今日は無事に

 心配した娘は今日無事に出ていきました。妻が、高校入試の引率で、朝通勤に余裕があったため、妻が保育園には連れていきました。朝食後「おなかが痛い。」と言った時はヒヤッとしましたが、すぐその後に「食べ過ぎたー」とニッコリしたために事なきをえました。今日の保育園行事は「マーチング」とのこと。太鼓を叩いているそうですが、そういう「創作的」な行事は好きなようです。もしかしたら、今やっている「卒園式の練習」が嫌だったのかな(笑)
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# by yksayyys | 2006-03-08 08:35 | 育児・家庭 | Comments(1)

母親たちの孤独!?

 今朝、娘を保育園に連れていった時、娘を出そうと車のドアを空けた瞬間にひとりの母親が声をかけてきた。「おとなしく座っているんですねえ。うらやましい。」どうやら、下の息子がチャイルドシートでおとなしく絵本を読んでいる姿を見ての言葉であった。「そうですね。あまり暴れたりはしませんが・・」と答えたところ、その母親は「うちの子は大暴れで、ベルトを締めても車の間でずっと泣き叫ぶんです。」表情は険しかった。その母親は続けてこう言った。「どちらかといえば小柄ですよねえ。」私は、「はい、生まれた時2500gぐらいでした。2人とも身長・体重は1歳年下の平均と一緒くらいです。」と答えると、「うちの子は2000なかったんです。何とかここまできましたけど・・・」とうなずきながら話した。私は「はじめは心配しますよねえ。」と返したが、その母親の表情はずっと真剣そのものだった。きっと、この母親は不安に包まれた日々を送っているのではないかという気がした。「どうしてうちの子は・・」「よその子は・・・」・・・脳天気といわれる私でも時々そういう事を考える。すぐに「いいじゃないの。いろんな人がいて。」と気持ちを切り替えるが、そう簡単に切り替えることのできない人もいるはず。特に周囲からプレッシャーでもかけられようものなら余計に・・・・集団で見る時、母親たちはとても「気丈」に見える。しかし、きっと一人では多くの悩みを抱えているのだろうと想像する。娘が言うには「さっきの○○さんのお母さんだよ。おなかに赤ちゃんがいるよ。」とのこと。とにかくは安産を願うしかないか・・・
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# by yksayyys | 2006-03-07 14:18 | 育児・家庭 | Comments(1)

姉弟

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 娘を歯医者から連れ帰る。やはり虫歯で、結構広がっているようである。大人でも嫌な歯医者通いが始まることになる。「保育園に行く?」と聞いたが、首を横に振る。コンビニでおにぎりと簡単なおかずを買って家で食べる。機嫌はよさそう。その後、弟と並んでテレビを見ている(左の写真)。「どっか行こうか」と誘っても「家がいい」と答える。今は、積み木の制作中。明日は1日中、保育園の予定。明日まで様子を見てみよう。
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# by yksayyys | 2006-03-07 14:04 | 育児・家庭 | Comments(1)

今日も様子が・・・

 娘は今日も、保育園に行きたがらなかった。とりあえず、今日は歯医者に行くので「午前11時には迎えに行くから」となだめて送り出しました。ぷくぷくさんが言うように、土曜、日曜と家族で過ごしたのが影響したのかな。弟が羨ましいと・・
 今から歯医者に連れて行くつもりです。「大泣き」のはずですから、そのまま連れ帰るつもりです。みんな弟の面倒が大変だと思っているが、実際にはお姉ちゃんの方に気を遣う事が多い。妻もそう言っていた。どうなることやら、では行って来ます。
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# by yksayyys | 2006-03-07 10:54 | 育児・家庭 | Comments(1)

