カテゴリ:社会( 1797 )

「政治」の本

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 昨年暮れに、立花隆「天皇と東大」(文藝春秋)と並行して有馬学「帝国の昭和」(講談社)と原彬久「吉田茂」(岩波新書)を読んだ。時々こういうふうに同時代のものを並行して読むとかえって理解がすっきりしてくることがある。「帝国の昭和」は講談社の「日本の歴史」シリーズの第23巻であるが、昭和初期から敗戦までを「政治史的な見方」に絞って著述した本であった。結局、あの戦争は政治史的にみると、政党内あるいは軍部内の「政治力学」によって引き起こされ、混迷していったものであるとの見方である。これと、「岸信介」に続く原の政治家評伝「吉田茂」はその「政治力学」の中で吉田がどのような役割を果たしたかがよく見えてくる。そして、それに「天皇と東大」そして保坂正康「戦後の肖像」(中公文庫)をからめると、右翼や民間人の「あやしげな人物」が蠢いているのがわかる。「歴史は民衆が・・」という見方に賛同しながらも、そこに実際動く「人物」たちが大きな役割を果たしているのも事実である。どちらかに大きくぶれた物の見方をするとケガをするのではないかと思う。こういう本と先に述べた山田風太郎や永井荷風などの庶民の視線などが立体化された「先の大戦像」が大切なのではないか。小林よしのりや小泉純一郎のように「単純化」「一面化」しないことが「歴史の見方」であろう。「わかりやすさに潜む危険」に敏感でありたい。

 テレビを見たら「タイゾー先生」の結婚の話。映像の中に収録されていた女性記者の声が面白かった。「どうでもいいけどすごい話。」・・・どうでもいいことは軽く済ませてほしいのだが・・
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by yksayyys | 2006-03-15 13:14 | 社会 | Comments(1)

中野重治の至言

 今朝の朝日新聞の大江健三郎の連載コラムに大江の師渡辺一夫と作家中野重治の「往復書簡」のことが書かれてあった。渡辺の「ユマニスト」としての資質について多くの文章が割かれていたが、最後の中野重治の言葉が強烈な印象を残した。
「もっともあさはかなオプティミストたちが戦争をしかけたがっている以上、わたしたちペシミストは断固として進まねばならぬと思います。」
 以前、辛口の学者藤田省三がこう言っていた。
「戦前、モボとかモガとか言ってた連中は戦争になるとみんな戦争の旗振りをやっていた。だから、威勢のいい連中の言動を信用していない。」
 今の世の中を「安楽への全体主義」とよんでいた藤田ならではである。昨年の総選挙で大量に当選した小泉チルドレンに中野のいう「あさはかなオプティミスト」が多いようにみえる。大江は「ペシミスト」の一人として、このコラムで自身がノーベル賞受賞記念講演の演題とした「あいまいな日本」に強い警鐘を発し続けている。ユーゴ空爆の時に、ハーバーマスやソンダクなどリベラル知識人が空爆擁護発言を続ける中、ソンダクへの手紙という形で「空爆批判」を行った。
 大江がノーベル平和賞をもらったころ「戦後民主主義はすばらしい」ともてはやしていた「時代状況」が嘘のような「今」である。最近聞いた講演で「曲がり角は1999年だった」というのを聞いた。周辺事態法、国旗・国家法、住民台帳法・・・・危険な法律が次々に通った。あのニヤけた小渕首相のもとで・・・・・・
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by yksayyys | 2006-03-14 15:21 | 社会 | Comments(0)

