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アマノジャクはこう考える

深く

 2月25日の鹿児島市の「平和を学ぶフィールドワーク」の準備会(教組主催)が午後6時半からあり、東郷の原稿を持って参加しました。そこから今帰って来たのですが、妻も子供も「熟睡中」。「しめしめと」いやいや「「しずしずと」2階に上がり、パソコンに向かっています。もちろん、食器洗浄機と洗濯機のスイッチは入れました。正直言いますと、洗濯機に入れる洗剤がなくなっていたのですが、どこにあるかはわからず、そのまま「水洗い」をしています。妻は知りません。いいんです。汚れが落ちているかいないかは私が朝洗濯物を干す時に確かめます。落ちていなかったら?その時は当然知らないふりしてタンスに突っ込みます。ヘヘヘ・・・
 先日、都留重人さんが亡くなりました。この人の印象は「いい歳して蝶ネクタイしてる変なおじさん」というものでした。八〇年代くらいまでは結構テレビにも出ていました。この人のすごさを教えてくれたのは鶴見俊輔でした。批判を承知で言いますが、私が最も心酔している知識人は丸山真男と鶴見俊輔です。そのうちの鶴見が「都留重人はとんでもない秀才」と言うんだからやっぱりすごいんでしょう。鶴見と都留は戦前ハーバード大学で学びます。鶴見はデューイやベルクソン、パーソンズ、都留はサミュエルソンとガルブレイスという当時最高の知性のもとで学んでいます。が、真珠湾後交換船で日本に帰ってきます。二人とも「負けるとわかっている」戦争の最中に祖国の側で生活します。「深く」学んだ人間は時局に迎合したりはしません。が、どんな思いでこの国を見ていたのでしょう。興味があります。
 戦後都留は政府に請われ、政府内で働きます。経済白書も書きます。「もはや戦後は終わった」という文章に代表されるように戦後史に登場するのはいつも経済白書。それは、戦後しばらくずっと書き続けた都留の「文章力」のせいだと思って間違いありません。「庶民にわかる言葉で」・・大切なことです。鶴見、都留、そして丸山らは「思想の科学」を創刊します。党派に属さない「庶民感覚に根ざした」(鶴見はエリートが嫌いです。)思想雑誌が颯爽と戦後思想界に誕生します。私も学生時代から休刊に至るまでずっと定期購読しました。ちなみに学生時代、定期購読していた雑誌は「世界」「思想の科学」「朝日ジャーナル」「現代の理論」の4つ。そのうち「世界」を除いて三つは廃刊となりました。(「現代の理論」は復活しましたが今ひとつピンと来ず定期購読には至っていません。)「世界」も大きな本屋にしかなく、本日ようやくジュンク堂にて手に入れました。「右傾化」はこういうところにもはっきり現れています。
 さて、話をもとに戻すと都留は近代経済学者でしたが、「成長よりは安定」を訴えた人でした。今風に言うと「競争よりも共生」を唱えた人でもありました。公害への告発も厳しいものがありました。何度も都知事選の候補者になりましたが本人が強く固辞しました。(おかげで今石原でサイテー)反体制でリベラルではありましたが、一橋の総長も勤めましたし、政府の審議会委員もいくつもやりました。それに対し、鶴見は「ベ兵連」など在野で活動しました。学生運動の時は大学(同志社)に抗議して教授を辞職しました。どちらも、哲学の素養があり「深く」考える人たちです。そして「誰にもわかる」言葉で話します。どこかの政治家のように「浅く考えてひとことでしゃべる」のとは訳が違います。
 丸山も亡くなり、都留も亡くなり、生きている「進歩的文化人」の大物は加藤周一と鶴見俊輔のみとなってしまいました。と言っても二人とも八〇代後半。いつかは・・・・・・・・
 戦争を知る「戦後派知識人」がいなくなった時に、いかに私たちが戦後思想を引き継ぐことができるか。これが「リベラル」の側の最大の課題のような気がする。
 今、鶴見の「回想の人々」を読んでいます。「黄金バット」「ゲゲゲの鬼太郎」「ガキデカ」そして(私の大好きな)いしいひさいちの漫画から思想を引き出す鶴見はやっぱりすごいと思う。その鶴見が「たいしたもの」という小田実の言葉を引いて今日の最後としたい。
 「ひとりでもやめる。ひとりでも動く。」(正確には「ひとりでも戦争をやめる。ひとりでも反戦で動く。)「ひとりで深く考える。」結局そこからしか始まらない。
 ビールを二缶飲んだせいかずいぶん長い文章となった。まあいいじゃないか、ねえ。
 
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# by yksayyys | 2006-02-15 01:33 | 読書 | Comments(2)