安田講堂

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 買ったまま読んでいない本が山のようにある。この本もそうであったが、先日丸山真男の「自己内対話」で「学者から見た学園紛争」を見た以上、「学生から見た学園紛争」も見てみないとバランスが取れなくなる。そうしないと、佐々某のように「警察から見た総括」だけが幅を利かせてしまうことにもなる。そう思って、昨年の11月に出た本書を読み始めた。意外に読みやすい。事実と具体的な記述が多いからであろう。情熱と正義がその「若さ」をエネルギーに燃え上がっていく様子は感動的ですらある。世評言われるように東大紛争、特に安田講堂攻防戦」は「外人部隊」(他大学、セクト)ばかりだったわけではなく、東大生が「負けるとわかっている」「将来を棒に振るかもしれない」そして「死ぬかもしれない」たたかいに参加したのである。戦後50年にNHKが特集をしたことがある。当時民主党議員だった元安田講堂防衛隊長が当時の様子を赤裸々に語っていたが、この本はそれをさらに学生の側からきめ細かく描写している。詳しく述べる余裕はないが、「結局・・・・」などという歴史の総括をしてはいけないと思う。当時のベトナム、公害あるいは佐藤栄作の存在などさまざまな状況が学生を刺激し「戦後そのものが欺瞞に見えた。」そして、最高学府の学生が「自己否定」へと向かっていた。とんでもない秀才と言われ、先日物理の大著で大きな賞をもらった山本義隆らがその先頭に立っていた。もちろん、他の大学の学生など復学もできなかったことを考えると恵まれていたとも見える。(山本たちは復学しなかった。)しかし、「命を賭けた」ことは間違いない。
 この本の著者もひとつの道においてプロとなった研究者であるが、彼もひとつの信念や行動原則でずっと動いていたわけではない。その時その時のやむにやまれぬ状況に「その時々の決断」を重ねていったことがわかる。
 私は、大正時代の学生組織「新人会」の研究をしたことがある。マルクス主義的な歴史的な総括は「その後の国家社会主義に流れていく寄せ集め集団」となるが、その時の学生達の行動、言葉をつぶさに見れば「軍国主義に歯止めをかけデモクラシー、社会正義に燃える」若者の姿を垣間見ることができる。
 先日、沖縄で「基地反対の集会」に3万5千人が集まった。鹿児島の鹿屋でも8千人が集まった。もちろん、「動員」もあろうが、一人一人の思いを忘れてはならない。もちろん、その一人一人に心から「連帯」する。
 「学園紛争世代」は「団塊の世代」でもある。大量に定年退職を迎えるという。60歳はまだまだ若い。いろいろな場で大いに暴れてもらいたい。
 さあ、子ども達の夕食を買いに行こう!!
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# by yksayyys | 2006-03-06 14:59 | 読書 | Comments(1)

おや、登園拒否?

 昨晩も、下の絵のような積み木と「果物の絵」を完成した娘だが、今朝「おなかが痛い」と言い出す。「保育園、休む?」と聞くと静かにうなずく。「保育園、休みたくない」と言い続け、実際ほとんど休んだことのない娘だけにちょっと驚く。「病院に行こうか」というと、これもまたうなずく。とりあえず、しばらく様子を見ることにする。昨日の夕方、同じ保育園の友達の家に遊びに行った後、しょげて帰ってきたので「そのことかなあ」と考えてみたりする。教師という職業のカンが働く。「まあ、いいか休ませてやれ」と保育園に電話をする。朝食もほとんど食べない。皿はピカピカになっているが、弟の皿に移し替えて誤魔化している。「おなかが痛いんだったら、残してもいいのに・・」と思いながらも気づかないふりをする。午前中は、一人でお絵かきと積み木とままごと。息子と2人の時はそう思わないが、娘も加わると、結構「育休」も大変である。しかも、今日は大雨。外にも出られないし、洗濯物も乾かない。こういう時は一日が長く感じる。
 昼食はカレーにする。子供用に甘口にする。おいしかったらしく、2人ともおかわりをする。二合炊いたご飯が空になる。娘もだいぶ元気になる。そして、今久しぶりに「ハウルの動く城」を静かに見ている。少しずつではあるが、テンションが上がっている。「明日は大丈夫かな。」と安心する。あ、そうか明日は歯医者だから「大泣き」間違いなし。一難去ってまた一難。机上の桜が咲く。f0066076_13115576.jpgf0066076_1393296.jpgf0066076_13101945.jpg
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# by yksayyys | 2006-03-06 13:10 | 育児・家庭 | Comments(1)

