ブログトップ

アマノジャクはこう考える

アメとムチ

f0066076_22513893.jpg
 翌朝は午前5時に「朝風呂」に入り、これまたうまい朝食をご馳走になり親子共々「おかわり」をする。風呂も「貸し切り」状態だったし、宿は本当に最高でした。宿を出て2日目のメイン「アフリカンサファリ」に向かう。天候は雨、しかもサファリパーク一帯は「濃霧」視界は50メートルくらい。ただ、私以外は全員「初めて」だったので「動物の放し飼い」には驚くやら、怖がるやらで大騒ぎ。私は、娘が窓を開けないかと心配していたが、娘は逆に「お父さん、車を停めないでよ。早く行ってよ。」と半分泣きべそ状態。濃霧のせいで車の正面にいきなりライオンやトラが出てくるのでスリル満点。順調に回り終え、これまた順調に帰路につく。昼食は阿蘇のファームランド。午後5時に自宅に帰り着き、おととい私の作った唐揚げで夕食とする。
 今は、私以外3人は爆睡中。今回の旅行はずばり「アメ(雨)とムチ(無知)」であった。雨は文字通り「天候」のこと。無知は昨日の「道筋を知らない」ことを指している。まあ、子どもたちは「楽しかった」と言っていたので○としよう。以上、旅行記でした。
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-13 23:05 | 育児・家庭 | Comments(2)

「久住での決断」が「苦渋の道のり」に

 突然の大分旅行、めざすは別府で初日の目玉はハーモニーランド。とにかく「子どもに喜んでもらう」ために今回は本も持たずにひたすら「運転手」。娘も「キティちゃんに会える」と朝から大はしゃぎ。午前9時に我が家を出発、九州自動車道を順調に北上しました。ずっと高速もつまらないと考え、熊本でインターを降りて「山越え」で大分を目指す。いつかぷくぷくさんと車で走ったコースを「平日ということもあって」スイスイ走っていました。が、途中で行き先は大分市ではなく別府市であったことに気づき、急遽竹田市から山道に進路変更しました。娘からは「まだかまだか。」「早くしないとキティちゃんがお家に帰っちゃう」と急ぐように矢のような催促。久住高原にさしかかった時に大きな交差点にさしかかり「やまなみハイウェイ」を走ろうとそちらへ向けて行く。そして、ようやく「やまなみハイウェイ」に入ったころ、娘が「遅い遅い」と泣きわめき出す。焦った私に「有料道路」の看板が目に入る。「しめた。ここで挽回だ。」と500円を払い、「ロードパーク」なる有料道路に入る。とてもきれいな花に囲まれた道路でした。ようやく出口にたどりつき、普通の道路に入りしばらく経ってから衝撃が走る。「ここは30分くらい前に通った道だ。」そう、この有料道路は私の車を数十キロ後ろの地点まで「金をとって」戻してくれたのである。これは、重大なロス。不幸中の幸いは「遅い」と泣きわめく娘が泣き疲れて眠ってしまったこと。起きていたら「さっきと同じ道じゃん。」と痛烈な非難を浴びていたことは間違いない。あとの道筋は順調であったが、妻はずっと「思いだし笑い」をしていた。
 午後4時、ハーモニーランドに着く直前に娘は目を覚まし、スカスカの園内でアトラクションとショーを見て大いに満足してもらう。宿は別府温泉の「眺望の宿しおり」。オープンして1年ということだったが、「るるぶ」でもお勧めのこの宿、とにかく料理が最高であった。温泉場でこんなうまい料理を食ったのは初めてであった。食事の場で夫婦で話題になったのは、やはりこの日の「まわり道」。決断して「ワープ」(宇宙戦艦ヤマトが使っていた近道の方法)したはずが、実は大きな「フィードバック」。場所が久住だけに表記のようなタイトルにしてわが「家族史」の記憶に残すことにしました。写真は、久住の風景とハーモニーランドのキティちゃんたちです。f0066076_2226241.jpgf0066076_22265440.jpg
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-13 22:28 | 育児・家庭 | Comments(2)

突然ですが

 明日から1泊で「家族旅行」に出かけることになりました。場所は九州管内です。ということで、ブログはちょっとの間休みます。とはいっても、1日だけですが・・・・
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-12 01:49 | 育児・家庭 | Comments(2)

