カテゴリ:社会( 1974 )

 さっき、長崎から帰ってきました。学会報告自体は「下手くそ」でしたが、司会者のH先生(N大学)がハンセン病問題に深く関わっている方でしたので、とても好意的にコメントをしてくれました。また、討論終了後もいろいろとアドバイスを下さり、ご自分の論文をわざわざ持ってきて私にくれました。ありがたいことです。あと一緒に来てくれたBさん、Iさんとも楽しい時間が過ごせました。とにかく疲れたので、今日は寝たいと思います。詳しくは、後日。「明日はゆっくり」と思っていましたが、いろいろ用事が入ってきました。まあ、そんなもんですね。
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 学会報告のパワーポイントを作成中です。まだ、すんなりと「流れて」いきません。報告書自体も、まだ「整理」不足です。今日の夕方には長崎へ出発しますが、ギリギリまでかかりそうな気配です。多分もうちょっとすれば「もうどうにでもなれ」となるのでしょうが、もう少し粘ってみようと思います。そういえば、どっかで印刷もしないとなあ!!やれやれ・・・・テスト採点は日曜日かな。
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 昨夜の懇親会の席上、L中・高のN先生の近くの席だったために、いろいろな勉強をすることができました。「谷山氏と山田氏の戦いと南北朝の戦い」「敗戦直前、純心女子校、移転の真相」「L高設立のいきさつ」「歴史学をめぐる東西の学風」など・・・どの質問にもスラスラと答えてくれました。現在、活躍中の歴史学者に数多くの友人を持ち、本人も高校の教科書を執筆するN先生。昨夜も宴会直前まで「沖縄県史」の原稿チェックをしていました。そして、いつも感心するのはニコニコと笑顔を絶やさないこと。「力のある穏やかな人」の典型でもあります。カラオケでは「甘い声」を披露してくれました。Misiaのファンだそうです。午前0時を過ぎて、「実は明日は授業があって」と言いながら自宅に帰られました。また、いろいろ教えて下さい。
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 昨日、中学校社会科研究大会の県大会が開かれました。ごらんの通りの「大盛況」で、授業もとてもメリハリの効いたいい授業だったと思います。やはり、何度も授業検討会を重ねてきた効果だろうと思います。授業研究ではいろいろ意見は出ましたが、だいたいは「織り込み済み」だったような気がします。授業者M先生には、今回出来た貴重な人脈を大切にして、さらに授業実践を深めていってほしいと思います。夜は大いにはじけました。共同研究者のH先生らと午前1時くらいまでカラオケで歌っていました。とりあえずみなさん、お疲れさまでした。私は、子ども達の七五三の写真撮影と、学会報告仕上げに頑張りたいと思います。まだまだ、目の前の課題は山積みです
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 今日は、中学校社会科研究会の県大会です。ここ数年は、自分の活動の「主」になっている団体の公開授業が行われる日です。授業をされるM先生は、今日まで本当にご苦労様でした。扱うこと自体が難しいテーマに挑み、多くの意見交換をくぐり抜けて今日の授業を作りあげたことにまず敬意を表したいと思います。きっと、生徒達との「温かい」関係を感じることのできる授業になるだろうと予想しています。さて、当日は私は「書籍販売」という営業の係りをやることになっています。そういえば、先日の同和教育の会でも「書籍販売」でした。この仕事、結構好きです。そして、もうひとつの仕事が共同研究者のH先生の送迎係です。夏のフィールドワークでおなじみのH先生は、授業のテーマが「中世史」ということもあり、今回初めて共同研究者にお願いされました。ところが、H先生は「車をもたない」(いつも自転車)、「携帯をもたない」というアナログ人間であります。「このH先生をどうやって会場校まで輸送するか」そう考えたところ、「自分がやったほうがいいかな」と「私が送り迎え」することになりました。昨夜、大学まで出向き、「打ち合わせ」に行きましたが、あいにく会議中でしたのでUm先生に呼び出してもらいました。すると、ひげもじゃでちょっと鼻毛の出た薄着のH先生が会議室から出てきました。「今頃険しい雰囲気だよ」と言っていたUm先生の言葉通りH先生の表情は厳しいものがありました。が、私を見たH先生はニターッと笑いました。ちょうど「男はつらいよ」の寅さんが見せる表情のようでした。そこで当日の打ち合わせをしましたが、「今日は家で寝て髭もそってきます。」とのことでしたが、多分ここ数日「論文執筆」で徹夜が続いていたのでしょう。大変ですが、よろしくお願いします。
 今日がいい日になりますように。うまいお酒が飲めますように・・・・・
