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複雑化

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 娘の積み木が複雑化、高層化してきました。「ウェストミンスター寺院」とでも名付けましょうか。今日が、今年度最後の保育園です。4月からいよいよ年長組です。
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by yksayyys | 2006-03-31 10:49 | 育児・家庭 | Comments(1)

諭吉と兆民

 「重なりそうで重ならない」諭吉と兆民の一番の違いは「イギリスを目指す」者と「フランスを目指す」者の違いではないかという結論に達しました。のちの自由民権運動やアナーキズムにもつながる急進的自由主義、「権力にまつろわぬ」系譜と、議会制民主主義を通じて「封建制を打破し」「個人主義」「経済至上主義」をめざす「体制内リベラル派」の系譜の代表的人物がこの2人と言ったところだと思いました。ただ、事はそう単純ではなく、「西欧化」について諭吉は「金銭的な豊かさ」を肯定しているのに対し、兆民は「倫理・道徳」の欠如を憂えています。その隙間に、権力側がブロシア流の「強権主義的君主国家」の価値観を帝国憲法、教育勅語によって国民に注入しようとしたものと考えられます。諭吉が進めた「実利重視の西洋国家化」について「金があれば何でも」という批判が出てきて、それを埋めるには兆民らの思想は急進的すぎ、伊藤、山県らがすばやく「絶対主義的天皇制」確立のために手を打ったと言い換えることもできます。当時のエリートがほとんど諭吉の三田(慶応)出身であることに危機感を持った権力側があわてて帝国大学などの高等教育機関を整備したのも、伊藤らの巧妙な作戦でした。いつの世も、権力を持つものは1枚上手ですね(悔しいですが)。現在に転じてみれば、小泉流政治がライブドア事件に代表される「金さえあれば」という批判を受けつつあるのを安倍、麻生らがタカ派的国士的言論でウケている状況と重なるように思えます。そういえば、小泉も竹中も慶応出身で、安倍、麻生は官僚政治家岸信介と吉田茂の孫ですね。
 ただ、兆民らの系譜が完全に体制外の「急進運動」にしか引き継がれなかったのは日本の政治思想上残念なことのように思えます。フランスの学生・労働者のストが国民に受け入れられていることを思うと「重要な視点」のようにも思えてきます。
 最後にひとつ、諭吉と兆民は「イギリス経験論」対「大陸型合理論」の図式で支持する知識人もその流れのようでしたが、ただ一人J・S・ミルだけは共通して支持していたようです。諭吉、森有礼、中村正直、加藤弘之ら明六社がミルらの紹介をしたわけですが、このメンバーのほとんどが政府内に取り込まれ、「強権国家」指向となったことが思想の流れをおさえる上で大きな転換点だったのかもしれません。今日はえらい真面目だなあ、俺(笑)!!!
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by yksayyys | 2006-03-31 10:36 | 読書 | Comments(1)

後半戦突入

 昨日、来年度の社会科年間計画作成に目処がついたため、私には「いつまで何をしなければならない」という義務としての仕事が一切なくなってしまった。こんなことは、職について19年目で初めてといってよい。育児休業なのでもちろん、「育児」「家事」という仕事はあるが、「社会と通じる仕事」が何もないという状態は「爽快な気分」である。ブログを見ている人(3人くらいかな)はわかる通り、育休に入ってから本を読む機会に恵まれることができた。これは、ここ数年の念願だっただけに大満足である。「映画も」と思っていたが、2歳児連れではこれは無理。せいぜい「子どもが寝ている間」「(家族が寝静まる)真夜中」にできることを模索してみたい。できたら、ちょっと「調べもの」をしてみようと思っている。まだ、中身ははっきりとはしていないが、もちろ今後の自分の仕事、生き方につながるものをめざそうと思う。まあ、高望みせずにボチボチやります。子どもだけでなく私自身の体調もいいです。本当に・・・・
 今日は、学校に書類を届けてからさっき帰ってきたところです。息子が車中で眠っている間に松永昌三著「福沢諭吉と中江兆民」(中公新書)を読みました。「重なりそうで重ならないこの2人の生涯」はとても興味があります。ちなみにこの2人、同じ年に死んでいます。感想は明日かな・・・・・・・
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by yksayyys | 2006-03-29 13:38 | 育児・家庭 | Comments(1)