あまりにも・・・・

 宿泊学習の妻をもてなそうと唐揚げ、酢の物、あさりのみそ汁などで万全の構えでいたところ、夕方1本の電話がかかってきました。電話に出た娘の語り口からしてわたしの祖父母かと思っていたところそうではなく電話の主は幼稚園、小学校、中学校の同窓生でした。「今から出てくるのは無理かなあ」つまり飲み会へのお誘いでした。妻の許可を得て、かご島中央駅ビル内の寿司屋で夕食を共にしました。実に23年ぶりの再会でした。私の印象では、以前と変わらぬ「マイペース」の友人でした。仕事は政府系金融機関の幹部ということでしたが、県内の経済状況をつぶさに教えてくれました。共に過ごした時間は5時間近くにも及びましたが、彼曰く「あの頃で友人と言えるのはおまえだけ」・・嘘でも嬉しいセリフでした。彼からは「学校経営に携わる人間であって欲しい」と言われました。彼の父が「元活動家で元校長」であるがゆえの言葉だったのかも知れませんが、私は「そのつもりはない」と答えました。彼は笑っていました。彼は彼で「なかなか他人には話せないしんどい事情」をかかえているようでした。最終列車を前に「そろそろ帰らないと」と言うとタクシーチケットを渡して「これでもう少しつきあってくれや」ともう1件つきあうことになりました。まさしく「4半世紀ぶりの再会」楽しく過ごせました。ちなみに彼の私に対する印象は「常に温厚だった」ということです。ふむふむ・・・・
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-12 01:35 | その他 | Comments(1)

今朝のニュースから

「米軍再編合意」
 稲嶺沖縄県知事が政府案に同意したという。何が知事を「同意」させたのか定かではないが、岩国、鹿屋両市長は依然として反対。「裏で何かが動いている」としか思えない。
「ハンセン病判決から5年」
 朝日新聞に韓国のソロク島に関する記事が載っていた。植民地における台湾・韓国の問題は未だ未解決。先日はフィリピンの世界最大級の療養所の記事も載っていた。日本の「強制隔離」はきわめて特殊であったが、世界的に「隔離」が実施されていたことも忘れてはならない。「優生思想」はすぐにでも復活するし、今でもあちこちにあると思っている。
「小熊英二」
 朝日に「ナショナリズム」についての小熊のインタビューが載っていた。小熊は「今の動きはナショナリズムというよりはポピュリズムである」と言っている。かねて考えていたことをすべて代弁してくれたように思う。というよりは私が小熊の影響を強く受けている。
「教育基本法」
 今日、国会で審議に入るという。やはり朝日に教育基本法の特集が残っている。注目はやはり「制定前後の議論」である。60年前の議論から私たちの国はいったいどれだけ進歩したというのであろうか。森喜朗の発言はあまりにも「悲しい」。この人が元首相で現首相の後見人とは・・
「法律」
 今国会で審議されようとしている法案はどれもきな臭いものばかり。共謀罪法案に教育基本法改正、国民投票法案に米軍再編・・・政府高官曰く「各省庁が解決をねらっていっきに法案を提出してきた」とのこと。自公絶対多数のもと、強硬に押し切るのか・・・
「地方紙」
 地元新聞に見るべき記事がない。朝日がいいとは言わないが、コラムや文化欄などは確かに「読ませる」。やはり地方一紙独占はよくない。もうひとつ「批判」をスローガンに掲げるような地方紙が欲しい。鹿児島はすでに「翼賛体制」に入っている。先日の投稿にも「国に対しては厳しいが地方には甘い」とあった。国の記事は共同通信の配信であるから、結局・・・・・
 やめようかな・・・・
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-11 12:28 | 社会 | Comments(0)

花とお絵かき

f0066076_10294364.jpg
 母の日に備え、テーブルの花瓶の花をカーネーションに変えました。部屋が一気に明るくなったようです。そのむこうで息子が「お絵かき」中です。このあと私の仕事(落書き消しと片づけ)が待っていることは間違いありません。あの頭でぶつかってきました。取扱い注意です。
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-11 10:32 | 育児・家庭 | Comments(0)

早起き攻撃

 うちの子ども達は夜9時には熟睡するせいか朝は早起きである。午前6時前には起きて行動を起こす。この行動がくせもので、姉弟はベッドの上でプロレスごっこのようなものを始める。もちろん、まだ親は寝ているのにである。倒れ込む、踏んづける、物を投げる、走り回る。土曜、日曜関係ない。妻はよく髪の毛を踏みつけられて悲鳴をあげている。それでも何とか「寝たふり」をしていると娘が叫びだす。「ねぼすけ、起きろー!!」さすがに2人とも6時半すぎころには起きて朝食の準備を始める。今、静かである。なぜなら「食ってるから」・・・さあ、今日もあわただしい1日になりそうだ。・・昨日発見した左頬の痣はさらに拡大してパンダ状態である。多分、人に聞かれるだろうからこう答えよう。「うちの亀田キョウダイにやられた」!!
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-11 07:26 | 育児・家庭 | Comments(0)

