺し」「子殺し」あるいは「奇形」「妖怪」などおどろおどろした話がいっぱい詰まっています。・・・そう言えば日本の「古事記」「日本書紀」もそうです。品行方正な神はほとんど出てきませんし、「妖怪談」「復讐」のようなものばかり・・・
あまりにも共通の部分が多いのですが・・・・古事記、日本書紀の作者はギリシア神話をはじめ外国の神話を知っていたのでしょうか。それとも、知らなくても神話を考えるとだいたいこうなってしまうのでしょうか。「そんなことも知らないの?」とU先生に怒られそうですが・・・
もちろん、私も調べてみます。
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by yksayyys | 2006-02-18 03:38 | 社会 | Comments(0)

東郷平八郎と潜水艦

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公園サッカーの後、多賀山公園の東郷平八郎銅像の写真を撮りにいきました。
そして、錦江湾に目を投じてみるとなんと潜水艦が浮かんでいました。ギクッ
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by yksayyys | 2006-02-17 14:49 | 社会 | Comments(2)

オノ、ヨーコ

 トリノオリンピックの開会式でオノ・ヨーコが「平和への訴え」を行い、ラストに「イマジン」が合唱されたと報道された。マスコミは、ラストはイタリアの楽曲と決めつけていたらしくジョン・レノンの曲に一同驚いたという。しかし、「オリンピックらしい」選曲ではある。また、「イタリアらしい」ともテレビでは解説していた。イタリアでは今でも平和運動がさかんで平和を意味する「パーチェ」(おそらくPEACEの語源であろう)という言葉が街に散見されるという。ベルルスコーニという右派政権を持つイタリアではあるが、左派政権の歴史も長い(4月の総選挙 では下馬評有利)「懐の深い」国柄が影響しているのかもしれない。ちょうど5、6年前に小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」の中で「日本の平和ボケどもはイマジンでも歌って自己満足するのである。」と嘲笑していた。また、昨年香山リカはその著書「今どきの常識」ど中で「平和を唱えることが何か時代遅れで非現実的であるかのような雰囲気」を憂えていたのを思い出す。私の職場でもこういうできごとがあった。学校で使用している国語の教科書に「少年H」が掲載されていることに国語教師どうしで意見交換をしていた。「きちんと時間をかけてこの小説の背景となった時代を伝えたいです。」初老の女性教師が言った。それに対して20代の男性教師は言った。「こういうイデオロギー的に偏ったものを教科書に載せるべきではない。」 その男性教師の言い分は「平和を唱えることは一部の人々の無責任な言動である」ということである。「よくぞ俺のいる前で」・・私はそう思った。
 「平和を求める」ことはイデオロギーではない。普遍的な価値観であるはず。同じくイラクに軍隊を派遣したイタリアでのオノ・ヨーコの姿にその意を強くした。
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by yksayyys | 2006-02-13 23:53 | 社会 | Comments(0)

テロと東郷

 東郷平八郎についての面白いネタを見つけました。立花隆「天皇と東大」に出ていたものです。というより、歴史的事実なのでこの本によるオリジナルな発見というわけではないのですが・・1931(昭和6)年10月に「十月事件」というクーデター未遂事件が起きました。当時はほとんど隠されていた事件(陸海軍上層部がからんでいたので秘密にされ関係者の処分もきわめて甘かった)でしたが、のちの血盟団事件と5,15事件のメンバーはほとんどこの計画に加わっていたとされる事件です。どういう計画であったかというと次のようなものでした。「陸軍桜会(参謀本部の橋本欣五郎中佐を指導者とする)と民間の大川周明が中心になって立てたクーデター計画で、陸軍からは将校120人が参加し、霞ヶ浦航空隊から爆撃機を十数機を飛ばし、横須賀からは陸戦隊も参加することになっていた。まず、首相官邸の閣議を急襲して、首相以下全閣僚を斬殺する。それとともに、警視庁など20数カ所を襲撃して一挙に政権を倒すとともに、宮中に東郷元帥が参内し、新興勢力(クーデター派)に大命降下してもらうよう奏上する。」満州事変に連動して挙国一致体制を作り、石原完爾いうところの米国との「世界最終戦」に持っていこうとする壮大な計画でしたが、クーデター後の首相に予定していた荒木貞夫大将が決行直前に激怒し握りつぶしたというものでした。前述したように、東郷の役割は「クーデターを天皇に説明し理解してもらい、政権をクーデター派に渡すようにお願いする」というものである。「東郷はこの計画にどの程度関わったのだろうか」この疑問を佐藤国雄著「東郷平八郎元帥の晩年」(朝日新聞社)で確認したところ、側近の小笠原長生が決行9日前に情報を察知し、陸軍方面に連絡し、東郷にもそれを伝えたとある。つまり、「つぶす側」で動いたようである。そして、その功績から東郷と小笠原はさらに「陸海軍への勢力」を強め、陸海軍大臣の選任はおろか実質最高実力者といえる陸軍参謀総長、海軍軍令部長も一緒に替えようと画策し、半ば成功することになる。
 とにかく、クーデター派にとって東郷は「天皇に忠告、直訴できる唯一の人物」と見られていたようである。昭和天皇の教育係であり、国民的英雄であったが故に「担ぐには最適」だったということである。皮肉にも、これ以降東郷の「軍神化」はさらに進んでいく。
 ということで天気もいいことだし、子ども2人をつれて公園に遊びに行ってきます。(妻は、剣道の指導者講習会に行きました。)
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by yksayyys | 2006-02-12 09:34 | 社会 | Comments(1)

東郷平八郎

 友人に「東郷平八郎についての簡単な説明を2ページくらいで、平和教育の視点から」と頼まれて今考えているところです。東郷平八郎といえば「日露戦争の英雄」で外国の海軍は鹿児島に来ると必ず多賀山の銅像に献花に来るというくらいの人物なのですが、実像はといいますと
① 退役しかかったところを山本権兵衛(薩摩藩のちの首相)が「東郷は運のいい男」と天皇に推薦して急遽連合艦隊司令長官になった。②「東郷ターン」は当然部下の発案で「坂の上の雲」の秋山やそのまた下部士官のアイディアと言われる。③ロンドン海軍軍縮会議に圧力をかけ「艦隊派」にかつがれる。そのおかげでその後海軍は「航空機」戦略が遅れることになる。
④海軍が軍服をイギリス式のダブルボタンに変えようとしたところ、東郷の「わしは詰め襟でロシアに勝った」のひとことでそれまでの詰め襟となった。⑤昭和天皇の教育係であったが、「修身」だけに興味がありまた厳しかったという。⑥東郷の美談のほとんどは側近の小笠原長生の創作が多いと言われる。
 そんなところかな。頭の固いいかにも「薩摩の軍人」って感じですね。
誰か面白いネタないですか?
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by yksayyys | 2006-02-10 21:59 | 社会 | Comments(1)