カテゴリ:社会( 1797 )

戦中日記

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 原稿の書き直し、2歳の子どもがいるとなかなか進みません。ということで、昼食をはさんで休憩しています。昨日の「前夜」の渡辺一夫の日記で思いついたように敗戦前後の日記をいくつか読んでみる。手っ取り早いのは集英社文庫の「太平洋戦争ー兵士と市民の記録ー」。火野葦兵、太宰治、吉田満などの日記を見ることができる。清沢洌の文章が冷静で「さすが反骨のジャーナリスト」と思わせる。昨年出た、久野収らと「世界文化」などで活躍した人民戦線派の中井英夫による「中井英夫戦中日記彼方より」も文学的表現が多く面白い。しかし、何と言っても山田風太郎「戦中派不戦日記」(講談社文庫)がピカイチであろう。「伊賀忍法帖」「魔界転生」の作者が医学生として迎えた戦前、戦中、戦後の日記は実に「生々しい」。山田が「反戦」であるかどうかは検討の余地があるが(「再び富国強兵をめざせ」と書いていたりする・・・)、周囲を冷静に観察しているのは間違いない。特に、8月15日前後混乱する周囲を「落ち着いて見回す」視線がいい。被差別部落の活動家を描いた「近代の奈落」にも戦争を迎えて「一億総皇民化」に流れる者たちが多いのを見ると、「反戦」「非戦」「不戦」それぞれの道がいかに厳しいものであったかがわかる。しかし、そのようななかにも「多様な人々」が「多様な考え、感慨」を持っていたことは決して忘れてはならない。反骨の思想家藤田省三が8年前、今を予想して「安楽への全体主義」と危惧したことも・・・・・さあ、原稿の書き直しを・・・息子が絵本に夢中になっている間に!!
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by yksayyys | 2006-03-01 12:41 | 社会 | Comments(1)

伊集院にて

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車を走らせて伊集院へ。伊集院は「島津、島津」とうるさいところなので、そこは外す。まずは護国神社、鳥居の横に「日露戦争戦没者慰霊塔」題字はやはり東郷平八郎。ご苦労様です。鳥居をくぐると、右手に大きな碑。読んでみると「満州支那事変大東亜戦争従軍祈念碑」。私たちが「15年戦争」と呼んでいる戦争が立場を変えると「満州支那事変」となるのか・・・建立はやはり「明治百年」に近い1968(昭和43)年。この碑の特徴は「慰霊」ではなく「従軍記念」となっているところ。したがって、碑を支える台石には「戦没者」だけでなく「生存者」もその名が彫られてある。駐車場に車がいっぱいあったのに人がいない。理由は簡単、近くのハローワークに来ている人が勝手に停めているようです。まだまだ地方は「不況」です。ひとりのおじさんが、境内のゴミを拾ってバイクで帰る。管理を任されている人なのであろう。帰りに近くの公園によるとザビエルの像。島津義弘と会見した城のあったところ。目の前ではおじいちゃん、おばあちゃん達がグランドゴルフ!!
 さあ、早く帰ってSさんへの原稿を仕上げないと・・・明日には送れるように!!!
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by yksayyys | 2006-02-28 13:28 | 社会 | Comments(1)

日吉探索(2)「乳とだんご」

 役場からもらったマップを手に「深固院」という寺跡をめざす。山間にようやく見つけた寺の入り口に地蔵がある。その名は「乳地蔵」とのこと。ここで拝むと母乳がたくさん出るとのこと。案内板の「今は訪れる者もなく」の表現がおかしかった。役場がそう書くことはないのに・・・
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 そして、ようやく深固院につく。ここは「しんこだんご発祥の地」なのであります。お寺の和尚さんが飢饉から逃れるために考え出したとのこと。古い仏像や石碑が無造作に置かれていました。結構歴史がありそうでこんな所に放置しておくのはもったいない気がする。近くで写真を撮りたかったのだが、駐車場に布団を敷いて寝ている「変なおじさん」(車の中に鍋、やかんの類)がいたため近づくのは遠慮する。・・・・携帯電話が鳴る。勤務校の同僚からで来年の年間計画に「嫌な行事がてんこ盛り」とのこと。ささやかな知恵を授けた直後、携帯の電池切れ。
「頼りにしてくれる」人が1人でもいることは幸せである。