花見

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 息子と花見に出かけた。場所は、こないだ2人で行ってほとんど誰もいなかったいちき串木野市の「観音ヶ池公園」写真の通り、見事な開花ぶりで、土曜日行った時は「超満員」で引き返してきたくらいでした。息子も「きれい」と大はしゃぎ。金曜日は、薩摩川内市の運動公園近くの桜も見にいきましたが、ここもなかなか粋な場所でした。これまで、花見などほとんどしたことはなかったのですが、これも育休のおかげでしょうか。
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by yksayyys | 2006-03-28 20:50 | 育児・家庭 | Comments(1)

 エッセイ集なので一気に読める本である。著者は「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞し、「法廷作家」と言った方がいいくらい多くの裁判から著書を出している。何と言っても、豊富な傍聴体験から来る話が面白い。本の帯にもあるように、判決が言い渡される時に「被告は」ときたら無罪で、「被告を」ときたら無罪であるというような話は「実用的」であった。また、これまでの「冤罪」の中に、泥酔して記憶がない場合がいくつもあるケースを「自分のこと」として検証するところは私も参考になった。著者は、永山則夫の本も書いているが、彼の著作を作家として評価しながらも、「弁護士泣かせ」であった面も紹介していている。まさに「法廷のなかの人生」がつまった本、教師として授業で使える「マメ知識」も多いのでおすすめ。
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by yksayyys | 2006-03-28 20:41 | 読書 | Comments(1)

 横浜事件の免訴判決、立花隆「天皇と東大」にみる思想、言論弾圧を当局側から見てみようと思い、書棚からこの本を取りだして読む。漢字と数字が多かったにもかかわらず、1日で読み終わることができた。以下は、興味を引いた部分から。

「治安維持法適用」
 治安維持法適用第1号の国内事件は軍事教練反対の京都学連事件であったが、実は適用第1号は朝鮮半島における朝鮮共産党弾圧であった。戦前、戦中にかけて植民地における取締、拷問は国内より過酷であったことが本書で強調されている。
「軍と検察」
 ある思想検事は「検察は軍と同一の使命を持っている」と言う。別の思想検事は「国内の敵に対するのが司法部で、国外の敵に対するのが軍、サーベルを吊っていないだけだ。」という。
「予防拘禁」
 疑いのあるものを強制的に拘禁する「予防拘禁」について検事総長、大審院院長(現在の最高裁判所長官)をつとめた泉二新熊(もとじしんくま)は言う。「悪思想のばい菌保有者を釈放して、再び社会に病菌を振りまくことは国家防衛上の大問題。」この発言をきっかけに治安維持法違反容疑者以外でも予防拘禁が可能となる。ちなみにこの人物、私の初任校で「郷土の偉人」として公開授業の教材とされた人物である。「偉かった」が第一で「何をしたか」は問わないという「偉人」教育の代表例といえる。
「フィヒテで逮捕」
 朝鮮に留学していた北大生はフィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」を紹介したということで治安維持法の適用を受けて逮捕される。「国体の変革」でもなく「私有財産制の否定」でもなく「敵国の著書」でもない「民族意識高揚」の本なのにである。理由は「朝鮮の独立運動を煽る」ということ。もう何でも良かったのである。植民地ではでっちあげが多い。
「思想判事」
 思想を専門に取り締まる検事に加えて裁判官である判事にも「思想専門」が出来る。特高警察が逮捕し、思想検事が起訴し、思想判事が裁く。「司法権の独立」は有名無実化となる。
「横浜事件のスピード結審」
 敗戦後、「治安維持法」廃止や「思想犯」釈放などを恐れ、司法当局は裁判を急いだ。横浜事件は、8月28日から数グループにわかれて1回だけの公判で結審するというスピードぶり。それも一律に懲役2年、執行猶予3年というもの。ほとんど意地でやったとしか思えない。三木清が治安維持法容疑のまま獄死するのは敗戦後1ヶ月以上たった9月26日である。
「司法エリートは思想族」
 当時の検事総長、司法大臣はほとんどが「思想検事」である。これは、首相をつとめ多くの思想弾圧を手がけた平沼騎一郎の影響が大きい。この息子が現代議士の平沼赳夫である。
「戦後も」
 司法当局は「公職追放」メンバーを最小限にとどめ、しかも朝鮮戦争直前の「逆コース」の中で続々と復帰していく。その彼らが作ったのが「破壊活動防止法」である。著者は、この法律はいつでも「治安維持法」的効力を持つことができると言う。それを阻んでいるのは、まがりなりにも戦後民主主義の運動と世論であると・・・・・これからが勝負!!
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by yksayyys | 2006-03-27 14:29 | 読書 | Comments(1)

