カテゴリ:社会( 1974 )

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 勤務終了後、「12,8不戦の集い」に参加するために鹿児島市内に向かいました。この集会、実は同じ名前で2カ所であるんですよね。そういう言い方をすると怒られそうですが、旧社会党系と共産党系に分かれています。例年は、前者の方に出ることが多いのですが、今回は講師を推薦し、それを実現させてもらっただけに後者の方に参加しました。その講師は鹿児島大学で「平和学」を講義されている木村朗さんです。毎回、刺激的な話をされるのですが、今回も大いに知的好奇心をくすぐられる話ばかりでした。「ポツダム宣言は4カ国の宣言と言われるが、実際はアメリカだけで作られたもの」とか「ケネディ暗殺はオリバーストーンの読み通り、ベトナム戦争の早期終結を嫌った軍産複合体の仕業」など・・・そして、「9,11の真相(続)」
 21日には市民向けの「平和問題ゼミナール」があるようですので行ってみようかな。
 
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 私はいつも「しょうもない疑問」で悩んでいます。今日私が不思議に思った事を誰か教えてください。それは「九州は9つの国(旧国名)があって九州なのに、どうして四国は4つの国で四州でなく四国なのか。国と州と区別する理由は何か。」ということと、「九州の旧国名は、豊前・豊後、筑前・筑後、肥前・肥後と前後の言葉で分かれた国名が多いのに、なぜ島津占領下の薩摩・大隅・日向はそういう呼び名になっていないのか。それは熊襲・隼人の地であったからか。それとも神話の地であるから特別なのか。」今のところ私の手持ち資料ではわかりません。誰か教えてえ!!
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 イルミネーションが好きな伊集院でも最も有名なのがこの家です。何度もテレビで紹介されたこのど派手な飾り付けに毎日大勢の見物客が訪れています。そして、このイルミネーションには「深い」意味があることも有名になっています。この家の方は、子どもさんを「難病」で亡くされたのですが、その子どもに向かい「天国からこの家が見えるように」とこのイルミネーションを始めたのだと新聞に書いてありました。今日も、家族連れやカップルで大にぎわいでしたが天国からもきっと綺麗に見えていることと思います。
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 中国残留孤児をめぐる裁判ではじめて「国の責任」を求める判決が出ました。新聞記事やニュースの情報の範囲でしかわかりませんが、鹿児島地裁の訴訟にもいい影響を与えるのではないかと思います。この問題を追いかけていた朝日新聞の女性記者もきっと喜んでいるだろうと思います。
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通勤の途中で考えました。しょうもないと思いながら披露します。