NHKアーカイブスから

 昨夜、NHKアーカイブス「チャウシェスク政権崩壊」を観た。確か、16年前にも観たと思うが、実に衝撃的なドキュメントである。いわゆる「革命」というものがどのような経過をたどっていくのかが、生の、しかも迫力ある映像で展開されていく。世の中には、貴重な体験をするだけでなく、それを「記録しておこう」という執念を持つ人たちのおかげで「歴史」を語ることができるようになる。特に印象に残ったのが、冒頭のブカレストの共産党本部前の「大集会」である。チャウシェスク支持の大集会がいつのまにか「革命支持」の大集会に変わっていく。その際に指導者達の呼びかけに答える民衆の意志をともなう「どよめき」は、まさに「声ある声」である。怒濤のように押し寄せた、ベルリンの壁崩壊につながる「東欧革命」の象徴的な場面である。そして、救国戦線(臨時政府)と旧政府軍の「死闘」はまさに「息を飲む」展開となる。のちにチャウシェスクはスピード裁判で公開処刑されたが、この「死闘」のはげしさが「チャウシェスク憎し」を決定づけたものと予想される。フランス革命によるルイ16世・マリー・アントワネット夫妻、ロシア革命によるニコライ2世家族の処刑もこのような強烈な「革命VS反革命」の闘争あってのことであろうと思われる。ヨーロッパの国歌が「血なまぐさい革命歌」が多いのも、「国民国家成立に至る死闘を決して忘れまい」とする意思があるのではないかとも想像できる。NHKアーカイブスにはこのような「秀作ドキュメント」が詰まっている。民放の「腹の立つような」バラエティーの裏番組ゆえにそう思うのかも知れないが、「貴重な記録を残そうという人々の執念」に対して心よりエールを送りたい。
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by yksayyys | 2006-03-13 23:44 | 社会 | Comments(2)

宮崎学のウェブマガジン

 宮崎学のウェブマガジンが創刊しました。http://moura.jp/scoop-e/chokugen/です。
タイトルは「直言」結構面白そうでしたので紹介しておきます。じゃあ、私はこれから見ます。
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by yksayyys | 2006-03-11 23:06 | 社会 | Comments(2)

会議疲れ

 今日は一日、組合の会議。最近、会議は疲れます。特に今日は「どうして決まったことができないのか」と注意を受けることの多い内容。落書きをしたり、妄想に耽ったり・・・司会役の人はきっとイライラしてただろうなと思います。30歳代までは、「言いたいことを言いたいだけ言う」私は会議が大好きでしたが、最近は「言ってもしようがないことは言わない」ようになってしまい、「これだ」と思ったことだけしかメモも取らなくなりました。年なのか意欲の低下なのか・・・・
 今、自宅に帰り息子に夕食を食べさせたところです。妻と娘は保育園の「卒園祝い」に出かけています。とりあえず、息子を風呂に入れ、寝かしつけたいと思います。もし、起きてくることができたら会議中に考えていた事を書きます。起きてこなかったらお休みなさい。
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by yksayyys | 2006-03-11 20:11 | 社会 | Comments(1)

串木野慰霊塔

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 串木野神社の慰霊塔を見に行く。慰霊塔建立は1986(昭和61)年。中曽根内閣の頃。さすがに日中戦争、太平洋戦争の言葉が使ってあるが、ちゃっかり太平洋戦争の文字の横に(大東亜戦争)と注意書き。塔の横の名簿には「支那事変と大東亜戦争」。やっぱり!!
 ここで一句「すきあらば やっぱり顔出す 大東亜」・・・・エヘ!!!
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by yksayyys | 2006-03-10 19:16 | 社会 | Comments(1)

白尾さん

 今朝の朝刊に白尾さんの文章が載っていた。連載されているものだが、今日は「学級崩壊の経験」が書かれてあった。白尾さんといえば、鹿児島を代表する小学校社会科教師である。私など、白尾さんが研究会で発した発言が「数日後にようやくわかる」ということがよくあった。いつも「遙か先を歩いている人」である。その白尾さんが語る「失敗談」。妻と2人で「白尾さんもそういう経験があるんだね。」と語り合った。それもつい数年前の話。ずっと前に民法学者の采女さんが「失敗は理論化されてからはじめて人前で語る意味を持つ。」と福岡行きの列車の中で語っていた。思い出話に「よく私も生徒を叩きました。ワッハッハ。」という類は言語道断ということであろう。そういう意味で白尾さんは常に「失敗を精神的にも理論的にも乗り越えて歩んできた人」なんだろうなあと思う。いつまでも教室で子ども達と一緒にいてほしい人である。でも、タイガース好きの「野球小僧」でもある。そこがまたいいんですよね。
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by yksayyys | 2006-03-10 08:36 | 社会 | Comments(1)

