カテゴリ:読書( 460 )

 タイトルの割に読みやすようだったので購入して読みました。「社会学っていったいどういう学問なのか」を知りたいと思ったからです。世の中に社会学者はいっぱいいますが、私にはどうも「共通項」というものが見当たりません。著者は代表的な社会学者で社会学発祥と言われるシカゴ学派の面々に直接教わったよく聞く名前の人でした。文章も一般読者向けのわかりやすいものでした。
 でも、「社会学はどういう学問か」は依然としてよくわかりませんでした。「世間」とかいう言葉にキーワードがありそうでしたが、著者は「ふるさとの学問」とか言っていました。ウーンって感じです。私のこれまでの社会学者の印象は「ひとつのテーマにこだわってそこから社会を見つめようとするもの」という感じがするのですが、ウェーバーとかだと実にオーソドックスな学問の学者にしか思えません。まあ、あまり難しく定義しない方がいいのかな!本人が社会学者だと思えば、その人がやっているのが社会学、その程度にしとこうかと思います。

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 気分転換に読みました。私は知識人と転向という言葉に興味を持っています。戦後73年の歴史はある意味では「大知識人が消えていく歴史」だったと思います。かつては左右を問わず時代に影響を与える知識人という存在がいました。特に戦後しばらくは戦後民主主義の隆盛もあって岩波文化人がもてはやされました。丸山真男、加藤周一、都留重人らがそうです。その旗手と言ってよいのが清水幾太郎でした。まさに「威勢が良い」という言葉がよくあてはまる知識人です。ただし、日本の「社会学」の恩人と言えるような研究を積み重ねた人でもありました。そういう「時代の寵児」と言ってよい知識人が今はいないと思います。専門分野で有名な人やテレビでの露出の多い知識人は出てきていますが、「時代の寵児」「カリスマ」と言われるような人はいないと思います。吉本隆明あたりが最後だったのかもしれません。私は学生時代からけっこう知識人の追っかけでした。学生時代は浅田彰、中沢新一らの「ニューアカ」ブームがありましたが私もしっかりそれに乗りました。柄谷行人とか意味はわからないのに読みました。結局は丸山真男に行き着きましたが、教員になってからは「丸山は時代遅れ」と馬鹿にされました。知識人がもてはやされなくなったのはなぜか。庶民の知的レベルが上がったからか。庶民が啓蒙を求めなくなったからか。いずれも当てはまるような気はします。でも、「哲学が求められている」という新聞記事も読みました。混迷の時代に入って、宗教が人の心をとらえなくなった今「哲学」が人気を集めているということです。人間は具象のみにては生きられないのかも知れません。
 「転向」研究という共同研究がありました。鶴見俊輔や藤田省三らが中心でした。実に面白い研究でした。単に「変節」と片づけることのできない多くの「変数」が存在することがわかりました。レベルは違いますが、「生き方」「考え方」を変える人は私の周囲にもたくさんいました。比率で言うと半分以上がそういう人生を選択しています。ただ、いつもこう思っていました。「本当に決意してそういう選択をしたのか」
 「変わらない」事がいいとも思っていません。「意固地なだけかも」と思うことも多いからです。長い目で見れば、自分も変わった所はたくさんあります。それを「成長」「成熟」と呼べる自信はありません。
 前置きが長すぎました。清水は、左右のブレが大きすぎました。戦後民主主義の寵児は核武装論者になりました。執筆する雑誌は「世界」から「諸君」にかわりました。そして、メディアからは相手にされなくなりました。メディアを利用してのしあがった知識人がメディアに捨てられたということです。右の知識人からも評価されませんでした。福田恒存は痛烈に批判しました。「見苦しい」と思ったのでしょう。死後はまさに「忘却」と言ってよい状況です。丸山が生前「若者の敵」だったのに死後は著書が雨後の筍のように出版されたのと好対照でした。
 近くにいた「転向」組に対しては「本人が良いなら」と割り切って考えられますが、清水に影響を受けた多くの人たちにとっては「なぜ」は尽きないのだろうと思います。著者は、専門にしている教育社会学の手法を使って清水の「転向」を分析しています。
 読んだ方がいいというほどの本ではありませんが・・・・・・・

