カテゴリ:社会( 1974 )

 「西郷どん」を見ていたら、途中で西郷と大久保の父どうしが相撲をとる場面がありました。その場面をみて私は思わず声をあげました。「あ、銀ちゃんと安っさんだ!」そう、かつてキネ旬ベスト1に輝いた映画の名作「蒲田行進曲」に出ていた風間杜夫と平田満の二人だったからです。キャスティングにこういう裏技も使っていたんでしょう。かつて大久保利通をやっていた鹿賀丈史が島津斉興で西郷をやっていた西田敏行がナレーターと「翔ぶが如く」の両雄も登場しています。あの時は、斉彬が加山雄三で久光は高橋英樹でした。そう考えると、私もけっこう大河ドラマを見てますね・・・・
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 今週は、中社研の研究紀要と郷土資料集の「執筆」と「編集」作業があります。前者が2月5日、後者が2月9日を締め切りにしています。こういう風に自分に厳格に締め切りを課した方が自分自身も計画的に動くようです。紀要は、だいたい原稿は出そろいました。あとは、県教委の指導助言者とフィールドワーク担当の原稿だけです。県教委は昨年までTさんだったので、いち早く原稿が届いていたのですが、今年は人が変わったせいか遅いです。かなり前に「間に合わせます」のメールはあったのですが・・・フィールドワークは朝担当から「今日中には」とメールがあったので大丈夫でしょう。あとは体裁を整えて編集後記を書くだけです。郷土資料集は、今「在庫切れ」状態です。印刷会社にお願いして再版してもらことにしました。主だった人に修正作業をお願いしました。この方々は「義理堅い」ので大丈夫でしょう。
 これらの執筆、編集作業に加えて、ある本の執筆も続いています。いつのまにか、全体の3分の1くらいは書いているようです。送るごとに編集者のコメントが返ってきますが、「なるほど」と思うことがよくあります。
 執筆と編集、私はどちらの作業も大好きです!

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 西部邁に続いて岩波の「世界」の常連だった西原博史さんが交通事故で亡くなりました。記事によれば痛ましい事故のようです。日の丸・君が代など「内心の自由」に関する文章を数多く見た気がします。確か早稲田の総長を務めた西原春男の息子だったはずです。「日の丸・君が代」問題では、国家による強制を批判しながら教師の「権威」というものにも注文をつけていたと思います。子どもの思考・判断の自由を何より大切にしていた研究者だったのではないでしょうか。こういう亡くなり方は、さぞ無念だったことでしょう。ご冥福をお祈りします。
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 保守の言論人で知られた西部邁が川に飛び込み自殺したというニュースが飛び込みました。私にとっては「朝まで生テレビ」全盛期の保守派の論客でした。「常識を疑う」「はっきりさせる」そういうスタンスで議論をふっかけるタイプだったと思います。大学時代の英語のテキストがオルテガの「大衆への反逆」だったのですぐにこの人の翻訳を手に入れた覚えがあります。「民主主義」というタテマエにも真っ向から挑んだ人だと思います。私は、保守VS革新という図式と人間性は全く別物だと思っているので、この人はそんなに嫌いではありませんでした。狂信的な右翼とは違ってアカデミックな雰囲気を持っていました。饒舌でもありましたね。江藤淳や福田恆存のように「かっこいい保守」に入るのかもしれません。昔、中沢新一を東大に入れようとして教授会で反対されたことがニュースになったことがありました。それをUm先生に話したところ「そんなのどこでもあるあたりまえの話でニュースにすることでもない。」と一蹴されたのを覚えています。 
 西部は「発言者」という雑誌をずっと発行していました。普通の書店にも置いてありました。自殺の理由は何なんでしょうか。遺書があったということですが、その中身が知りたいような知りたくないような・・・・・・