東郷と肉じゃが

 今日が東郷平八郎の原稿の締め切り。原稿とは言ってもチラシ用ですが・・
実は東郷平八郎は「肉じゃが」の発明者だったという話。明治前期、イギリスのポーツマス
に留学した東郷は、帰国の船上でイギリスの料理ビーフシチューを再現しようとしたところ
デミグラスソースとワインがなく、かわりに醤油と砂糖を使ったところ「肉じゃが」が
できたらしい。トリビア的な話ですね。結構使えるネタだと思うのですが・・
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# by yksayyys | 2006-02-14 12:24 | Comments(3)

雄大な風景と息子

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昨日親子で訪ねた霧島連峰のふもとです。このあとアイスを食べました。
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ここはおすすめのグルメスポット「地鶏のみやま」です。ビールが飲めればもっと最高でした。
みやまコンセールの交差点を霧島神宮方面に右折してしばらく行くとあります。
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# by yksayyys | 2006-02-14 12:07 | 育児・家庭 | Comments(1)

司馬と清張

 なかなか手に入らない「世界」の代わりに朝日新聞の「論座」を買ったが、その中に最近さかんに文章を発表している歴史学者成田龍一の「司馬遼太郎と松本清張」という稿を読んだ。司馬遼太郎は死後10年、松本清張は最近の「黒革の手帖」「砂の器」「けものみち」のドラマ化にみられるブームという点で注目されているといえる。また、どちらも「近代史」ものを得意とし、よく比較されてきた2人でもある。成田氏は「歴史学の側からは、しばしば司馬遼太郎に対する批判と、松本清張に対する賛辞が与えられるが」と書いているが、私も大学3回生の時、最初のゼミで近代史担当の教授が「(歴史学においては)松本清張は使えるが、司馬遼太郎は使えない」と言ったことを覚えている。「批判」がキーワードであったように思える。ただ、「歴史を好きになった」きっかけに司馬遼太郎をあげる人は多い。「龍馬がいく」「坂の上の雲」「国盗り物語」など・・
 成田氏はそのような司馬の歴史叙述のありかたを通じて歴史学との関連を追及しているように思える。昨年読んだ「歴史はどのように語られるか」(NHKブックス)では、島崎藤村の「夜明け前」と火野葦平の戦争三部作の分析を通して「歴史叙述にみる歴史学」のスタイルを披露していたので今回の稿も違和感なく読めた。「古事記や日本書記は科学的ではないが、そこにあるものから歴史をさぐる」ことが可能であるように歴史小説の書かれ方に時代状況や背景を読みとることは非科学的ではないということだろう。
 私は、高校までは司馬遼太郎ばかり読んでいた。どちらかというと「戦国もの」が好きだった。が、大学では松本清張に替わった。ただ、推理小説ではなく「昭和史発掘」「日本の黒い霧」シリーズが好きだった。文壇ものを読むと司馬遼太郎の方が松本清張よりもはるかに好人物であるようである。清張は「カンシャク持ちでひねくれ者」のイメージが強い。タモリは「下唇肥大のバケモノ」と笑いのネタにもしていた。だから、ああいう「陰湿に思えるほど緻密な」文章が書けたのかもしれない。とにかく司馬遼太郎も松本清張も「大物」であった。共通しているのは、2人とも「朝日」から「文春」まで幅広いメディア媒体に重用されたことである。特に松本清張は明確な「日本共産党支持」であった割には右派出版社にもよく書いていた。「大物」たる所以である。
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# by yksayyys | 2006-02-13 23:54 | Comments(0)

オノ、ヨーコ

 トリノオリンピックの開会式でオノ・ヨーコが「平和への訴え」を行い、ラストに「イマジン」が合唱されたと報道された。マスコミは、ラストはイタリアの楽曲と決めつけていたらしくジョン・レノンの曲に一同驚いたという。しかし、「オリンピックらしい」選曲ではある。また、「イタリアらしい」ともテレビでは解説していた。イタリアでは今でも平和運動がさかんで平和を意味する「パーチェ」(おそらくPEACEの語源であろう)という言葉が街に散見されるという。ベルルスコーニという右派政権を持つイタリアではあるが、左派政権の歴史も長い(4月の総選挙 では下馬評有利)「懐の深い」国柄が影響しているのかもしれない。ちょうど5、6年前に小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」の中で「日本の平和ボケどもはイマジンでも歌って自己満足するのである。」と嘲笑していた。また、昨年香山リカはその著書「今どきの常識」ど中で「平和を唱えることが何か時代遅れで非現実的であるかのような雰囲気」を憂えていたのを思い出す。私の職場でもこういうできごとがあった。学校で使用している国語の教科書に「少年H」が掲載されていることに国語教師どうしで意見交換をしていた。「きちんと時間をかけてこの小説の背景となった時代を伝えたいです。」初老の女性教師が言った。それに対して20代の男性教師は言った。「こういうイデオロギー的に偏ったものを教科書に載せるべきではない。」 その男性教師の言い分は「平和を唱えることは一部の人々の無責任な言動である」ということである。「よくぞ俺のいる前で」・・私はそう思った。
 「平和を求める」ことはイデオロギーではない。普遍的な価値観であるはず。同じくイラクに軍隊を派遣したイタリアでのオノ・ヨーコの姿にその意を強くした。
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# by yksayyys | 2006-02-13 23:53 | 社会 | Comments(0)