編集者と記者

 私が「論座」で楽しみにしている連載がある。雑誌の一番最後にある「わたしの戦後出版史」というインタビューものである。インタビューされているのは未来社の元編集者で現在影書房(季刊「前夜」を発行)の編集をしている松本昌次という人でインタビューしているのは講談社と小学館という大出版社の元編集者2人である。何が面白いかというと、とにかく出てくる「交流史」が面白い。未来社は「戦後思想」を得意とした出版社だと思うが、たった3人くらいでやっていたというのを聞いて驚く。でも、出版社ってそういうところが多いですよね。この松本さんは埴谷雄高と花田清輝の本が出したくて編集者になったと言う。私が今まで手にした本で「さっぱりわからなかった」本の著者がこの2人である。埴谷の「死霊」、花田の「復興期の精神」2つともいろいろな書物で名著にあげられていたので学生時代購入したのだが、試合開始直後の「大雨」といった感じであった。きっと「わかる人にはわかる手応えのある名著」なのであろう。私も文学部出身なのでそういう「編集」という仕事にあこがれていた。著名な作家や知識人と「本づくり」を話し合うなど「夢のような」仕事である。実際はいろいろ大変なのであろうが、端から見ているとかっこいい。学生時代の同窓にも1人編集者がいる。もういくつ会社を渡り歩いたかは忘れたが、とにかく今でも現役の編集者である。佐高信や有田芳生、水谷修、田中伸尚といった人たちと交流があり、彼のおかげで水谷さんと田中さんとは言葉を交わす機会を与えてもらった。彼もとてもいい仕事をしていると思う。学生時代はそんなに交流があったわけではないが、卒業後何かと連絡を取り合うようになった。「ジャーナリストの目」私は教師をやりながらそういう目を持っていたいと切に感じている。
 あと、「世界」で同じく学生時代の友人の動静を知った。「巨悪と闘っている」と感じた。彼は新聞記者。科学雑誌などに書きながら苦労して記者になった。学生時代のイメージと今の姿はあまり重ならないが、今は心から敬服している。
 そして、自分。彼らに何が語れるのか!?
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-11 00:15 | 社会 | Comments(0)

病院にて考えたこと

「学歴」
 病院の待合室で私が「生産様式」とか「交換形態」とかいう言葉と格闘している時にとなりのおじいちゃんとおばあちゃんが次のような話をしていました。「・・・先生は鶴丸高校にもいたらしいですよ。すごい偉い先生だったんです。娘は担任してもらって幸せでした。」「・・・さんとこの息子は今年東大に入ったって。・・・さんとこは九大だし。うちの親戚にも九大の・・・・」とにかくいろいろなお宅の高学歴者の紹介ごっこという感じでした。こういう話が好きな人と時々出会うことがあります。私の経験の中では高校の教員がよく「どこを出たの?」と聞いてきました。私はわざと「何のことですか?」と聞き返したりしたものです。多分、進学指導をしている関係上「そういう思考」になっているのだろうと思います。その点、小中学校の教員間でそういう話はほとんど聞きません。「試験を受かればどこを卒業しようが一緒」と思っているからだろうと思います。あと、鹿児島の人は「国立志向」が強いと思いますね。中高連絡会に行くと「うちは国立大学に・・・人合格しました。昨年より・・人増加しました。」などという説明を聞くことが多い。参加しているほとんどの中学校の教員はそんな事どうでもいいと思っているのですが、さも重大な事のように時間をかけて説明する。こういう言い方もよくないが、鹿児島県の周辺の国立大学は入学しやすい大学が多いので数が多くなるまでの事で他県では「国立」「私立」の別を気にしないと友人(高校教員)から聞いたことがある。(ちなみに私は私立です。)「学歴」に重みがあるとするならば、私は「そこでどんな先生に就いてどんな勉強をしたのか」が重要だと考える。そういう意味で東大や京大には実力のある研究者が多くいるのかもしれない。そういう人たちの教えのもとで意味のある研究に携わることができた時に、そこを卒業した意味というのがあるのではないだろうか。だいたい、最近は芥川賞、直木賞受賞者にしても大企業の社長にしても閣僚にしても、実に様々な「学歴」の人たちでにぎやかである。ソニーが採用に学歴を問わないとしたことも「時代の流れ」かも知れない。まあ、「大学の名前」で鼻が高くなる人はそれはそれで幸せかも知れないが、まあ私が親しくしている人にはそんな人はいない。東大卒、京大卒、九大卒、早大卒、みなさん謙虚で「これから自分は何をすべきか」のみを真剣に考えている人たちである。
「あと始末」
 前回の喘息の時と同様今回も「このまま死んだらどうしようか」とあれこれ考えていた。借金のこと。仕事のこと。保険のこと。あと、すでに考えてある「娘の結婚披露宴のスピーチ」をパソコンに打ち込んでおこうかとか「予定していた葬儀会場がつぶれたけどどうしようか3号線沿いがいいかな。」とかも考えていた。そうこうしているうちに検査の結果を聞いて「セーフ」となったわけだが、いつか「アウト」となる日が来るかもしれないということだけはきちんと考えておきたい。
「両親」
 子どもたちを預かってもらったお礼に両親を夕食に招待した。とは言っても私の手料理なので大したことはないのだが・・・父はパーキンソン病がひどくなっており、母もひどい喘息持ちで「元気」とは言い難いが、まあ普通に話せる。2人とも74歳という年齢から「いつかは・・」と思ったりもするが「孫の成長」だけが唯一の楽しみのようでそれだけで頑張っているような気がする。
 冷やしそうめんと真鯛のみそ汁、ししゃもの唐揚げにフライドポテト。あと酢の物。今日の私にできたことはそれだけ・・・・・
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-10 21:56 | 育児・家庭 | Comments(2)