教育基本法が出来た頃

 組合の教育研究集会で基調報告をするために「教育基本法の成立過程」を調べたことがある。教育関連学会の合同シンポジウムや堀尾輝久の著書など4,5冊の本を読んだが、その中で印象に残った内容を4つ紹介したい。

「なぜ、制定されたのか」
 理由は明快であった。「教育勅語の復活を防ぐため」!私は最初「良い内容であっても、心に関わる内容の法律がどうして戦後に必要だったのか?」と思っていた。何かと「お節介な法令」が多い教育分野だけに余計にそういう思いがあった。が、成立の委員会論議の中の次のセリフを読んで納得がいった。「日本人は何だかんだ言っても、きっとすぐに教育勅語を懐かしんで復活させようとするに違いない。そうならないためにも、その歯止めとしてこの法律が必要なんです。」・・・・・まさに今がそうである。昨年、私は県の教科書選定審議委員の仕事をした。「極秘」の任務ですべてが「秘密裡」に実施されたが、委員の中に川辺町の教育長がいた。そう、川辺町は町の文集に教育勅語を載せた町。なぜ、彼が「地方教育行政の代表」として選ばれたのか?何かしらの意図を感じざるをえない。
「押しつけか?」
 憲法が「アメリカに押しつけられた」と常に批判にさらされるのに対し、教育基本法はどうであったか。制定委員長であった南原繁は言う。「この法律は純粋に日本人だけの手で作られたと言ってもいいと思う。実際、GHQの関与はほとんどなかった。」憲法が出来た後とはいえ、純国産である意味は大きい。「ほとんどなかった」という中で唯一介入があったのは、「男女共学」の項目であった。ここだけはGHQの意見が介在した。介在した人物は、憲法の男女平等で登場したベアテ、ゴードン、シロタ女史であった。
「議論の中心」
 もっとも議論が伯仲したのは「教育の目的を何に置くか」であった。意見がわかれたのは、「人格の完成」に置くか「人間性の開発」におくかであったが、「より道徳的な香りがしない」ということで「人格の完成」に決まったそうである。しかし、私はどう考えても「人格の完成」の方が道徳的な気がする。「人間性の開発」の方が多様性を含めて良かったような気がする。おそらく、委員の中に「オールドリベラリスト」「人格教養主義」と言われた人物が多かったことがその理由だと思われる。

 上記の内容をメインにしたこの基調報告、自分としては「いい出来」だと思ったが聞いている人たちはどうだったかなあ。
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by yksayyys | 2006-03-09 01:02 | 社会 | Comments(1)