 「談合 3強だい!!」

福島県で談合 談合  和歌山県も談合 談合 宮崎県でも談合 談合 談合3強だい!談合

今度談合する時は もっと賄賂を増やしましょう 県知事さんに渡すのは わからないようにしましょうね  

談合 談合 談合  談合 他もやってるぜ 談合!
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 S中で中学校社会科研究会の単元テスト編集委員会がありました。開始は午後6時半。夕食を「五郎家」というラーメン屋で食し、暗くなる中をS団地に向かいなんとかS中にたどり着き、校舎内に入り込みました。公文を紛失した私は、勝手に「きっと図書室だろう」と思いこみ、3階の図書室に向かいましたが、そこは「真っ暗」!「こりゃ違うな」と玄関まで引き返しました。でも、途中2人の職員とすれ違いましたが2人とも「こんばんわー」と通り過ぎていきました。人がいいというか不用心というか・・・・不審者だったらどうするのだろう。よその学校ながら気になりました。玄関で待っているとS中の編集委員のMoさんがやってきて「校長室ですからどうぞ」と校長室に案内されました。Moさんは「まだ明日のテストが出来ていない」ということでしたので、すぐに「テスト作っていていいよ。メンバー揃ったら電話するから。」と職員室に帰るように言い、私は校長室のソファーで「東京裁判への道」を読んでいました。すると、MuさんがやってきてあれこれしゃべっているうちにSiさんがやってきてようやく会が始まりました。7時前に始まった会でしたが、終わったのは午後10時前でした。正直言って午後9時ころから頭がボーッとしてきて「朦朧とした」状態で後半は過ごしました。でもMuさんはそれから喜入まで帰るわけだし、Moさんはそれから「テスト作り」です。みなさん、ご苦労なことです。とにかく、単元テストの目途はたったようです。良かった、良かった。Bさんはゆっくり休んでください。私は、いろいろやりたいことはありましたが、眠たいのでもう寝ます。では・・
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 今日は、午前中妻が美容室に行っている間、子ども達と遊び、午後から「伯父」が亡くなったために妻の実家がある肝付町に向かいました。通夜に参加するためです。出会いがあれば別れがある。それを実感しました。午後9時半ころ帰宅し、テストの採点をしてから、請求のあった「いじめの授業」の資料整理をしました。学校単位で3つの中学校が、個人単位で3人の人から資料請求がありました。そういえば、「実践いじめ授業」を出版した時は、奈良の学校まで送ったことがありますし、他の共著のみなさんもあちこちに資料を送ったようです。この状況を、うちの校長はとても喜んでいます。「ぜひ応えてあげて下さい。」とニコニコして言います。この方に褒められるのは初めてです。悪い気はしません。
 実践は「広げる」という大きな課題を背負っていますが、わずかでもその気配があるのはうれしいものです。明日にも送付しようと思います。
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 学会の報告終了後、平田先生がいろいろな事を教えて下さった後、最後にこう言われました。(もしかしたら、報告後だったかも)「ハンセン病の療養所のみなさんは相当高齢化しています。ここ長崎の被爆者の方も相当高齢化しています。時間は限られています。自分に出来ることを精一杯やりましょう。そして、将来への教訓となるように取り組みましょう。」この言葉はUm先生の「今目の前にある責任を果たしましょう。」という言葉にもつながりました。先ほど、私に強い調子で意見を述べたF大学の大学院生の紀要論文を読みました。彼は彼で目の前の責任を果たそうとしていることを知りました。右顧左眄することなく、「続けていく」ことの大切さをあらためて実感したこの1週間でした。
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 学会報告と総括討論の後、BさんIさんと3人で近くの薄暗いレストランで昼食をとりました。学生向けの店とあって、すごいボリュームでした。ジャンボチキンカツ定食を注文したのですが、おまけにカレーもつけてくれました。それで600円でした。食事後、3人はそれぞれで行動することになりました。Iさんは、「総合部会」というシンポジウムにフル参加し、討論にも参加したようです。Bさんは私のいただいたH先生の論文に興味を持ったようですぐにコンビニに向かい、コピーをしてから「総合部会」に向かいましたが、知的刺激がなかったらしく喫茶店で論文のコピーを読んでいたようです。私は、いつものように「即フィールドワーク」に出発しました。が、バチがあたったようで足にマメができてしまい駅まで行ったところでフィールドワークを断念し、マッサージをしてもらってから本屋に入りSさんおすすめの「おれちん」(朝日新書)他2冊を買い、串揚げ屋で飲みながら読書をしていました。「三者三様」とはこういうことを言うのでしょう。
 私は、勝手に「いいこと」だと思っています。
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 今回の報告は14ページのレジュメをパワーポイントで報告するという私の「お決まりのパターン」を予定していました。そして、その通りにやったのですが、発表をしながら「いやあ、これはレジュメに沿ってやったほうが良かった」と思いました。理由は簡単です。ほとんどの参加者がスクリーンではなくレジュメを見ていたからです。理由は「レジュメの方に重要な情報がつまっていたから」だと思います。「簡単にできるものとそのまま示したものがいいものがある」ということに気がつきました。パワーポイントでは「授業」や「体験」などの映像だけで良かったような気がします。発表の仕方を知った。これも今回の収穫のひとつでした。でも、あとの3人中2人はレジュメなしで「報告要旨」を読み上げて終わりでした。もう一人は、パワーポイントのみでした。ですのでその3人には司会のH先生が「先行研究が示されていない」「全体像がつかめない」という指摘がなされました。そういう意味で、そういう部分をUm先生に「きつく」指導されている自分は助かったような気がします。はい!
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