大自然に抱かれて

 今日は朝から「快晴」。「今日はドライブ」と決め込み、娘を保育園に送った後、息子と直行したのが近所の海浜公園。サーフィンのスポットとして有名な所で、先週は選手権大会が開催され、にぎわっていました。まずは広場で「親子サッカー」。近所で焼酎のCM撮影をしていました。疲れたので、2人で釣り堀を散策していたところ、息子が駆け足の最中に転倒、口の中は砂だらけ!あわてて水をふくませてはき出させようとしたところ、息子は逆に「ゴックン」・・・まあニワトリさんになったと思ってあきらめるか・・と砂を食った息子を連れて一路霧島へ!先日の新聞に見事な韓国岳の写真が載っていたので、「それ」ということで急行!雲ひとつない快晴のうえにウイークデーとあって人もまばら・・・「今頃、みんな眉間にしわ寄せて働いているんだろうなあ」と少々後ろめたい気もありながら、車を走らせる。途中、腹が減ったので霧島のグルメスポット「地鶏のみやま」で鶏めしと地鶏のたれ焼きを食べる。最高!2歳の息子も「おいしい」とご満悦!!その後、高千穂牧場で絶景のもとで「親子でアイス」!!土日しか来たことがなかったのですが、今日はアベックだらけ。こんな日に車で来るのは学生くらいなのでしょう。そこで息子の写真撮影をしてから「そろそろ」と帰路へ。息子は車内で爆睡!!
 以前、友人Sと「倉本聡」派か「山田太一」派かと飲みながら話したことがある。つまり、住むんだったら「大自然に囲まれる」方を選ぶか、「都会の雑踏を選ぶ」方を選ぶかということである。そのころ自分は「山田太一」派であったが、今はすっかり「倉本聡」派。これも「40代」という年齢のせいなのでしょうか。
 現在、家です。洗濯物とふとんを取り込み、息子にはアンパンマンのビデオを見せながら、この文章を書いています。さあ、娘を保育園に迎えにいくか・・しかし、今日の霧島は最高だった。
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# by yksayyys | 2006-02-13 16:40 | 育児・家庭 | Comments(0)

テロと東郷

 東郷平八郎についての面白いネタを見つけました。立花隆「天皇と東大」に出ていたものです。というより、歴史的事実なのでこの本によるオリジナルな発見というわけではないのですが・・1931(昭和6)年10月に「十月事件」というクーデター未遂事件が起きました。当時はほとんど隠されていた事件(陸海軍上層部がからんでいたので秘密にされ関係者の処分もきわめて甘かった)でしたが、のちの血盟団事件と5,15事件のメンバーはほとんどこの計画に加わっていたとされる事件です。どういう計画であったかというと次のようなものでした。「陸軍桜会(参謀本部の橋本欣五郎中佐を指導者とする)と民間の大川周明が中心になって立てたクーデター計画で、陸軍からは将校120人が参加し、霞ヶ浦航空隊から爆撃機を十数機を飛ばし、横須賀からは陸戦隊も参加することになっていた。まず、首相官邸の閣議を急襲して、首相以下全閣僚を斬殺する。それとともに、警視庁など20数カ所を襲撃して一挙に政権を倒すとともに、宮中に東郷元帥が参内し、新興勢力(クーデター派)に大命降下してもらうよう奏上する。」満州事変に連動して挙国一致体制を作り、石原完爾いうところの米国との「世界最終戦」に持っていこうとする壮大な計画でしたが、クーデター後の首相に予定していた荒木貞夫大将が決行直前に激怒し握りつぶしたというものでした。前述したように、東郷の役割は「クーデターを天皇に説明し理解してもらい、政権をクーデター派に渡すようにお願いする」というものである。「東郷はこの計画にどの程度関わったのだろうか」この疑問を佐藤国雄著「東郷平八郎元帥の晩年」(朝日新聞社)で確認したところ、側近の小笠原長生が決行9日前に情報を察知し、陸軍方面に連絡し、東郷にもそれを伝えたとある。つまり、「つぶす側」で動いたようである。そして、その功績から東郷と小笠原はさらに「陸海軍への勢力」を強め、陸海軍大臣の選任はおろか実質最高実力者といえる陸軍参謀総長、海軍軍令部長も一緒に替えようと画策し、半ば成功することになる。
 とにかく、クーデター派にとって東郷は「天皇に忠告、直訴できる唯一の人物」と見られていたようである。昭和天皇の教育係であり、国民的英雄であったが故に「担ぐには最適」だったということである。皮肉にも、これ以降東郷の「軍神化」はさらに進んでいく。
 ということで天気もいいことだし、子ども2人をつれて公園に遊びに行ってきます。(妻は、剣道の指導者講習会に行きました。)
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# by yksayyys | 2006-02-12 09:34 | 社会 | Comments(1)