 この本で一番面白いのがこの「ジョーク」のところである。恐怖政治を敷いたナチには当然不満分子が生まれ、その不満が時にジョークという形で現れる。そのジョークには様々な種類、レベルのものがあり、私としても笑えるものもあるし、考えさせられるが笑えないものもある。また、難しすぎるものもある。そこで、ここでは印象に残ったものだけ紹介する。

①ドイツ空軍将校の一団がパリにあるパブロ・ピカソのアトリエを訪れた。一人の将校が有名な「ゲルニカ」の絵を見て、偉大な画家に尋ねた。「これはあなたのお仕事ですか。」ピカソは微笑して言った。「いいえ、あなた方のお仕事です。」

 私はこれが一番印象に残った。祖国の村ゲルニカを爆撃によって全滅させたナチに対する最大の皮肉であるといえる。

②ナチ時代の初期の頃、フランクフルト行きの特急列車の中で突撃隊(SA)の一人の隊長がユダヤ人と向かい合わせに座っている。ユダヤ人の挑むような視線を感じて落ち着きを失う。「ユダヤ人、言ってみろ。ドイツが第一次大戦に敗れたのは誰のせいか。」「隊長殿、ユダヤ人の将軍たちのせいです。」「どうしてだ、われわれの陣営にはユダヤ人の将軍など、いなかったぞ。」「隊長殿、われわれの方ではなく、相手の方です!」

 ナチのユダヤ人差別への痛烈なる一撃である。アインシュタイン、チャップリンに限らず優秀な人材を数多く輩出したユダヤ人を知る者にはうなずける話である。

③ドイツ軍がイギリス攻撃を計画していた頃、ドーバー海峡をどうやって渡るかを考えていたヒトラーの前にゲッベルスがひとりの人物を連れてくる。紅海を2つに分けた予言者モーゼである。ヒトラーは尋ねる。「お前は、どうやって紅海の水を分けたのかね。」「一本の杖によって。」「それだ!どこにその杖はあるのかね。」「ロンドンの大英博物館にあります。」

 イギリス攻撃の鍵をにぎる杖がイギリスのロンドンにあるという話。

 どんな状況にもユーモアというものがあるということは、いかにもヨーロッパらしい。残念ながら、日本ではそういう話はあまり聞かない。ナチは表向きはそういうジョークも「取り締まっていた」ことになっていたらしいが、実際は「見逃していた」らしい。いわゆる「ガス抜き」というあつかいといえる。著者は章の最後を次のようにしめくくる。

「ナチ・ドイツの政治的ジョークは、決してひとりでに生まれたものではない。それは、最終的には、何百万という犠牲者をともなうことになった政治体制によって、いわば呼び出されて成立した。これらの犠牲者には、国籍や人種、宗教や思想などを異にする多くの人々が入っている。彼らを結びつけたのは、共通の苦難の運命だった。ヒトラーとナチズムに向けられた政治的ジョークもまた、同じである。それは、共通の敵にたいして、ヒューマニズムにたつ人間をすべてひとつに結び合わせるものだったから。」
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by yksayyys | 2006-03-26 21:30 | 読書 | Comments(0)

ナチへの抵抗~教育~

 「ナチ・ドイツと言語」を読み終わる。映像のレニ・リーフェンシュタールの話は何度もテレビ等で観たことがあったが、教育における教師ライヒヴァインの抵抗とナチに対するジョークの数々はとても興味深く読むことができた。ライヒヴァインは、ナチの「洗脳教育」に対し、体験・調査を重視する今の「総合学習」のような実践で教育という場で抵抗した唯一の教育実践者でした。最後は、反ナチ活動により逮捕され処刑の運命となってしまったが、それまでに彼が行った実践を著者は次のように書いている。
「ライヒヴァインは、こうした教育実験に対して、彼自身がそれまでの経験の中で身につけた人生=職業経験のすべてを注ぎ込んだといってよい。青年運動や労働者教育、国民高等学校運動からえた諸経験、南北アメリカや東南アジア、日本などへの研究旅行からえた広い視野、ワイマール時代にプロイセン州文相カール・ベッカーの個人的担当官として、またハレ教育アカデミーの教授として活動した改革教育の成果など、社会科学者として彼が身につけた教養と資質のしべてが結合されていた。」
具体的には
「これらの授業は、授業科目や時間表にとらわれない形で行われた。しばしば、課題と材料とに応じて授業時間数も長期にわたり、さらに幾つかの個別教科を包括した総合授業が企てられていた。分業にもとづくグループ作業のため、子ども達の学年や能力の違いが、かえって生産的に組み合わされた。上級生と下級生とがたがいに協力しあう共同体の中で、助け合いシステムが作られた。具体的な《社会化》教育と結びついて、最適な形で多面的な個人能力の開発と助成が行われた。それは、ライヒヴァインの意図する《共同体に仕える発達した人格》という社会的・人道主義的な教育理念を実現するものであった。」
 文章だけ読むとまさに私たち社会科教師のめざす「市民的資質を育成する教育」ではないかと考えられる。それを、「あの時代」に実践していたとは「驚異」とさえいえる。
(日本にも来たらしいが「大正自由教育運動」に学んだものと思われる。)