太郎太郎祭り

日曜日に串木野市の羽島崎神社の「太郎太郎祭」を見に行く。5歳の男の子のお祝いをする行事とのこと。今まで聞いたことのない行事だったが、到着してびっくり。すごい人だかり。田舎の漁村にもかかわらず、500人はいたであろうか。各新聞社もずらり。明日の朝刊に載るのであろう。まずは、神事。社の中でお払い、玉串奉奠が行われる。国会議員もわざわざ来ている。肝腎の子ども達は、羽織袴を着せられ、親に抱かれて神事を見守っている。退屈であろうに・・
 大勢の観客は、神事の間ずっと広場で待っている。外での催しがメインなのであろう。
 長い神事が終了し、放送がある。五穀豊穣と大漁を祈る儀式でもあるこの行事は「漁のお祭り」と「田の祭り」の2部構成になっているらしい。まずは、親に抱かれた子どもたちが、帆掛け船を持って、広場を行進する。帆掛け船には小さな米袋が次々に入れられていく。その後ろに「漁師」と見られる集団が2列渋滞で並んで歩いている。子どもたちが退場した後、漁師の集団が「舟唄」を歌い出す。掛け合いになっており、前3列と後ろ7列が交互に、あるいは重なり合いながら歌う。長い長い、30分以上は優にあった。よくぞ、こんなに長い唄を覚えたものだ。妻の解説によると、この唄の歌詞は歌う本人たち以外には誰にも教えてはならない決まりになっているそうだ。町外れのこの漁村では、そうやって村人の団結を図ったのだろう。隊列の近くで「保存会長」らしき人が地面を見つめながら腕組みして立っている。歌詞に間違いがないか確かめているようである。終了は、その長老の拍手でわかった。隊列の終了後、農民らしき格好の2人が広場に飛び出す。何やら漫才みたいなことをやりだす。場内はわっと笑いに包まれる。厳粛な「船唄」のあとの「お笑い」。能と狂言のような取り合わせである。私たち親子の後ろでは、牛の格好をしたおじいちゃんが出番を待っている。会場に歩いて来る間に、「牛が場内を一周する」と言っていたが、この事だったのかと合点がいく。ところが、この牛を見てうちの娘が突然ガクガク手をふるわせる「こわいよお。」私が「お面をかぶったおじいちゃんだよ。」と言っても変わらず震えている。その牛が、一人の農民に連れられて場内にはいると、娘は一気に泣き出す。場内が「大笑い」なのとは対照的。やむなく退散。屋台のだんご、とうもろこし、わたあめを買って車の中で食べる。娘に「何が怖かった」と聞くと「黒いのが怖かった」という。色で怖がるのか。ちょっと複雑・・・・・・ほどなく会場から大量の人の流れ。牛の登場で終了だったようである。夜は子ども達の家庭それぞれでお祝いの宴だそうである。小さい集落の割には「5歳の男の子だけで優に15人以上はいる。妻にその理由を聞いたところ、東京や大阪に行っている人たちもすべて集落出身者は呼び寄せるらしい。一人一人の名前を書いた幟が神社の入り口から並んでいたが、子どもを持つ親も大変である。焼酎の臭いのたちこめる集落を後に帰宅する。なかなか面白い「お祭り」であった。が、準備やそれにかける時間やお金を考えた時、住んでいる地域にそういう行事がなくてよかったとホッとする。・・・そういう気持ちが伝統行事を廃れさせていくんでしょうけど・・・・
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# by yksayyys | 2006-03-06 05:08 | 社会 | Comments(1)

