ブログトップ

アマノジャクはこう考える

田中彰「明治維新と西洋文明~岩倉使節団は何を見たか~」(岩波新書)を読んで

 NHKのBS特集で「外国人から見た日本」というシリーズが続いている。現在2回が終了したところで、1回目が明治前期の欧米人いわゆる「お雇い外国人」から見た日本の様子で、2回目はアジア諸国の日本在住留学生から見た日本の様子であったが、私好みの「写真、資料満載」の面白い番組である。特に、井上馨の「欧化政策」時代に実現しかかった東京改造計画のスケールの大きさに度肝を抜かれた。あれが完成したら、ワシントンDCに匹敵する「壮麗建築による官庁街」が東京に出現したことであろう。建築技法からいくとウィーンの建物に近いかな。結局、「西洋かぶれ批判」による揺り戻しで、井上が失脚し計画は頓挫するが、現在の法務省などの建物はその名残であるという。まあ、「めざせ欧米」が極端になった例であろうと思われるが、この「脱亜入欧」路線のきっかけが岩倉使節団であろうことは間違いない。80年代初頭以降、この岩倉使節団研究が飛躍的に向上しているが、その中心にいるのが著者田中彰であろう。特に岩波文庫に収められてからは、資料引用が頻繁になったような気もする。本書もその流れのもので、「米欧回覧実記」を書いた久米邦武の目をとおして当時の世界の様子を興味深く紹介している。私は、「日本人がどう見たか」という主題よりは単純に「当時の世界の様子の実像」を知るうえで興味があり、その「生々しい描写」にドキュメントとしての面白さを感じた。特に、ロンドン、パリ、ウィーン、ベネチアは訪ねたことがあるだけに、「あそこだー」と思い浮かべながら読み進めていった。「実記」を割かれたページ数で国毎に並べてみるとイギリス、アメリカがダントツで、フランス、ドイツがそれに続くがオランダ、ベルギーなど小国の分析も意外に多く、「大国のはざまでどう生きていくか」を模索している様子がうかがえる。のちに日本がドイツをめざしていくのは、この分析をもとにビスマルクとの会見が大きな影響を与えたものと思われる。「結局、力だ。」というビスマルクの言葉が・・・・・・
 動物園の紹介で、西洋の動物園は動物の生態や分布などを紹介し「実利」に生かすことを考えているのに対して、東洋のそれは「珍獣陳列」になっていることを「有形理学」「無形理学」という形で説明している。とにかく、「自分たちの姿を西洋から見る」という姿勢に対しては貪欲なまでで頭が下がる。のちに、久米は歴史学者となり「神道は祭天の古俗」と述べることにより東大を追われている。「神道などとても宗教と呼べるものではなく、国家の基幹宗教とはなれない」旨を話したものだが、欧米視察の経験が語らせたものに相違ない。「本物を見る」「体験する」ことの重要性を痛感する。ハイ!
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-19 08:07 | 読書 | Comments(0)

母の顔

f0066076_7293885.jpg
 娘が描いた「お母さんの顔」です。なかなか似ていると思います。この絵はアカチャンホンポに飾られるはずです。昨年、近所の方に教えてもらい応募したところ参加賞のお絵かき帳をもらいました。今年ももらうつもりでいます。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-18 07:36 | 育児・家庭 | Comments(0)

坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)を読んで

 時間があったせいもあって一気に読み終わった。しかも面白かった。著者の言うとおり、近代史の常識に逆らう大胆かつ斬新な問題提起は「明治デモクラシー」よりもわかりやすかった。わかりやすかった理由は「明治デモクラシー」が明治・大正・昭和を貫く問題提起として書かれているのに対し、この著書が1911年から1912年という時期に絞って「定点観測」しているため、読む方もじっくり腰をすえていろいろと見渡しながら読めることだろうと思う。あと、著者も隠さず言っているが、現在の「戦争」「政党」「ファシズム」という問題を常に意識しながら論を展開しているからであろう。今の状況には、多くの人間が危惧の念を抱いているのである。実に多くの刺激を受けたこの本から最も印象に残ったものを2つ紹介する。
① 著者は、「戦争」を防げたかもしれないという希望的観測から、実現しなかった反ファッショ「人民戦線」内閣成立について多くのページを割いている。私の頭の中にある「人民戦線」というものは、スペインの反フランコ闘争にはせ参じた義勇兵たちの姿か久野収や中井正一ら若者たちの姿なのだが、著者の言う「人民戦線」は当時の「民政党」「政友会」とという2大政党が手を組んで反「軍」に結束すべきであったという意味においての「人民戦線」であった。ここでは、当時共産党非合法化においては最左派と位置づけられた社会大衆党は、軍と結びついているとして「戦線」からは除外している。この「人民戦線」の成立は、広田弘毅内閣の後、一度実現しかかっている。宇垣一成を内閣首班に擁立しようとした時である。政財界の要請があり天皇から
首相指名を受けたにもかかわらず、結局陸軍の妨害により「流産」してしまう。宇垣は、軍内ハト派で通っており、「政党政治復活」「軍の暴走阻止」に尽力する覚悟であったらしい。が、2,26事件後軍の報復を恐れる「天皇と重臣達の弱腰」がこの可能性をつぶしてしまっている。この時「反資本主義」の立場から民政党、政友会と一線を画した社会大衆党に対し著者は厳しい目を向ける。「反資本主義の前にまずは反戦争でなければならなかったはず。」
② 5,15事件の後戦争までは「軍国主義への道まっしぐら」であったというのは間違いであったと著者は指摘する。少なくとも議会内においては相当の「言論の自由」があり、河合栄治郎や戸坂潤らは総合雑誌「中央公論」などで過激な政府批判を行っている。そして、何といっても総選挙において社会大衆党が前回から倍増の36議席を取っている。戦後から見て「国家社会主義としての躍進」と見るのが定説となっているがそれは誤った見方である。なぜなら、この時期の社会大衆党ははっきりと「反ファッショ」を打ち出しており、その政策ゆえに都市の市会議員選挙でも「大躍進」を果たしている。戦争直前まで「民主主義」は高まっていたというのである。では、なぜ「民主主義」はつぶれたのか。著者は「日中戦争のはじまりがすべてをつぶした」と見ているのである。
 あとから考えれば、いろいろ疑問点も出てくるが、まずは坂野氏の大胆な提起をいったん受けとめてみたい。・・・・というか、書き続けるにはちょっと眠たい。(笑)
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-18 01:59 | 読書 | Comments(0)

教え子との会話から

 教え子が近くに来るという連絡があり、我が家で一緒に昼食を食べた。中学卒業後も何度も遊びに来たし、大学進学後はメールで大学の宿題に協力もした。今は市町村合併後の市役所につとめている。話は、その「市町村合併」で盛り上がった。私が「合併後はきめ細かいサービスがなくなったと思うが」と話をふると「そう思います。マニュアル通りでしか対応できなくなったような気がします。大きくなると融通が効かないような・・」やっぱりそうかという感じ。続けて聞いてみた。「説明会を聞いている感じでは、首長どうしの個人的感情が合併を左右している気がしたのだが・・」これについては「大きいと思います。」とのこと。これもやっぱり・・・あと「一番人口の多い自治体に何でも合わせるので問題が多い。」「合併後の市長の権力が強すぎる。」「評価制度導入で不安がっている人が多い。」など危惧された面がすべて証明されたようであった。最後に「合併後も大変です。」と、ため息混じりに言っていた。「大変だろうけど、昼休みに暇つぶしにおいで。」と送り出した。中学時代よく親子喧嘩をする男だったが、今は毎日母親が弁当を作ってくれるそうだ。「光陰矢の如し」
 
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-17 14:07 | 社会 | Comments(1)

大正デモクラシーから戦後民主主義へ

 「明治デモクラシー」(坂野潤治)、今朝読み終わった。大学時代、ゼミの教官が「坂野くんが言うとおりに」と何度も引用していたのがよくわかるような内容であった。あと、10年ほど前にある人と交わした「論戦」を思い出した。相手は某大学の助教授Mさんだった。しこたま酒を飲んだ後にPUKUPUKUさんと一緒に新婚のMさん宅に押しかけ、酔った勢いもあり、かなりしつこくからんだ覚えがある。論戦のタイトルは「戦後民主主義は大正デモクラシーを継承しているのか」・・・・私は、「丸ごとではないが継続している部分がある。」Mさんは「途切れている。戦後は全く新しい流れである。」この対立点は、そのまま学界における「大正デモクラシーを評価するかしないか」の対立点に相当する。したがって、決着がつくはずもないのだが、相当白熱したように思う。最後は,Mさんが「この人は卒論にしたからこだわりがあって引かないんだ。」ということになり、私も場がシラけているのに気づき議論をやめた覚えがある。今考えると、この本にある坂野さんのような事を言いたかったのだろうと思う。ある人にこの議論のことを伝えると「政治が出てるなあ。その議論。」ということであった。ただ、この本における「大正から昭和」にかけては「明治期」の分量に比べるとえらく簡単な記述になっている気がする。美濃部達吉、北一輝、吉野作造というそれぞれビッグネームがごくごく短いページ数で片づけられている。おそらく、新書の持つページ数からそうせざるをえなかったのだろうと思う。そこは、続編である「昭和史における決定的瞬間」(ちくま新書)を読むことで理解を図りたいと考える。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-17 13:51 | 読書 | Comments(1)