「保守」という立場

 朝日の「論座」を立ち読みし、岩波の「世界」を買ってきました。「論座」には今月も保守勢力の分裂の様相が描かれていました。教科書ネットの俵義文さんが「つくる会」の内紛の様子を、評論家の宮崎哲弥が保守という言説について文章を載せていました。「左」とか「右」とかいう言葉を使うのはもう時代遅れなのかもしれませんが、10年くらい前までは「左から右」にぶれる人はいくらでもいるのに「右から左」にぶれる人はほとんどいなかったと思います。確か、宮崎哲弥も以前は「保守の論客」と言われていたのを思い出します。それが、自由主義史観(今の「つくる会」の思考法)が出てくるあたりから「保守」論壇とは一線を画すようになりました。その宮崎がこれまでの保守は「・・・に対する保守」だったと言っています。言い得て妙だと思います。イデオロギーや理想主義的風潮に対しての「歯止め」としての保守だったということで「思想」というよりは「感性」「時間」みたいなものだったような気がします。また、政権も保守の中でも「軽武装経済重視主義」具体的には吉田、池田と続いた「イデオロギー色の弱い」宏池会系統が主流だったために「戦前には戻るまい」という安心感が国民にあったと思います。戦後おこなわれた「昭和史論争」においてもマルクス主義の色の強かった「昭和史」(岩波新書)に対し、評論家亀井勝一郎が「人間が登場しない歴史だ」と指摘したことはある意味で「庶民の実感」に根ざしたものだったと(私は)考えます。そういえば、以前は保守といえば亀井や小林秀雄、福田恒存などの文学者が代表していたものでしたが、今は社会科学者も大きな勢力となっています。「つくる会」の鹿児島支部長は水産学部の学者です。そういう意味で、保守が「理論形成」を図ろうとしている時代なんだろうと思います。政権も小泉にしろ安倍にしろ「タカ派」ですので、「私はこう思う」タイプで傲慢な姿勢が顕著な人々です。「論座」は分裂を強調しますが、「革新」はなやかなりし頃は路線闘争も激しかったように思います。思うに、「内紛」は勢いがある証拠のような気もします。
 ただ、私はどうもあの人たちの文章が好きになれません。「ソ連の手先」とか「売国奴」「非国民」など時代錯誤のレッテル貼りをこれでもかこれでもかと続けます。以前、我慢しながら藤岡信勝、西尾幹二、渡部昇一、谷沢永一らの著書を集中的に20冊ほど読んだことがありましたが、「プロパガンダ」以外の何ものでもありませんでした。私には、以前の「ちょっとついていけないなあ」くらいの抑制の利いた「保守」の方が好きです。
 そういう意味で、宮崎哲弥が言っていることはよくわかりました。俵さんはもともと「立場のはっきりしている」人なのでああいう文章になるのはよくわかります。でも、以前はこういうネタは「噂の真相」の独壇場でしたけどね。もう復刊しないのかあ。待っているんですけど・・・
[PR]
# by yksayyys | 2006-05-10 19:43 | 社会 | Comments(0)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31