2017年 08月 18日 ( 2 )

 手術後、巨大な眼帯をしたまま指示通り「風呂にも入らず」「酒も飲まず」一晩過ごし、今朝病院に行って診察を受けてきました。受付を済ませるとすぐに看護師が巨大な眼帯を外してくれました。そして、替わりにゴーグルをかけることになりました.眼を保護するためで約1ヶ月かけ続けないといけないということでした。目薬をさす時以外は寝る時もゴーグルをかけろということです。ゴーグルをかけた姿をトイレの鏡で見ましたが、ただのチンピラにしか見えませんでした。診察はあっという間でした。10秒なかったと思います。私が、「眼がチカチカするんですけど」と訴えたところ、医師は「大丈夫です。じき治まります。切ったわけですから・・・・順調です。」と言われました。そのまま薬局に移動し、4種類の目薬を渡されました。1日に20回くらい目薬をさす必要があるようです。妻に「せっかく休みをとってるからどっか行こうか」と言いましたが、「だめよ安静にしないと」とたしなめられ、自宅で横になっているところです。そう、ゴーグルをかけたまま・・・・今のところ、術後に視力が回復したという実感はありません。まあ、医師が「順調」と言っていますので、しばらく待ちたいと思います。明日の朝も通院です。やれやれ・・・
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 ボスニアでの虐殺を指導した人物として知られるカラジッチを裁く国際法廷でカラジッチを弁護した若い弁護士を追ったドキュメンタリーです。この弁護士は、セルビアの出身です。ミロシェビッチ大統領への抗議デモに参加し催涙ガスを浴びた経験を持ちます。妻はスロベニア出身でやはり弁護士。頭の切れるこの夫婦が口論する様子はなかなか迫力があります。ハーグの国際法廷で行われたこの裁判。この若い弁護士は、大いに苦悩します。多くの人々が被告の罪状を疑わない中、弁護士は「真実の行方」を追求していきます。この、旧ユーゴでの様々な出来事は、セルビア、ボスニアにしろ「プロパガンダ合戦」だったことがわかっています。「ミロシェビッチの悪行」にしても、かなり作られたものがあったと聞いています。私たちは、空爆を行ったNATOを通じた情報の中にいるので、西側経由の情報の中にいたはずです。今のようにSNSが普及していなかったその頃はそれぞれのプロパガンダに双方の市民、世界中の人々が踊らされていたことになります.若い弁護士は、カラジッチの弁護をすることで友人との間に亀裂が生じ、弁護のあり方を巡って妻と口論となり別居にまで至ります。かなり落ち込んでいるのが表情でわかります。番組は、判決前で終わります。弁護士は、妻と和解し、スロベニアに戻り「アルゼンチンに渡ってホテルを経営したい」と言ったそうです。丑松状態(島崎藤村の「破戒」)かと思わせる終わり方でした。
 気になって、裁判の結末を調べてみました。カラジッチは11の罪のうち10の罪が証明され、40年の禁固刑が確定しました。ちなみに、カラジッチの下で直接虐殺を指導したと言われるムラジッチの裁判の判決が今年の後半に示されるということです。ミロシェビッチは2006年に死亡しています。
 
 いくつかの「戦争もの」ドキュメンタリーを観た後で思うことは、「日本の戦争責任と戦後補償のありかた」でした。「終わった」でいいのだろうかと・・・・・・

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