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アマノジャクはこう考える

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 30日は「歴史的な日」になりそうだということと少々疲れたということで、早めの飛行機で帰ろうとしたところ、航空会社から「このチケットは変更がききません」ということで夕方まで東京にいることになりました。「さあ、どこへ行くか」!迷った時には私は上野に行きます。今回は、国立博物館、国立西洋美術館にいきました。国博では、「伊勢神宮の神々と美術」というテーマの企画展をやっていました。写真はその企画をやっていた平成館なる建物です。その後、本館をまわり、法隆寺宝物館を観ました。国博に行くたびに思うことは「どこそこに国宝、重要文化財が置いてある」ということ。何回言っても新しい発見があります。前回特別展示された「国宝絵巻」は平家物語絵巻でしたが、今回は「地獄草紙」でした。色鮮やかでしたね。国博のあとは国立西洋美術館で「コルビジェ」展を見ました。コルビジェは西洋美術館を設計した世界的な建築家です。家を建てる時にけっこうこの人の建築物を調べたことがあります。我が家が「モダン系」なのはそういう系統の建築家を探したせいもあります。昼食は、上野駅近くの洋食屋で食べました。「上野はやっぱり洋食屋」と決めていましたから。いやあ、素朴でおいしかったです。結局そうこうしているうちに夕方となり羽田に向かいました。そして、飛行機中のラジオ放送で「歴史的選挙」の結果を耳にしました。
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by yksayyys | 2009-08-31 16:03 | 社会 | Comments(0)

気(反)骨集団の集まり

 30日の夜は、出版社の友人の企画でとても楽しい宴となりました。集まったのは、まず大手A新聞とM新聞の記者!二人とも著書もある実力派記者です。もう一人は政治風刺コントで有名なMさん。いやあ、面白かったです。まずは、みなさんが話される事実が面白かったです。記事や演技の裏にあるものを存分に堪能させてくれました。あと、Mさんを筆頭にみなさん話し方が面白い。何度も腹をかかえて笑いました。私はチャッカリと3人からサインをもらいました。Mさんには色紙に!記者の二人には著書に!みなさん、「気骨」のある人ばかりでした。そして、「たくましい」人たちで「ユニーク」な人たちでした。これも、そこにいるすべての人とつながっている出版社の友人Mの人徳だと思います。いつもながら感謝しています!
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by yksayyys | 2009-08-31 15:50 | 社会 | Comments(0)

映画「花と兵隊」を観る

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 29日は少し時間があったので渋谷で映画を観ました。イメージフォーラムというマイナーな映画館で「花と兵隊」というドキュメント映画でした。翌日は全国紙に紹介されていました。内容は、戦争中ビルマとタイの国境の泰緬鉄道で働かされていた日本兵がそのまま帰国せずに現地で生涯を送っているという話でした。なかなか面白かったです。最後の方に出てきた元日本兵は取材に対してとても冷たく対応しました。そして、シンガポールにおける華僑虐殺や人肉食のことも堂々と喋っていました。しかし、次第に心を開いていく様子も描かれていました。映画ができるまでに2人亡くなったとのことです。「花と兵隊」の「花」は元日本兵と結婚した現地の女性、そう妻のことです。みんなチャーミングでした。鹿児島では観られない映画でした。
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by yksayyys | 2009-08-31 15:41 | 映画 | Comments(0)

NK学会報告終わる

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 NK学会の報告を終えて帰ってきました。今回の報告はうまくいったと思います。まず、時間がドンピシャでした。前日からリハーサルにリハーサルを重ね、本番で終了後にストップウォッチを見たら「19分59秒」でした。報告時間は20分ですから理想的な終了です。内容も「端折ったり」せずにきちんとやりました。そのせいか反応もとても良かったです。フロアも司会者のお二人もとても好意的にとらえてくれました。こんなに「好評」だったのはこれまでで初めてでした。一般討論でもずっとそんな調子で、司会者は最後のまとめに私の言葉を引用してもくれました。正直言ってホッとしました。
 昼食はUm先生達「戦後教育実践史調査グループ」と一緒にうなぎを食べました。そして、夕方からはUm先生、Nt先生、東大院生とで新宿で飲みました。Um先生とは2次会まで行き、八海山を浴びるほど飲みました。いやあ、とてもいい日でした。「8,28」は!
 写真は、分科会があった東大駒場1号館です。なんか講堂みたいな建物でした。
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by yksayyys | 2009-08-31 15:32 | 社会 | Comments(0)

