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アマノジャクはこう考える

カテゴリ:社会( 1780 )

紀要編集

 集まらないと嘆いていた紀要の原稿が少しずつ届きだした。それでも例年の3分の1程度。メインの県大会、フィールドワークの原稿も届かない。しょうがないので、学習会の資料なども原稿に加えることにした。それでも薄くなることはしょうがないが、とにかく編集作業を始めて2月の製本、3月配布のスケジュールだけは崩さずにいきたい。 
 結果的に、名前こそ出ないが自分の文章の比率が高くなってしまうのが嫌な感じである。どんな雑誌も頼んだ原稿が揃わなければこういう風に編集部が穴を埋めていくんでしょうね。とは言っても編集部は私だけなんですよねえ!!!

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by yksayyys | 2017-01-22 08:31 | 社会 | Comments(0)

元同僚の悲しみ

 人間ドックの待合室で地元紙M新聞を読んでいたところ、かつての同僚の記事が大きく扱われていました。息子さんが骨肉腫で亡くなった悲しみが綴られていました。そういえば、「子どもさんが難病で北陸の病院まで行っている」と聞いたことがあったのですが、看病むなしく亡くなったようです。知っている人だけにその思いが重くのしかかってくるようでした。その同僚は言っています。「何気ない日常がどんなに大切か!」人間ドックの日だけになおのこと身にしみました。
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by yksayyys | 2017-01-18 18:10 | 社会 | Comments(0)

勉強になりました!

 今日、HB研究会に参加してきました。土曜授業でしたので、授業が終わってから急いで会場に駆けつけました。最初の報告はわれらがN会長でした。本業の古代・中世史ではない「夜店」の近世学問史の報告でした。とは言ってもそっちの方が楽しそうな(笑)!報告自体はとても緻密なものでした。歴史学というものの緻密さ、実証性へのこだわりが十分に感じられるものでした。というか、N会長の研究によってどんどん歴史の舞台に登場してくるMなる人物は本当に幸せものだなあと思います。次の報告はHフィールドワークでよく一緒になるKさんの「廃仏毀釈」でした。今、私の好奇心を最もくすぐるテーマであります。期待に違わず興味深い報告でした。「鹿児島の廃仏毀釈はなぜああも徹底していたのか」を国学者、藩主、藩士たちの動向を探りながら丁寧に報告していました。私もいつになくいくつもの質問をしてしまいました。かねては「素人が軽々しく物を言わないように」と自重しているのですが、今日は報告者が二人とも知り合いだけに気持ちが軽くなっていました。帰り際、やはり旧知の若者と話しました。3月に修論の内容を報告するようです。K大学でSさんにかなり鍛えられているようでした。この若者の実力はN会長から聞いていました。彼は教職を目指しているようです。私から見ると研究者タイプだと思うのですが、教員をしながら研究をすることにあこがれがあるようでした。彼は「N(会長)さんと先生みたいになりたい」と言いました。まあ、私はNさんの付け足しとわかっていますが、「実践的研究者」をめざす若者がいるのは実に嬉しいことだと思います。
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by yksayyys | 2017-01-14 21:24 | 社会 | Comments(0)

原稿集まらず

 社会科団体の研究紀要の編集作業を進めようとしているのですが、一向に作業がはかどりません。というか締め切りまでに届いた原稿は1本もありませんでした。それから1週間経った今日かろうじて2本目が届きました。印刷・発行のスケジュールはいつも通りですからこれからがさらにきつくなります。送ってくるあてがあればいいのですが・・・・妻にその愚痴をもらしたところ、横で聞いていた息子が言いました。「人望がないんだよ」。私は「うるさい」と一喝しましたが、何とも気まずい一瞬でした。でも、「もう限界かな」とも思っています。無理して無理してここまできましたが、無理して体裁繕うよりももう交替して新たな体制で再生する方が近道だろうと思うようになっています。
 それを「無責任」と責める者がいたら「殴り」たい気分です!

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by yksayyys | 2017-01-14 21:05 | 社会 | Comments(0)

 正月明けに勤務校に苦情の電話が入ったのだそうです。「学校も職員住宅も正月に国旗が揚がっていない。国旗を揚げない教師にここにいてほしくない」電話に出た日直の教師に悪態をついた挙げ句、教育委員会にもご注進申し上げたのだそうです。その話題を職員室でしていたら以前から勤めている教師が「たぶんその人、学校に乗り込んできたおじいちゃんですよ。」やはり、「国旗が揚がっていない」事に対する行動だったようです。そういえば、通勤経路の途中には明らかに「右」の方々の事務所があります。なかなかユニークな土地柄のようです。とにかく厄介なことに巻き込まれなければいいのですが!
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by yksayyys | 2017-01-13 18:59 | 社会 | Comments(0)

有り難いのですが・・・

 今日、学校に組合の役員の方が2名訪ねて来られました。私に来季の組合の役員をお願いするためです。私にとっては結構な重責のポストでした。電話でなくわざわざ来られたところをみると「断ってほしくない」という気持ちの表れだと思いました。ただし、私の返事は「役員はするが別のポストでお願いしたい」というものでした。今の私の心身の状態ではそれが精一杯だろうと思ったからです。来られた2人は少し意外そうでした。「やって欲しい」という気持ちは大変有り難いのですが、「とにかく何でも引き受ける」という自分ではなくなっています。決してわがままだとは思わないのですが・・・・どうでしょうか!!!!!
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by yksayyys | 2017-01-12 22:34 | 社会 | Comments(0)