花とお金

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 3月3日に買ってきた桃と桜である。ダイニングテーブルを飾っているが、好評である。その前は「チューリップ」だった。「花を買ってくるなんて・・・」と妻が驚いている。
 娘の積み木、最近形が落ち着いてきた。が、以前は大きいのを1個だったが、最近は2個つくる。これは、一方の作品。こじんまりとしていてなかなか良い。
 私をのぞく親子3人は鹿児島アリーナの「子どもイベント」に出かける。私は「二日酔い」を理由に留守番。そして、昨日更新しなかったブログに向かっている。
 出かけ際、妻が貯金通帳を私に手渡し「今大ピンチ、対策を練って」と言われる。「エンゲル係数が高い」と注意される。今からさらに自動車税2人分、車検代と大枚が飛ぶ。「育休」の最大のネックは「お金」。2年目からは「無給」なのだが、家のローンや保険代などは今まで通り払い続けなければならない。月に20万近いお金が生活費以外に飛んでいく。妻が働いていなければ、まず無理な話。そして、「半年」がせいいっぱい。頼みは近々発表の「ジャンボ宝くじ」のみ。
 ということで、昼食はチキンラーメンかな。昼は、串木野の地域行事に出かける。5歳の子どものお祝いとか・・・これにはつきあわないと叱られそう!!
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# by yksayyys | 2006-03-05 11:37 | 育児・家庭 | Comments(0)

親子でgo

 昨日は親子4人で外出だった。まず、私と息子が毎日のようにいく公園に行く。最初は、サッカーと縄跳びにわかれて遊んでいたが、次第に縄跳びが白熱してきてそっちに集中!特にお姉ちゃんが喜んでいた。その後、日吉の山腹にある陶芸家と画家が経営している喫茶「風木野陶」で昼食。眺めはいつ行っても最高。妻は陶芸家で鹿児島市にもギャラリーと店を持っており、地元のTVにはしょっちゅう登場する。夫も著名な画家のようで展覧会のポスターをあちこちに見かける。肝腎の昼食だが、グルメ紹介番組に出ていた「ココナッツミルクカレー」ランチと「パスタランチ」を頼む。味は、おいしかった順番にケーキ、コーヒー、サラダ。メインディッシュは両方とも「イマイチ」特にカレーは「バリ島風」なんだが、甘口なので、私や妻にはどうも・・・子どもたちにはちょうど良かったのかも。パスタは、トマトソースだが、もともと私はパスタは和風かペペロンティーノ好みなので。でも、バナナケーキは焼きたてでおいしかった。まあ、ここは眺望がいいので・・
 その後、妻の買い物のために鹿児島市内に向かう。息子が車中で寝てしまったので、私と息子は車で「お留守番」。永井荷風の『ゆめのあとさき』(岩波文庫)を読みながら待つ。昭和初期のモボ・モガ時代の雰囲気がよく出ている小説である。その後、今度は中央駅ビルアミュプラザに直行。人混みの苦手な私は、ひとり車でお留守番。『ゆめのあとさき』を読みながら夢うつつ・・
 そして、妻達がたこ焼きとパンをかかえて帰ってくる。「腹が減った」とパクついていた。「築地の銀ダコ」おいしかった。私は、午後4時から今年度最後の組合の執行委員会に参加するため。教育会館近くで降ろしてもらう。妻達は、娘の「スイミングクラブ」に直行。私も何度も連れていっている。娘は「上手」ではないのだが、「とても楽しい」と喜んでいる。「習い事」は好きなのが一番だ。執行委員会の後は、懇親会。新しいメンバーと語ることができて良かった。市議のMさんといつもの「読書談」。Mさんは今「ギリシア神話」に凝っているそうである。こないだは「松岡正剛」と「美術史」だった。この人も漂流タイプに間違いない。2次会には参加せずに帰る。このごろ2次会で「悪酔い」することが多いので・・あとスナックが苦手なのである。私!そういえば教育会館でぷくぷくさんのパートナーさんに出会う。「育休中は組合も休んでいいんだよ」と言ってくれる。気分的には「休んでいる」。
 長くなった。結構いい休日だった。
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# by yksayyys | 2006-03-05 11:18 | 育児・家庭 | Comments(0)