教育研究集会

 「コメントがなく寂しい」と書いたらすぐに反応がありました。みなさん優しいですね。あと新しい来訪者も来られたようですのでまた張り切って書こうと思います。
 先日、組合の専従のKさんか電話がきて「教育研究集会の推進委員を引き受けてくれないか」ということでした。1も2もなく引き受けました。育休中とあって、執行委員をはじめほとんどの役職は断ったのですが、これは「やらなければ」と思っています。私は社会科分科会の責任者なのですが、最近参加者が少なくなり困っています。鹿児島市だけで600人くらい組合員がいるのですが、社会科分科会は6,7人くらいしか集まりません。しかも、ここ3年くらいはメンバーも固定化されています。特に小学校は1人しか来ていません。以前から思っているのですが、小学校の先生は「社会科嫌い」が多いと思います。授業参観に行っても、社会科の授業を公開しているのは0ないしは1人くらい。小学校教諭のKさんにその理由を聞いたところ「社会科は準備が大変なうえに効果が出にくい。その点、算数とか音楽、図工などはできたという実感を与えやすいので、保護者向けにはうってつけ。」とのこと。そういえば、中学校1年生に入学当初「社会科は好きですか?」と聞くと、ほとんど嫌いと答えてくる。私にとってはこれは有り難いことでもあります。なぜなら、私のような拙い授業でも「面白く」感じてくれることにつながるからです。(もちろん、そうでない生徒もいっぱいいます。)まあ、小学校の先生ってやることが多いから大変ですけどね。その中で素晴らしい実績を残している白尾さんや上猶さんたちは、それだけスゴイ人たちなんだと思います。歴教協の佐々木勝男さんなんか典型的ですが、小学校の実践家の方って、みなさん明るく庶民的て「見るからに楽しそう」に授業をやっていますよね。私のように、すぐ自分の世界に入り込んでしまうクソ真面目なタイプは見習わないとと常に思っています。その点では、中学校でも、新福さんの訥々としたしゃべりで引き込んでいくスタイルは参考になりますし、川野(恭)さんの授業の「語り」は「魔法にかかった」ように集中できます
。どっちにしても、いい人たちに出会えたなあと今さらながら喜んでいます。その「出会い」のきっかけのほとんどはこの教育研究集会ですので、そういう思いをもっと多くの人たちに感じてもらえるためにも頑張ろうと思っています。学級経営の苦手な私にとって、「授業の充実」こそが教師としての「生きる道」だと思っています。学級経営ももちろん頑張りますけれど(笑)
 とりあえずは、どういう分科会運営をしていくかを考えたいと思います。あ、洗濯物を干す時間です。育児パパに戻らないと・・・最近、妻のチェックが厳しいです。ハイ!!
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-17 07:52 | 社会 | Comments(2)

坂野潤治「明治デモクラシー」(岩波新書)