事務作業

 今日は午前中からずっと社会科団体の事務作業を続けていました。補助教材の宣伝チラシの作成、提携業者との連絡、セミナーチラシの作成と連絡、研究紀要原稿編集・執筆作業。そして、以上の内容を団体のブログにアップしました。結構な時間と労力を使いましたが、当然ながらたまった仕事はかなり片付きました。紀要原稿も締め切りまでに誰も送ってきませんでしたが、今日一人送ってきましたので何とか心が落ち着きました。誰かの役にたてれば・・・・そういう仕事ばかりです・・・・・
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by yksayyys | 2017-01-09 14:00 | 社会 | Comments(1)

神風は吹かなかった

 モンゴル襲来(元寇)の時に「神風は吹かなかった」今日の朝日新聞の朝刊の記事にそう書かれてありました。ずいぶん前からそういう話は出ていましたね。特に文永の役は暴風ゆえの退却ではないというのが定説となり授業でもそう解説してきました。が、数年前に服部英雄さんの「蒙古襲来」が出版されてからより実証的に説明がされるようになったようです。面白いと思ったのは、鎌倉武士は自らの勲功を誇り、寺社は自らの祈祷による暴風雨を強調したという下り。それが、幕末から開国にかけての時期と、先の大戦の時期の2回、神道イデオロギーが吹き荒れる中でこの「暴風雨撃退説」がはびこったようです。なるほどわかりやすい理屈であります。私たち社会科教師はきちんと修正して教える必要があるようです。まだまだ、こういう事がいっぱいありそうですね。歴史研究ってやっぱり貴重ですよね。決して趣味の学問じゃないと思います。
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by yksayyys | 2017-01-08 19:43 | 社会 | Comments(0)

精神のきば

 梅棹忠夫の評伝を読んでいて興味を持った部分があった。経済学者森嶋通夫が「日本がソ連に攻め込まれたら、毅然として降伏したらいい」と雑誌か何かに発表したらしい。森嶋の文章は岩波書店のものを何冊か読んだことがあるが、経済書以外はどれもわかりやすく断定調で書いてあるので読みやすかった記憶がある。その説は当然論壇で話題になったらしい。ただ、面白いのはその説を、評伝の主役梅棹をはじめ司馬遼太郎、リアリストとして有名な永井陽太郎まで「90%賛成」と述べたということである。共通するのは戦中世代。学徒兵世代ということである。「多くの犠牲者が出るくらいだったら降伏した方が・・・」のセリフは「多くの犠牲者」を目撃した者には何より説得力があったのではないだろうか。森嶋と司馬、梅棹には思想・信条の共通性があるようには思えない。あるのは「共通体験」である。
 翻って、今「攻められたら降伏」という説を発表したらその学者はものすごいバッシングを受けるのではなかろうか。応援する方も勇気がいるものと思われる。しかし、今「降伏するより戦え」という者たちに戦争体験はほとんどないであろう。西鄕隆盛は鳥羽伏見の戦いで援軍の要請に対し「全滅したら(援軍を)送る」と言ったという。この言葉を「玉砕」と結びつけ美化して語る者もいる。そこに「全滅」させられる者への共感はないであろう。梅棹はそういう状況を「精神のきば」と表現していた。今、世界は「精神のきば」が跋扈しているのではないか。

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by yksayyys | 2017-01-07 14:37 | 社会 | Comments(0)

私の好きな社会科

 唐木清志「『公民的資質』とは何かー社会科の過去・現在・未来を探るー」(東洋館出版社)のあとがきの最後はこう結ばれていた。
「自分の足を使って取材をし、教材の良さを実感して、子どもの考えを深めるために教材づくりを進めれば、子どもはきちんと教師に応えてくれるものである。こだわりを持った個性的な子どもを育てたければ、教師がまず個性的になることが必要である。借り物の授業ではなく、学校の置かれた地域と、目の前の子どもと、そして、先生方ご自身の社会科観で編まれる社会科授業を、若手に限らずすべての社会科教員は目指すべきである。」
 自分の考える社会科教師像をこれほど的確に表現した文章はないのではないかと思える。これがずいぶん昔の本ならともかく2016年11月に発行された本であることがまた嬉しい。
 私は、この社会科に関するある団体の事務局の研究部門の責任者となっているが、近いうちに辞めようと思っている。(できれば3月に)
最近までは「辞めたい」が本音であったが、「辞めるべき」という風にまで変わってきている。理由の第一は「世代交代」である。私が事務局の研究部に入ってから12年が過ぎた。これはやはり長すぎる。九州大会を事務局員として3回経験する人はそうはいないのではないかと考えている。理由の第二は「新しい風」である。これは、「若く」という意味だけではない。鹿児島県の社会科が大切にしてきたものはとても大切なものでありとてもユニークなものである。誇りにもしている。が、自分はその流れの「真ん中」を走ってきたように思う。これは自惚れかもしれないが、N会長やぷくぷくさん、Kさんたちとかなりの部分で共有できる考え方で研究というものを進めてきた。しかし、これも多くの人たちが集って考え直してよい時期に来ていると思う。内心、「これまでの流れを無にする研究はしないだろう」と期待してもいるが、これは去る人間の言うことではないかも知れない。そういう事を40代を中心とする県内社会科の実践家のみなさんが集団討議する中で考えていくべきではないかと思うようになった。もちろん、私もそれを支えようとは思うが、支える場所はあくまで「外から」だろうと思う。
 組織の事を考えるとそれが良いと思う。私自身もその方が良い。

 私の好きな社会科を続けていくことでそのような活動に貢献できたらいいなと考えている。



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by yksayyys | 2017-01-07 10:38 | 社会 | Comments(1)