「自己内対話」を読んで

 息抜きと思って丸山真男の「自己内対話」(みすず書房)を読む。が、「息抜き」どころか「神経衰弱」気味になってしまった。この人が亡くなってからは、全集(生前から刊行)に続いて「書簡集」「講義録」「対談集」が出て、出尽くしたかなあと思ったらメモ、ノートをまとめたこのような本まで出てしまった。書いたものはすべて出版されたのではないかと思うくらい・・・・ただ常々「対話」を強調する丸山がこの本では「激越な文章」を数多く書いている。批判というよりは糾弾に近いものもある。理由は簡単である。この本のもとになったメモ、ノートはいずれも1968年前後の学園紛争の頃のものであったからだ。「戦後派知識人の代表」として「東大の権威の象徴」として、「解体」「自己否定」を叫ぶ全共闘三派の学生の標的となり、追求にとどまらず、研究室が荒らされたわけであるからしょうがないのかも知れない。「レッテルを貼られて迷惑なのはこっちだ。」「権威に対抗するだけの権威を持て。」「自己否定はそれだけの積み上げがある人間のすることだ。」・・・・公衆の前でつるしあげを受けながらの毎日、もともと体の弱い身ゆえより言葉が厳しくなっていったのだろう。
 最近、大学の時のゼミの教官であるI先生も「戦争をはさんだ年輪」(部落問題研究所)という本の中で、学園紛争中の事を実名入りで赤裸々に語っている。特に、全共闘を煽った学者として奈良本辰也に対して厳しい。(鶴見俊輔は奈良本を買っている。「セクトの親玉から退いた後」という条件付で・・)I先生も政治信条のはっきりとした人だった。ゼミの面接の時に教師志望であることを伝えたら「僕のゼミから教師になるのは難しいんだよなあ。ワッハッハ。」と笑っていた。
 学生が教官から影響を受けるのは「学問の内容」とともに「人間としての姿勢」があると思う。私など学生時代きちんと勉強した覚えはない。講義に出るのも必要最小限だけ・・・しかし、講演でやってきた歴史学者井上清がI先生の事を「戦闘的歴史学者」と言っていた。若い時から「実践的であった」とも言っていた。卒論はI先生の考えとは正反対の結論を出した。が、地味ながら当時羽振りの良かった梅原猛や上山春平ら「新京都学派」に論戦を挑むI先生の姿は格好良かった。退官後は、次々に本を出し、実兄とともに「特攻」という体験本も出した。
 学生に迎合する教員はかえって学生にも嫌われる。これは、中学生とて同じことであろう。反抗されようと拒否されようと学生に対して「屹立とした壁」となる必要がある場合がある。「学園紛争」の評価など私はする気もないしする能力もない。高橋和巳の「わが解体」などを読んでいる頃は結構あこがれもあったし、その頃の活動家が地方でユニークな生き方をしているのも面白いと思う。でも、「学問あるいは民主主義とはそんなものじゃない」と立ちはだかる大学教師たちも悪くないと思う。
 結局どちらも「体を張っている」ということであり、先ほど述べた「生きる姿勢」にはどちらも感銘するものがある。
 母校からタテ看が無くなったと聞く。独特の字体の看板、チラシも無くなったのかも知れない。引き替えに「企業の好感度アップ」と聞く。いいか悪いかは別にして寂しい気がする。
 丸山は、学園紛争の後、困った人々として「暴力学生」や「煽る学者」とともに「この紛争に何も反省していない学者」というのをあげている。「自己のなかにもうひとりの他者を持て。」「他者感覚が必要」丸山得意のセリフであるが、糾弾調の文章の中にもそういう自己抑制を図ろうとしているのはわかる。
 「人間、年を取れば人間が円くなる。」というのは私にとってはあてはまらない。年々、人間関係が狭くなっていく気さえする。職場や社会状況から他者に攻撃的になることも多い。ただ、丸山が言うように「もうひとりの自分」を常に持っているようにしたい。それがきっとタイトルの「自己内対話」の意味だと思う。「自己内対話が出来ない人間に国内対話も国外対話もできない。」そうこの本に書いてあった。「閉じるな」ということだと思う。セクト化への警鐘だとも思う。
 今日は、ちょっと堅すぎた。ひな祭りにしては・・・・(ダイニングテーブル用に桃の花を買ってきました。)
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# by yksayyys | 2006-03-03 23:19 | 読書 | Comments(1)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・


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