 昨日の編集委員会は欠席してしまいましたが、郷土資料集の原稿が少しずつ出来上がっています。今できたのが「鹿児島とロケット基地」「島津斉彬と集成館事業」「鹿児島とハンセン病問題」で「鹿児島と特攻作戦」を執筆中です。新しい発見もありました。というよりは、「これまで疑問に思っていたこと」がわかりました。それは「なぜ、ロケット基地は内之浦と種子島だったのか」ということです。両方とも似たような地理的条件の場所に建設されてはいますが、それを論理的に説明できずにいました。場所を探したのはロケット博士で有名な糸川英夫です。「逆転の発想」の著者として有名ですね。条件は、いくつかあります。①赤道に近い②南東を海に面している③人家が少ない④ロケットの地上輸送に便利などです。①と②は関連しています。赤道に近い理由は、ロケットは地球の自転の力を利用して発射するのでできるだけ赤道に近い方がいいということ。そして、自転の方向に発射するには南東が海であること。そう、失敗した時に海に落下して被害を最小限にするようにとのこと。他の国が条件とした「平地であること」は日本は無視したようです。そういえば、内之浦も種子島も傾斜地に建てられています。おそらく、用地買収の都合だろうと思います。うん、やっぱり「知るは喜び」である。
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by yksayyys | 2009-08-27 04:22 | 社会 | Comments(0)

東京へ

 今日の飛行機で東京に行ってきます。別に「政権交代の現場に立ち会おう」というわけではなくNK学会で報告するためです。レポートの仕上がりが遅く、昨日の夕方までかかってしまいましたが、自分では「作成するたびにいい報告書になっていく」ような気がしています。今回は、前回の反省をいかして報告前日に飲み過ぎないようにして、リハーサルをしっかりやって本番に臨もうと思います。今までは、時計を持ち込まずに勘で時間を測っていましたが、今回はディスカウントストアで腕時計とストップウォッチを購入しました。プクプクさんのように「20分ピッタリ」の報告をしたいと思います。報告は28日の10時ころです。夏、最後のイベントです。あ、そうそうKさん、印刷・製本にご協力ありがとうございました。
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by yksayyys | 2009-08-27 04:09 | 社会 | Comments(0)

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 IさんはB平和祈念館を訪れると必ずこの碑をじっと見つめています。派手な「特攻隊慰霊碑」の横にたつこの碑は「特攻基地で亡くなった人達」の慰霊碑で殉難者・戦没者という名称で表現されています。Iさんが言うには、この碑が建立された時の新聞では「強制連行された朝鮮人、中国人のために建てたもの」となっています。が、今はそういう風には扱われていないらしく、祈念館側は「朝鮮・中国人の慰霊とは違う」と言っているようです。しかし、午前中訪ねたTさんは「あの碑はうちのおやじたちが金を出して朝鮮人、中国人のために作ったものですよ。」とはっきり言いました。これは、祈念館の姿勢が関連しています。この祈念館はある人物の強い意向によって建てられ行政が管理している「半官半民」の施設なのですが、とくに中心人物の方の意向が強く「ここは特攻隊慰霊の移設である。」と強調しています。だいぶ前に「強制連行の朝鮮人、中国人」の資料を展示したらという提案があった時に「ここはそういう施設ではない」と固辞した経緯があります。それを考えると敷地内のこの碑の扱いもいつのまにか変わってきたのかもしれません。Tさんはそれを怒っていました。「あの基地を作った人達を慰霊しないで何が慰霊か!」Iさんも祈念館の対応には疑問があり、館の展示にも不満があるようで「中には入りたくない」と言っていました。私にはその意味よくわかります。
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by yksayyys | 2009-08-24 17:59 | 社会 | Comments(0)