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 今日、ある放送局からの電話取材がありました。2日前から依頼があったものです。「学校には内緒で」と思っていましたが、学校に何度も電話をしたようなので学校も察知しているのでしょう。内容は、現在の学校の職場状況といったものでした。正直に現状を語りましたが、取材する側が「ちょっと考えてみようといった程度で」という感じで、問題意識をズバリ突っ込んでくる新聞記者とはちょっと違った対応でした。少なくとも「選んで買う」新聞と「とりあえず流れている」テレビの違いなのでしょうか。「バランスをとって」という姿勢が私にはしっくり来ませんでした。

 
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 金曜日から「いじめの授業」始めます。今日のM新聞にUm先生のコメントが載っていましたね。その夜私のところにも電話があり、30分くらい語ったのですが、記事にはしてもらえませんでした。きっとビールを飲んでできあがっていたので、論理が支離滅裂で繰り返しが多かったんだろうと思います。金曜日はそのM新聞も授業の取材に来ます。いちおう管理職の許可ももらいました。合計3クラスでやるつもりですが、他の先生にも見てもらって「出張授業」を増やそうと思います。本当はSさんがS中学校でやったように「すべての教師がすべてのクラスで一斉に」が理想なんですけどね。忙しくはありますが、やり甲斐はあります。
 先ほどまで3年の実力テストを作っていました。3年生は授業を受け持っていないので「あれ」って感じですが、すでに計画に組み込まれているのでやるしかありません。本当は、こういう「やっつけ仕事」こそ先に片づけるべきなんですけどね。
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 skaさんのブログのコメントに書こうとおもったところ「字数が多い」と拒否されましたので、結局ここに文章を載せることにしました。
 「私は自衛隊を否定する」授業を一度もしたことはありません。「自衛隊の是非の問題ではなく」と書いたのはそういう理由からです。私ども教師にとって最も悲しいことは「教え子に先立たれる」ことです。それは、「いじめによる自殺」にせよ「戦争」にしろ同じ事で、こんなに悲しいことはありません。また、戦後、この国の教師のほとんどは「教え子を戦場に送ってしまった」ということに強い後悔の念を抱くようになりました。それも、当然のことだろうと思います。要は「教師や学校が、戦場に子どもを送る役割を果たしていいか」ということなのです。前任校で、卒業記念ビデオの中である生徒がこう言っていました。「先生がおっしゃったようにお国のために命が捧げられるような人間になりたいと思います。」私の前任者の受け持ちの子どものコメントです。この子がその後どういう進路をたどったかはわかりませんが、教師の言葉がその子の人生に大きな影響を与えたことは間違いないことだろうと思います。ただ、私は「自らの教え子を国のためといって死なせることはしたくない」と考えております。現在、職場体験学習は4日から5日かけて実施されます。自衛隊でさまざまな説明を受けただろうと思います。災害復旧や途上国支援のことなどを広く・深く理解することができただろうと思います。ただ、通行人さんもおっしゃるように自衛隊は「一般の職務」とは違います。死を覚悟し、また「人を殺す」ことも覚悟せねばならぬ職務です。そういう「死の危険」と隣り合わせの職務に「教師の言葉」「学校の斡旋」によって就いたとならば、やはり私としては「教え子を戦場に送るな」という戦後の教師の合い言葉を考えた時に、疑問を生じてしまいます。私の教え子にも親戚にも自衛隊はおります。繰り返しますが、授業で「自衛隊を否定する」ようなことをしたことはありません。したがって、隊員の子どもたち・家族達に辛い思いをさせるような言葉も発したことはないはずです。本人が強い信念と覚悟で「そういう職務に就きたい」と考えるのならともかく「先生が言うとおりお国に命を捧げたい」という言葉にあったように、教師が子どもを戦場に送る媒介となったり斡旋の主体となったりすることに異議を唱えたいだけなのです。そこはぜひわかってもらいたいと考えます。
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 今日の唯一の救いはI先生との出会いでした。教研の社会科分科会に参加していたのですが、休息時間に挨拶に来られました。向学心にあふれる清新な感じの若者でした。「先生のお名前は以前から存じ上げています。いろいろ勉強させてください」とのこと、もったいない言葉です。長崎にも来られるとのこと。これでまた「仲間」が増えたような・・・・・
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 「忙しい」と思っていましたが、大学のUm先生やH先生のスケジュールを聞いていたら、自分なんかまだまだ「甘えているな」と思いました。今日おこった「腹の立つ数々」は目の前にある自分の仕事と責任を果たすことで忘れていくのだろうと思います。「水ぼうそう」に対する父親、「いじめ」に対する教師・・・・・などなど
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