太郎太郎祭り

日曜日に串木野市の羽島崎神社の「太郎太郎祭」を見に行く。5歳の男の子のお祝いをする行事とのこと。今まで聞いたことのない行事だったが、到着してびっくり。すごい人だかり。田舎の漁村にもかかわらず、500人はいたであろうか。各新聞社もずらり。明日の朝刊に載るのであろう。まずは、神事。社の中でお払い、玉串奉奠が行われる。国会議員もわざわざ来ている。肝腎の子ども達は、羽織袴を着せられ、親に抱かれて神事を見守っている。退屈であろうに・・
 大勢の観客は、神事の間ずっと広場で待っている。外での催しがメインなのであろう。
 長い神事が終了し、放送がある。五穀豊穣と大漁を祈る儀式でもあるこの行事は「漁のお祭り」と「田の祭り」の2部構成になっているらしい。まずは、親に抱かれた子どもたちが、帆掛け船を持って、広場を行進する。帆掛け船には小さな米袋が次々に入れられていく。その後ろに「漁師」と見られる集団が2列渋滞で並んで歩いている。子どもたちが退場した後、漁師の集団が「舟唄」を歌い出す。掛け合いになっており、前3列と後ろ7列が交互に、あるいは重なり合いながら歌う。長い長い、30分以上は優にあった。よくぞ、こんなに長い唄を覚えたものだ。妻の解説によると、この唄の歌詞は歌う本人たち以外には誰にも教えてはならない決まりになっているそうだ。町外れのこの漁村では、そうやって村人の団結を図ったのだろう。隊列の近くで「保存会長」らしき人が地面を見つめながら腕組みして立っている。歌詞に間違いがないか確かめているようである。終了は、その長老の拍手でわかった。隊列の終了後、農民らしき格好の2人が広場に飛び出す。何やら漫才みたいなことをやりだす。場内はわっと笑いに包まれる。厳粛な「船唄」のあとの「お笑い」。能と狂言のような取り合わせである。私たち親子の後ろでは、牛の格好をしたおじいちゃんが出番を待っている。会場に歩いて来る間に、「牛が場内を一周する」と言っていたが、この事だったのかと合点がいく。ところが、この牛を見てうちの娘が突然ガクガク手をふるわせる「こわいよお。」私が「お面をかぶったおじいちゃんだよ。」と言っても変わらず震えている。その牛が、一人の農民に連れられて場内にはいると、娘は一気に泣き出す。場内が「大笑い」なのとは対照的。やむなく退散。屋台のだんご、とうもろこし、わたあめを買って車の中で食べる。娘に「何が怖かった」と聞くと「黒いのが怖かった」という。色で怖がるのか。ちょっと複雑・・・・・・ほどなく会場から大量の人の流れ。牛の登場で終了だったようである。夜は子ども達の家庭それぞれでお祝いの宴だそうである。小さい集落の割には「5歳の男の子だけで優に15人以上はいる。妻にその理由を聞いたところ、東京や大阪に行っている人たちもすべて集落出身者は呼び寄せるらしい。一人一人の名前を書いた幟が神社の入り口から並んでいたが、子どもを持つ親も大変である。焼酎の臭いのたちこめる集落を後に帰宅する。なかなか面白い「お祭り」であった。が、準備やそれにかける時間やお金を考えた時、住んでいる地域にそういう行事がなくてよかったとホッとする。・・・そういう気持ちが伝統行事を廃れさせていくんでしょうけど・・・・
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by yksayyys | 2006-03-06 05:08 | 社会 | Comments(1)

「廃仏毀釈」と「お田植え祭り」

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 「鹿児島県の歴史散歩」を読んでいると「廃仏毀釈」という言葉を再三目にする。薩摩藩が徹底して寺や仏像を破壊したのは周知の事実であるが、「文化大革命」や「アルカイダ」に匹敵する「文化破壊」の大罪であるように思える。そして、思い立ったように先日訪ねた深固院を再訪する。今日は近づいて見たせいで、あるある「壊された仏像」が、、、全部で7,8体、腕がないもの、首がないものなど・・・周囲の墓の年代を見てみると「文政年間」二百年以上前。なのにこの荒れよう。寂しい思いでこの地を去る。次に向かったのは近くの稲荷神社。朝の町内放送で「お田植え祭り」があると言っていた。行ってみると、広くはない境内におよそ200人近い人、人、人・・・・・平均年齢は70歳とみた。祝詞が始まるが、理解できたのは「サルタヒコ」と「スメラミコト」だけ。全体としては、意味不明。「五穀豊穣」を祈っているのであろう。肝腎の「お田植え」の行事の前に、息子がくしゃみをし出す。急に冷え込んで寒いのであろう。もう少し見たい気もしたが、「子ども第一」と帰ることにする。帰る途中で、参拝客が多い理由がわかる。警備員の人同士がしゃべっていた。「みんなお楽しみ抽選会目当てよなあ。」「抽選会が始まってから人が増えたもんなあ。」・・まあ、そんなところでしょう。さあ、息子に昼食を食べさせ寝かしつけて、貯まった仕事を・・・
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by yksayyys | 2006-03-03 13:41 | 社会 | Comments(1)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


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