回収されない遺骨

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 2軒目に訪ねたのは東本願寺のJ寺です。連行された朝鮮人の中にはこの地で亡くなった人がいるのですが、そのうち預かっていた遺骨を韓国に返還し、それが韓国で大々的に報道されたことがあります。Iさんもそれをメディアの報道で見た覚えがあるそうです。写真は「永代経」というもので、亡くなった方の名簿のようなものですが、業者の名前で8人の朝鮮人が届けられていました。名前の下には「半島人」と書かれてありました。ただ、ここにある人がどういう経緯で亡くなって、どこの人なのかなどは全くわからないということでした。朝鮮戦争でむこうの戸籍もめちゃくちゃらしく、まさに「無縁」となっています。ここの住職さんもこの事には心を痛めておられるようですが「正直、この名前があるだけで何も資料も記録もないんです。」とのこと。ただ、午前中のTさんの話やらと合わせると「どの辺に宿舎があり、どの辺に墓が作られたか」などははっきりしたような感じでした。Iさんが言うには「日付を見たら、連行された後半の遺骨は届けられていない。まだ余裕のあったころは業者が遺骨を届けたのでしょうが、空襲が始まったりするとその余裕もなくなったのでしょう。」なるほど・・・・
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by yksayyys | 2009-08-24 17:47 | 社会 | Comments(0)

強制連行の記憶

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 韓国人留学生Iさん(光州出身)、中国人留学生Yさん(南京出身)の3人で「特攻基地建設に徴用された朝鮮人・韓国人」関連の聞き取り調査に行ってきました。収穫は大でした。聞き取りをしたのは3人。午前中は、公民館長さんの紹介で訪ねたTさん。「基地建設のために学校が廃校とされ、強制転校させられた経験を持つ当時国民学校6年生」という紹介でした。が、実際には中国人労働者との交流の体験という貴重な話を聞くこともできました。当時のB基地建設には350人近い中国人と500人以上の朝鮮人が連行され強制労働させられたことがはっきりしています。その両方の人達を目撃し、中国人に対しては言葉も交わし、食糧も与えたというTさん。戦後も中国人とは交流があったようです。八路軍の捕虜だったというその中国人は「とても規律正しい優しい人だった」とTさんは言います。Iさんの調査内容とも辻褄があうらしく「期待以上に収穫の多い」聞き取りでした。Tさんには明確な「反戦思想」「反軍国主義思想」があり、特攻隊や戦争の語り方にもわれわれに通じる考え方がありました。やはり「人はいます」。歩くことは大事です。あ、そうそう!面白い話も聞きました。Tさん曰く「さっきまで娘の夏休みの宿題につきあってました。戦争体験の聞き取りだそうで、いっぱいしゃべってやりました。」そう、その宿題を出したのは私です。出した甲斐がありました。
 写真は、Tさんが戦争当時の地理について説明しているところです。手前の二人が韓国、中国の留学生です。向こうに映っているのが私の大好きな金峰山と万之瀬川です。
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by yksayyys | 2009-08-24 17:32 | 社会 | Comments(0)

薩摩藩の一揆

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 おとといネットで注文した本です。最近出版されました。広告で「加世田一揆」にふれてあるというので一も二もなく頼みました。「加世田一揆」というのは、薩摩藩内でおきた(実際には未遂)ごくごく珍しい一揆です。奄美群島ではちょこちょこあるんですけどね。「薩摩でほとんど一揆がないのはなぜか?」これは大きな疑問なのですが、最近この疑問に対して全く見解の違うふたつの意見を聞きました。ひとつは松尾さんの説。「そこまで追い込まれていなかったんじゃないでしょうか。米はなくてもいもとかあって食糧事情は悪くなかったはず。」というもの。大石慎三郎の「貧農史観を見直す」につながるような視点だと思います。対するのは向原さんの説。「人口4分の1の武士が日常的に農民を見張る状態の中で反乱などできない。」というもの。これまではこの説をよく聞いたような気がします。とにかく、注文した宮崎さんの本を読んで再度吟味しようと思います。私の最終の目的は「それでもなぜ加世田一揆はおきたか」を知ることです。
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by yksayyys | 2009-08-23 06:32 | 社会 | Comments(2)