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by yksayyys | 2006-02-28 13:03 | 社会 | Comments(1)

日吉探索(1)2カ所の慰霊

 天気が悪いため、思いつきで「今日は隣の日吉地区を探索しよう」と決める。まずは「慰霊塔」。役場で「護国神社は?」と聞くと「ない」とのこと。「慰霊塔は?」と聞くと「ほら、あそこ」と役場の庭を指さす。あった。すべて、質問に対する返事は受付奥のメガネをかけたおばさん。「物知り」なんでしょう。私とのやりとり、大声すぎて職員一同みんな見ていた。
 早速外に出ると、よくあるタイプの形の慰霊塔がある。碑文は「差し障りのない文章」滅私奉公のものには変わりはないが、「大東亜」とかの言葉はない。建立は1974(昭和49)年。たぶん文章にかなり気をつかいだした頃なのではと推測する。
 その後、ある山の小高い丘の公園に行く。ここは「8,6水害」の年にあった台風による地滑りで全滅した集落の跡。死者も多く出た。事故直後によく現場を見たが、つぶされた家の姿が「凄惨そのもの」であった。親子で合掌。f0066076_12511171.jpgf0066076_1251406.jpg
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by yksayyys | 2006-02-28 12:51 | 社会 | Comments(1)

国体護持とさざれ石

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 この神社の奉賛会の文章です。ずばり「国体護持」を目的とした会なんだそうです。そして、「さざれ石」。丁寧な解説つき。そういえば、霧島神宮にもあったなあ。鹿児島に何十年も生活していて初めて来ましたが、驚きの連続でした。「非国民」は早々に退散して、息子との公園で「鬼ごっこ」をしました。
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by yksayyys | 2006-02-27 15:49 | 社会 | Comments(0)

満蒙開拓団、台湾歩兵、145連隊

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境内横の広場にならぶ慰霊碑の数々。まずは、「満蒙開拓義勇軍」の碑。貧乏県の鹿児島からは数多くの人間が行ったようですが、この人たちも護国神社に祀られるんですね。国策だからですかね。「軍」だし・・・次は「台湾歩兵」の碑。台湾統治は薩摩が中心でしたが、そのせいで兵隊も多かったんでしょう。そして、「145連隊」日中戦争でナンキン作戦に参加し、硫黄島で玉砕した鹿児島出身者の連隊です。「ナンキン」「硫黄島」ある意味であの戦争を象徴する戦闘ですね。あと、ミッドウェーの「空母加賀」の乗組員の碑もありました。
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by yksayyys | 2006-02-27 15:43 | 社会 | Comments(1)

護国神社にてー驚きの連続ー

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 好天のもと、「慰霊碑めぐり」に目覚めた私は息子と鹿児島護国神社に向かう。車を置いて境内に入ると、いきなり「お国のために」の碑・・・しばらくいくと昭和天皇の歌碑が・・やっっぱり「国のため」・・「民がここに来て嬉しいよ」だって、、、あまりに露骨ですね、ここは!!
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by yksayyys | 2006-02-27 15:31 | 社会 | Comments(1)

「大東亜」と「明治百年」

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ちょっと気になって2年前に撮影した近所の護国神社の慰霊碑の碑文を見たところ、やっぱり「大東亜戦争」でした。そして、建立は「明治百年」の1967年である昭和42年でした。この時期にあちこちに建てられたんだろうと思われます。そして、近くにあった「日露戦争戦没者慰霊碑」の碑文を書いているのは東郷平八郎でした。日本中の碑文を書かされたんでしょうね。ご苦労なことです。
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by yksayyys | 2006-02-27 00:02 | 社会 | Comments(1)