ジェンダーの始まり?!

 男の育児休業、同じ職業の女性たちからは「頑張って」の声がほとんど、男性たちからはただ「ヘーッ」という反応が多いのが現状です。また、親しい友人たちからは、私がまじめに家事・育児をやるとは思わないらしく「育休????・・・で、何やるの?」と言われたりします。確かに本を読んだり、このようにブログを始めたりはしてますが、概ね家事・育児を中心に生活しているつもりです。ただ、自分の子供から意外な反応があって困っています。それは、私に対してではなく妻に対してなのですが、「おかあさん、ご飯作らないし」とか「おかあさん起きるの遅いし」と母親に厳しい言葉を投げつけるのです。どうやら「家事はおかあさんの仕事」と思いこんでいるようなのです。当然、それまでは家事は夫婦で分担していたものの比率としてはやはり妻が多かったのは事実です。それが育休で事情が変わったのですが、5歳の娘にすると「母親のくせに」という事になっているのです。どうやら、これは保育園での「刷り込み」のせいのようです。気をつけて「園だより」を読んでいると、「保護者のみなさん」という呼びかけの文章はほろんどなく、だいたいが「お母さんたちへ」と言った具合なのです。「保育は母親の仕事」と思っているかのよう・・
 また、使う洋服や上履きなど保育園で使うものはほとんど男女で「色分け」させられ、娘も「女だから」「男だから」という表現を使うことが増えてきています。世間で話題になっている「ジェンダー」ですが、やはり実感として「性による差別」は社会的に形成されていっているような気がします。妻は「これまでは私がほとんどの事をしてきたのに、あなたはおいしいとこ取りでいいわね」と言います。ムムムムム・・・・・世間を変えるのは難しいですが、自分の子にはきちんとした認識を身につけさせたいと思います。この子たちが大人になった時のためにも・・・
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# by yksayyys | 2006-02-11 22:46 | 育児・家庭 | Comments(1)

東郷平八郎

 友人に「東郷平八郎についての簡単な説明を2ページくらいで、平和教育の視点から」と頼まれて今考えているところです。東郷平八郎といえば「日露戦争の英雄」で外国の海軍は鹿児島に来ると必ず多賀山の銅像に献花に来るというくらいの人物なのですが、実像はといいますと
① 退役しかかったところを山本権兵衛(薩摩藩のちの首相)が「東郷は運のいい男」と天皇に推薦して急遽連合艦隊司令長官になった。②「東郷ターン」は当然部下の発案で「坂の上の雲」の秋山やそのまた下部士官のアイディアと言われる。③ロンドン海軍軍縮会議に圧力をかけ「艦隊派」にかつがれる。そのおかげでその後海軍は「航空機」戦略が遅れることになる。
④海軍が軍服をイギリス式のダブルボタンに変えようとしたところ、東郷の「わしは詰め襟でロシアに勝った」のひとことでそれまでの詰め襟となった。⑤昭和天皇の教育係であったが、「修身」だけに興味がありまた厳しかったという。⑥東郷の美談のほとんどは側近の小笠原長生の創作が多いと言われる。
 そんなところかな。頭の固いいかにも「薩摩の軍人」って感じですね。
誰か面白いネタないですか?
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# by yksayyys | 2006-02-10 21:59 | 社会 | Comments(1)

難問?

 今日、車の中で娘に「建国記念の日って何?」と聞かれました。
中学生以上だったら何とか言えそうなのですが、5歳の娘にどう説明
すればよいのでしょう。ちなみに、今日のところは「お母さんが詳しいよ」
と逃げておきました。もちろん娘は「えー」と不服そうでした。
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# by yksayyys | 2006-02-10 21:41 | 育児・家庭 | Comments(0)