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 西南戦争のまとめと一気に読みました。「西南戦争民衆の記」を書いた長野さんはこの猪飼さんの熊本大学の教え子になります。この本のモチーフはまさにこの本の副題にあります。「西南戦争にいったいどんな大義があるというのか」「西南戦争にいかに多くの民衆が苦しんだのか」の2つです。特に「民衆」の部分に注目して読みました。どちらかというと官軍側にいかに「民衆」が動員されたかが中心に書かれてあります。その理由は官軍側は資料が残されているからです。賃金の支払いの跡もあります。それに比べて薩軍は資料が残されていません。ただ、「官軍がそうなら薩軍は推して知るべし」という書き方です。「薩軍はもっとひどい」ということです。おそらく、長野さんはその空白を埋めるために「民衆の記」を書いたのだろうと思います。この2冊は郷土誌を丹念に読んでいます。西南戦争は九州各地を転戦し、駐屯、敗走していますので各地に痕跡を残し、記憶をとどめているということです。140年の月日を超えてようやくまとまった研究になってきているのかもしれません。
 ただ、いつまでも読んだり調べたりしている暇はなくなりました。昨日からまた「書く」方に集中しています。この春休みが勝負となりそうです。

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 夕方から読み始め先程読み終わりました。西南戦争の民衆の被害についてはかなりの資料・文献があります。それは、鹿児島県以外の郷土誌等に多くの情報が掲載されているからです。鹿児島県の西南戦争モノは「勇猛で凄惨な戦いと悲劇的結末」を描いたものがほとんどである。しかし、この戦争で蹂躙された熊本、宮崎、大分諸県には「被害」の記録、記憶が多く残されています。この本にも主に大分、熊本の様子が詳細に描かれています。そして、ほとんどの軍における蛮行の紹介には「薩軍がひどかった」とあります。兵や軍夫の徴募、食糧や物資の徴発、住宅や田畑の占拠、軍票による支配など、民衆の被った損害は甚大なものがあります。著者は「おわりに」でこう言い切ります。「いまさら西郷を恨んでもしょうがないが、筆者は少なくとも西郷も西南戦争も、ここで美化することはできない。」全く同感です。 
 昨今の「明治維新150年」「西郷どん」ブームの浮かれようを考えると・・・・・

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 今日、昼前にジュンク堂で買ってきてさっき読み終わりました。この手の本の出版はちょっと待ってて欲しかったなというのが正直な感想です。数多ある西郷本の中におけるこの本の特徴は、錦絵の分析を通して「庶民は西郷に何を期待していたのか」を探ることにあります。ただ、著者のいわゆる「西郷評」はほとんど私と同じだと感じました。郷中教育の下りなど「先にやられた」という感じもしました。しかし、「似ている」ことがわかれば次第に「違い」もくっきりしてきます。「西郷評」がいろいろ出てくるのは悪いことではない気がします。しかし、それにしても次々に西郷本が出てきますね。
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  恩師のUm先生と一緒にこの本に文章を書きました。行ったこともないソウル、シャンハイ、タイペイの風景を授業化しました。良かったら買ってみて下さい。今日、届いたのは見本なのでもう少ししたら発売になるのだと思います。