 教育の章を読んで思ったことは「ワイマール共和国時代と日本の戦後すぐの状況がよく似ている」ということである。「貧しいが、理想に燃えた時代」それがドイツはヒトラーの時代へと移っていくことになる。日本はどうであろうか。現在のところ、「似たような動き」のように思える。
 
 長くなったので、「ジョーク」は別の機会に・・・・・
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by yksayyys | 2006-03-26 16:40 | 読書 | Comments(0)

 この本のはじめに次の文章があります。
「広範な大衆に働きかけ、少数の論点に集中し、同一の事柄をたえず繰り返し、反論しえない主張になるまでテキストを確実に把握し、影響が広がることを望みながら辛抱強く忍耐すること。」
 これを読んでピンと来るのは小泉首相の「郵政民営化」「構造改革」に対する言動だと言えます。ただ、これは小泉首相の言葉でもなく日本の首相候補達でもありません。アドルフ・ヒトラーが「我が闘争」で述べたものです。岩波文化人の一人とされ「政治と宗教の関係を」専門分野とする著者はこの言葉を次のように言い換えます。
「大衆の情緒的な感受性にこたえて、論点を黒白図式で《単純化》して示すこと、それを《繰り返し》訴え続けること。断固とした口調で大胆に《断定化》することによって、ザッハリヒ(=即物的・客観的)な議論の代わりに確信させようとする手法が要約的に示されている。あきらかにヒトラーの成功の要因は、彼がこうして全力を注いだ大衆的デマゴギーによって、広範な、のちには圧倒的な、人気と支持をとりつけえたことにあった。」
 読めば読むほど、今の状況に重なりを感じてしまいます。この本の副題は「ヒトラー演説から民衆の悪魔まで」とあり、ヒトラーの演説だけでなくナチス政権下における映画、教科書そしてジョークにいたるまでその言語を検証しようというものである。
 明日には読み終わる予定であるが、「神の摂理」を確信するヒトラーとわが国のタカ派政治家たちには通じるものが多いように思う。「歴史は繰り返す。ただ、全く同じようには繰り返さない。」何が同じで何が違うか、用心深く読んでみたい。
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by yksayyys | 2006-03-25 19:59 | 読書 | Comments(1)

歴史の中の「反戦」

「近代日本思想案内」の白眉は「反戦論・平和論」です。ここでは著者鹿野政直は解釈ではなく当人の声で「反戦」「非戦」を語ろうとしています。以下、記憶に残った言葉を・・・

「国家が正義を指定するのではなく、正義が国家を指導すべき」
「根本的に国家を愛し国家に忠なる者は、当面皮相の政策に迎合することなく、国家の理想を愛し理想に忠なるものでなければならない」
「一色塗抹的挙国一致は却って国家の理想の探求、達成を妨害するものである。」
「正義とは、人々が自己の尊厳を擁護する事、換言すれば他者の尊厳を害せざる限度において自己の尊厳を主張することであり、この正義こそ人間が社会集団をなすにおいての根本原理である。具体的にいえば、弱者の権利をば強者の侵害圧迫より防衛する事が正義の内容である」
   (以上、1937年反軍思想で東大を追われた矢内原忠雄)

「小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致候も唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」
             (「信濃毎日新聞」にて反軍記事を書いた桐生悠々が死の数日前に)

「稼ぎ手を殺し勲章でだますなり」
「塹壕で読む妹を売る手紙」
「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
                      (以上、川柳作家で佐高信がよく引用する鶴彬)
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by yksayyys | 2006-03-24 15:29 | 読書 | Comments(1)