 大正デモクラシーならぬ「明治デモクラシー」「昭和デモクラシー」という言葉を使うのはこの著者独特と思われる。その理由を著者は次のように述べる。
「筆者は、日本の近代史を、上からの「富国強兵」の枠組ではなく、下からの「デモクラシー」の枠組みでとらえ直し、それを「連続」的なものとして理解することに努め、、、、、」
 今まで、「明治維新」「自由民権運動」「大正デモクラシー」「戦後民主主義」と別個に区切られてきた社会運動・民衆運動をデモクラシー運動として「下からの民主主義」の系譜としてとらえようという考えはとても斬新なものである。本書は、そのような考えに基づく「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)の姉妹版というべきものである。今3分の2ほど読み終えたところだが、この本に底流するデモクラシーの流れが2つある。1つは「主権在民論」そしてもう1つは「議院内閣制論」である。この論の立て方を読んだ時に「あれっ」と思ったことがある。それは以前読んだ「中江兆民と福沢諭吉」の時にたてた2つの流れと一緒だったからである。あの時は「フランス流急進主義」「イギリス流漸進主義」という2つの政治思想の潮流というとらえ方であった。違いがあるとすれば、この本では「日本の近代史に一貫したデモクラシー(民主主義の思想と運動)の流れが存在する」つまり民衆運動の伝統を肯定したうえで2つの流れを追っていくということであろう。これまでは「思想」と「運動」は切り離し、「運動」の側面に着目して明治維新、自由民権・・・・などという分け方をしてきた。私も「政治思想」「社会思想」として「民主主義の流れ」を「戦後民主主義」までつなげた発想をしてきたこともあったが、「運動」としてはそれぞれ別個の完結したものとして考えてきた。殊に著者の言うところの昭和デモクラシーと呼ばれるものはこれまで大正デモクラシーの延長として扱われ、昭和に入って勃興した「右からの」「下からの」思想・運動である「昭和維新」と一線を画したものとして考えてきた。そういう意味で著者は、「元号の区切り」にこだわりすぎなのかなあとも思ったりする。ただ、「中江兆民と福沢諭吉」の時にたてた2つの軸については著者に賛同するものである。
 この坂野潤治という著者は学生時代よく聞いた名前である。近代史を学ぶ人間にとって彼の「明治憲法体制の確立」(東大出版会)は基本文献とされていたように思える。また、伊藤隆とともに「東大の近代史」の双璧でもあった。評価はいろいろあるが、教科書執筆者・監修者でもあることから日本の近代史の「主流」であることは間違いない。この本のあとすぐに田原総一郎との対談本が出たことを考えると、注目本のひとつなのだろうと思えるし、今後の歴史叙述にひとつのインパクトを与えるのかもしれない。いろいろ思うところはあるが、とりあえずは読み終わってからということで・・・・・・・・・・・
 話は全然変わるが、ここ10日以上ブログへのコメントがピタッと無くなってしまった。来訪者も3月は1日42という日もあったが、今は7くらいになっている。ちょっと寂しい気がしている。みんな忙しいんだろうな。それと「面白くない」のかなあ(笑)・・まあ、日記のつもりなのでめげずに更新していきます。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-16 01:54 | 読書 | Comments(6)

キムタクとエノケン(矢野誠一「エノケン・ロッパの時代」(岩波新書)から)

 SMAPのキムタクを初めてテレビで見たのは歌番組でもなくバラエティー番組でもなく、土曜の昼下がりのNHKの劇場中継であった。タイトルは「エノケンとその仲間たち」で演出が蜷川幸夫の話題作であった。いくら待ってもエノケンらしい人物は出てこなかったように思うが、キムタクが左翼学生の役で特高警察から逃れてエノケン一座に紛れ込むという内容であったように思う。キムタクはこの時蜷川からしごかれてよく便所で泣いていたとテレビで言っていた。
 エノケンは「喜劇王」として知ってはいるが、実際にその芸を見たことはなく以前CMで声を聞いたことがあるくらいだが、そのキムタク主演の劇がきっかけで「戦前、戦中どんな演劇活動をしていたのか」はずっと興味があったので昨日川内の本屋でこの本を見かけた時はすぐさま購入した。内容は、喜劇の両雄エノケンこと榎本健一とロッパこと古川ロッパの生涯を多分に「交錯」させながら描いた評伝であった。庶民派の天才肌エノケンと華族に連なるインテリロッパが昭和初期のエログロナンセンスの時代に東京喜劇をもり立てていく様子がその時代背景とともに展開されていく。「下町VS山の手」「浅草VS丸の内」「松竹VS東宝」「歌舞伎VS喜劇」など様々な対抗軸が2人の活躍の下敷きとなって面白い。劇で描かれていた「左翼」との関係は実際にあったようである。文中より引用する
「あの時代榎本健一一座(カタカナはダメということでエノケンという呼び名を漢字へと変えられた)の文芸部に参集したひとたちのなかには、いうところの左翼崩れが少なくなかった。左翼ではなく左翼くずれであったところに、15年戦争に対するいくぶんとも屈折した姿勢があったように思われる。つまり左翼をもって任じた多くの舞台人が、組織の行動理念にしばられて、積極的に運動の一翼をになったことで当局の弾圧に屈する結果となった新劇の例とちがって、その組織から逃避したことによる多少のうしろめたさを常に身にまとっていた左翼くずれの多くは、運動に背を向けた場所で、体制から一歩退いた彼ら独自の世界を作り出していったのである。弾圧された左翼の多くが「転向」することによって自分の居場所を確保しようとつとめた時期、ひと足はやくリタイヤしたことで転向することもかなわなかった左翼くずれの作り出す世界には、きわめて強い韜晦の気分があったはずだ。そして、その韜晦の気分を具体的な「笑い」に昇華させる術において、榎本健一という役者はたぐいまれなる感性を有していたので、つまりは左翼くずれの頭脳とエノケンの感性が、戦時体制から距離をおいた独自の活動を可能にさせたのだ。」
 軍の検閲下、ロッパ一座をはじめ喜劇、新劇のほとんど宝塚までが時局迎合モノを演じていた頃、エノケン一座はほとんど関係なく「喜劇」を続けていた。もちろん、当局との激しいやりとりもあったようだが、「流されていない」ことは事実であったようだ。
 この本を読んで印象に残ったことは、どんな時代状況下においても「自分の考える笑い」にこだわるエノケンの強さと、それを求めていた庶民の姿であった。あと、自分がテレビで見たことのある人物たちの名前、水ノ江滝子、小沢昭一、滝沢修、小沢栄太郎、柳家金五楼等が妙に懐かしかった。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-15 16:18 | 読書 | Comments(0)