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 明治維新史学会が出している講座明治維新の第4巻「近代国家の形成」の中の総論にあたる文章です。ここを読むと、明治維新史学会においては「征韓論VS遣韓論」の論争は一定の決着がついているということがわかりました。もちろん、「征韓論」派が優勢であるのですが、ここ鹿児島では「遣韓論」が優勢です。郷土教育というものの最大の問題点がこの問題に象徴的に表れているような気がします。つまり、郷土の偉人の「顕彰」というものが最大の目的で、それにふさわしい事実で物語を固めていくというやりかたです。私は西郷隆盛を「偉人」ではなく「歴史上の人物」と見たいと思っています。その理由は、社会科教師だからです。学校でこどもたちに教えるということは、古老が近所の子どもに語り聞かせるのとは違うと考えるからです。
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 熱に続き、咳と鼻水も徐々に収まりつつあります。最も辛かった全身の筋肉痛、関節痛もほとんどなくなりました。熱のせいか食事はまだ順調ではなくすぐにお腹が緩んで流す傾向にはありますが、まあ明日には職場復帰できそうな気配です。中社研の研究紀要もすべて出そろい、最終チェックも終わり、ページを入れ込んだ形での印刷とCDへのコピー作業も完了しました。火曜日に手渡す約束は果たせそうです。ここまで終わらせれば、印刷会社の作業も早いはずです。例年と同時期の刊行ができそうです。いつも3月11日発刊としています。 
 そんな中読み進めていったのが、この大著です。最近出た西郷本の中でも最も分厚いもので、話題にもなっているものです。最初、分厚くて字も小さかったので「時間がかかるからやめておこうかな」と思っていましたが、必要に迫られて病床で読むことにしました。これまで多くの西郷本を読んで来ましたので、だいたいの事実関係は頭に入っていますので思ったよりはスイスイ読めています。こういう研究者の著書は「〇〇の説では」という風に研究史の整理をしてくれているので助かります。この本が話題になったのは、西郷隆盛と「体調」に注目をしている面だろうと思います。「この頃の西郷は・・・」という風に必ず、その時期の体調不良状況の説明がしてあります。若い時の西郷と壮年期の西郷の違いには、そのような健康面の問題が大きな影響を及ぼしているようです。実は、この事はプクプクさんも以前から指摘されていました。後年はかなり病苦の状態であったと・・・・
 とにかく、これまでいろいろな西郷本を読んできましたが、西郷という人物そのものというよりは、西郷を通して近代日本いや現代日本のことをいろいろ考えてきた気がします。幸い「ミイラ取りがミイラになる」という事はなかったような気がします。

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 雑誌「選択」の新潮文庫化はこれで4冊目となります。今回もなかなか突っ込んだ取材で面白い記事が多かったような気がします。特に、最近自分自身も家族も病院にお世話になることが多くなってきたため、医療関係の文章が気になりました。最初の「健康診断」(人間ドック)などいつも思っている不安がそのまま書かれてありました。本のタイトルにあるようにこのシリーズは「聖域」にひそむ利権と派閥に厳しいメスが入れられています。アメリカのウォール街にしろ中国共産党にしろどこの国にもそういう聖域はあるのでしょうが、この国も「忖度」を基本とする利権集団の寄せ集めだという事がわかります。その中で印象に残ったのは「JRの事故体質」と「子宮頸がんワクチン」の話でした。前者は事故の体質を「国鉄の組合つぶし」にその遠因があるのではないかと指摘していました。人と人とのつながりが欠けていて意識・技術の伝達が出来ていないとのことでした。後者はかなり深刻でした。数年前に組合の学習会で「子宮頸がんワクチン」がその副作用で問題視されていると聞きました。予防接種を強行すべきではないという意見だったと思います。ところが、この本では「ワクチンは安全。使用しないことで多くの人命が奪われている」と指摘していました。初めて聞く内容でした。
 きっと世の中には「隠された事実(真実)」がいっぱいあるんだろうと思います。そのためにも「忖度」しないジャーナリズムに頑張ってほしいと思います。

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 「西田幾多郎」を読んだ時はそこまで思いませんでしたが、この著者なかなか読ませる文章を書きますね。この本を読む前に別の2冊の新書を読もうとしたのですが、「読みやすさ」「わかりやすさ」で選んだせいか「歯ごたえ」がなさすぎて早々に飽きてこの本に乗り換えましたが、なかなか味のある文章で面白かったです。特に出だしの「西行の『心』」は良かったですね。鎌倉時代ではありますが、その時代の時点で、西行が現代に生きる私たちよりはるかに深淵な思想・思考を積み重ねていたことがわかります。西行が詠んだ歌を通じて解明していきますので説得力があります。何より、今を生きる私たちが「共感」を持って読み進めることができます。そこを、「親鸞の『悪』」につなげていくところがまたいいですね。哲学が専門のようですが、文学に触れているような感覚でした。
 これから、1年生の歴史は中世に入っていきます。「武士の世の中」に生きた者たちの息づかいを大切に授業をしていこうと思います。

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