給与改革と桜島

 県が県庁横の土地を数十億円かけて購入するらしい。理由は、そこにマンション建設計画があり、計画通りマンションが建つと「県庁から桜島が見えなくなるから」らしい。私の周囲の人たちはほとんどが「ふざけるな」と言っている。「誰も桜島を見に県庁には行かない」「桜島が見たければそのビルを降りてこい」ごもっともな意見である。この怒りの背景にあるのは、先日発表された公務員(教員を含む)の給与改革の内容にある。簡単に言うと、給与体系を2つに分ける。ひとつは管理職コースで、これまで以上に手厚い給与となる。もうひとつは「ヒラ」コースで42歳で昇給はストップする。そして、どちらも評価制度(いわゆる査定)をもとにするというもの。
 「偉くなる覚悟のない奴は低い給料で我慢しろ」ということである。「民間に倣え」とよく言うが、本当にそれが好結果を産んでいるというのか!?多分、この制度は40歳以上の公務員のモチベーションを奪う。特に役職が階層的になっていない教員の世界ではそれが著しいといえる。そして、それこそが、上の人たちの「ねらい」である。「早く辞めてもらって新陳代謝を図る」そういう制度である。わかってはいても、今の時代状況、社会背景ではどうしようもない。労組の力も「落ちたものである。」その直後に、「眺望の確保に数十億円」では怒り心頭なのも当然である。
 給与にしろ雇用にしろ「安定」の何が悪いのか?

 マンション建設推進運動でもしたいものである。・・だからと言って数十億円は私たちには来ないか・・・・・「時代閉塞状況」という言葉を使ったのは啄木だっったような・・・
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by yksayyys | 2006-02-25 23:31 | 社会 | Comments(1)

フィールドワーク当日

 今日が「平和教育フィールドワーク」の当日でした。参加者13名で期待以上の人数でした。
が、私はデジカメを忘れる。ということで写真はなし。集合の後、自己紹介をして出発。予定していた車のうち1台がバッテリーの故障で動かず。私の車が出動となる。片づけておいて良かった。あとは場所ごとに
「多賀山公園」
 東郷平八郎の銅像の前で私が説明を行う。出発が20分おくれということで、急いでしゃべるが、私が早口の時はいつも「不評」。今日はどうだったかな。最後の東郷の「詰め襟」発言はウケる。なお、公園下の「鹿児島では超有名な百貨店」の社長・会長宅の壮麗さに一同驚く。
「牛島満の碑」
 沖縄守備軍司令官だった牛島満の碑の前で専従のKさんが説明。碑の横の会員名に鹿児島政財界のお歴々の名前がズラリ。少なくとも「〇〇〇新聞社」くらいはメディアとして遠慮してほしかったなあ。
「海軍格納庫跡」
 本日のメイン。当時のままの「実物」はここだけ。現在は、バス会社の倉庫となっているが、思ったよりもでかい。今も使っているわけだから、頑丈でもあるのだろう。ここを作ったがために、丘の上の見晴らしのよいミッション系の女子校が移転させられたという。ミッション系ゆえに「スパイがいる可能性あり」との理由・・・見晴らしがいいのも「非常時」には危険!?
「貴様と俺の碑」
 海軍航空隊の跡に「きさまとおーれーとーはー」の歌から「貴様と俺の碑」が建てられる。予科練の年端のいかない若者たちがここに集結させられた。
 
 どこに行っても違和感があったのが「大東亜戦争」の文字。どれも戦後しばらくたってからの建立なのだが、「アジア、太平洋戦争」「十五年戦争」の文字はない。「明治百年」前後のものが多いが、「明治百年」が何を狙って行われたイベントかが予想できる。
 あと、車中での会話がためになった。長崎出身の人が言った。「鹿児島の戦争関連遺跡は予習復習をしっかりしないと、妙な方向に引っ張られそうで・・・・」納得!!

 ともかく第1回は終了ということで・・・ちなみに小学生が1名参加。次は私も子どもを・・・
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by yksayyys | 2006-02-25 16:14 | 社会 | Comments(3)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


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