息子に教えられる

f0066076_1336458.jpg
 息子は娘と違って「乗り物」に興味があります。車に乗っていても救急車とすれ違うと「ピーポーピーポー」、バスとすれ誓うと「バッシュバッシュ」、列車を見ると「きっしゃ、きっしゃ」と指さしながら叫びます。今日、午前中川内方面をまわった後帰宅し、一緒に絵本を読んでいたところ、JRの列車の音が聞こえてきました。「ゴオーッ」線路まで200メートルくらいなので、特にうるさくはなくかえって風情があり、アクセスの良さを考えれば大変有り難い存在と言えます。音を聞いた息子は駆け足で庭に開いた引き戸の所まで行きました。そして、「きっしゃきっしゃ」と指さしながら叫んでいました。「見えないのに、よっぽど好きなんだな」と眺めていましたが、息子の目の焦点が動かないのをみて「もしかして」と息子に近づき、そっと視線を息子と揃えたところ、何とJRの列車が見えたのです。「あれ、家から列車が見えるんだ」この家に住んで3年間、初めて知りました。いつもJRは鹿児島向けに利用するためにそっち向けの車窓から我が家は全く見えません。でも、川内方面からだと家が一瞬見えるのです。これも、息子の行動と息子の目の高さからやっとわかったことです。しかも、川を横切る橋の上の列車の姿はなかなかのものです。
 これからは、音がしたら一緒に駆けていこうと思います。・・・・・列車通過後、息子は何事もなかたかのように絵本「たんたんぼうや」をながめていました。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-14 13:52 | 育児・家庭 | Comments(0)

「賠償」と「商売」

 「満州帝国」(学研」)を読んでいたら、「満州人脈」という項目に岸信介のことが書いてあった。満鉄、関東軍でできた人脈が戦後の政財界に大きな役割を果たしたというものであった。その中でも特に印象に残ったのは、岸が戦後の賠償支払いにからんで莫大な利権を手にしたというくだりであった。ちょうど10年前に組合主催の「戦後50周年スタディツアー」でフィリピンを訪ねた時にそういう話を耳にした。「ここは岸の利権である」と・・・そして、岸だけでなく笹川良一などの政商の名前も出てきた。具体的に言うと、「日本で使用された古い船やバスなどの自動車がフィリピン、インドネシアに大量に流されてきている。そこに岸人脈が生きている。」ということであった。たしかに船やバスに日本製が多かった。あちこちに日本語がそのまま残されているのですぐわかる。バスなど、正面上の行き先表示に「西新宿」と書かれたままのものもあった。
 表面上、日本とフィリピン、インドネシアなどは「戦後賠償」は終わっている。しかし、現地NGOの人の説明によれば、「お金や利権はほとんどマルコスなどの財閥の不正蓄財にまわされ、民衆レベルには何も降りてこない。賠償で作られる道路や橋もほとんどは日本企業が請け負うことになる。」帰国後私はそれを「賠償と商売」というふうに引っかけたレポートにまとめたが、私が描いていた「戦後賠償」とはだいぶ違っていたことは間違いない。岸という男は、開戦時の商工大臣として戦時利権に蠢き、そのまま戦後も首相の地位を利用して東南アジアに「賠償利権」を確立した。「妖怪」たる所以である。マルコス、スハルト、蒋介石・・岸の交渉相手はみな親米の開発独裁者たちであった。孫の安倍はその岸を尊敬し、思想・信条はそっくりそのままである。ちなみに福田康夫は「独自のアジア外交」を売りにしているが、その人脈は岸信介から派閥を継いだ福田赳夫のものである。岸、福田(赳)、福田(康)、安倍・・・このラインはそういうつながりである。小泉は福田の書生であった。・・・・・・・「愛国利権」族である。
[PR]
# by yksayyys | 2006-04-14 01:53 | 社会 | Comments(0)

ちょっとすねた感じでこの世を眺めてみると・・・