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 頼まれていた原稿執筆がなかなか進まないので、自分でお願いして1週間ごとに「書き上げただけの原稿」を送ることにしました。そうすると、「締め切り」を気にして計画的に文章を書くようになりましたし、そのために資料収集・整理もするようになりました。書く場所も決めて書く時間もだいたい決めています。そう考えると、やっぱり自分は「サラリーマンだな」と思ってしまいます。明日、月曜日ですが大概の人は「月曜日って嫌だな」と思うと思います。月曜日から仕事が始まる人は!しかし、学校というところは決められた流れがあるので、それにしたがって授業をしたり給食指導をしたり清掃始動をしたり会議に参加していればいつのまにか時間が過ぎていきます。特に授業が詰まっている日などあっという間に「一日」が過ぎます。いわゆる「ルーティーン」ってやつですかね!そういう自分って何か寂しいですけどね!!
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 今年は中社研九州大会が鹿児島で開かれる年です。ついにその年がやってきたかという感じです。昨日は午後2時から事務局会がありました。組織作り、研究テーマ、事務手続きの内容が話し合われました。組織作りと研究テーマは私の担当です。組織作りは、協力をもらえそうな人たちをそれぞれ地理、歴史、公民の分野に分けてその人たちに誰が声をかけるかを決めていきました。次に研究テーマです。大きな方向性は昨年度の県大会で了解をもらっていましたが、サブテーマについて再検討を要求されていましたので、全体の文章を大きく書き換えて提案をしました。そして、最後は事務的内容。受付手続き、業者との関わり、料金徴収のしくみについていろいろ議論になりました。会が終わったのが午後5時。3時間ぶっ続けでありましたので結構疲れました。夜には早速、自分が声をかけることになっている15人ほどにメールで連絡をとりましたが、受諾の返事が来たのはひとりだけでした。なかなか前途多難のスタートです。
 2月17日には第1回実行委員会(決起集会)も開かれます。11月16日まで長い戦いが続きます。

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 正月の唯一の新年会は研究仲間によるものでした。いつものように大いにはずみました。その研究仲間で一番若いのがHさんです。現在D大学で非常勤講師を勤めています。そのHさんの博士課程時代の恩師がこの「西郷どん」ブームで大忙しの原口泉さんです。今、書店にはこの人の本だらけです。その本の中でタイトルが気になって買ったのがこの本です。「どう語られてきたか」は私が読みたくなるタイトルです。この本の中に西郷の教科書記述を扱った部分があるのですが、そこにHさんの名前とその博士論文からの引用があります。かなりの分量を割いて紹介されています。新潮文庫だけに、目にする人も多いのではないでしょうか。 
 研究仲間がひとりひとり大きく花を開かせていっているようでとても嬉しく思います。さあ、私は・・・・あれ(笑)!!!!

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 今日、組合の地区協主催による教育対話集会がありました。「色覚についての正しい認識~色のバリアフリー~」という演題で眼科医の高柳泰代さんが講演をされました。参加する前は「専門的すぎて教育対話集会にはふさわしくないのでは」と思っていました。しかし、その心配は杞憂に終わりました。1から10まですべて「目から鱗」で衝撃的な内容でした。これまで、自分を含めて世の中がいかに「色覚異常」という言葉に洗脳されていたかを思い知らされました。かつては大学の過半数は「成績の如何にかかわらず、色覚異常の生徒は不合格とする」としていたとのことです。また、警察官、教師をはじめとする数多くの職業が「色覚異常」の志望者を不合格にしていたということも知りました。しかし、それは現実にそぐわない「思い込み」による判断だったということです。それをひとつひとつ改善させていったのがこの高柳さんでした。科学的なデータをもとに、大学や官庁に地道に直接働きかけて「変えさせていった」ということでした。笑ったのは警察の対応でした。「どうして色覚が警察官の資格にとって重要なのか」と聞いたところ、警察庁の実質トップの官房長は「泥棒が逃げた時に服装の色がわからないと困るから」と答えたそうです。高柳さんは直接訪問してその誤解を解いて改善させたとのことでした。
 講演終了後、10分しかないのに私は質問をしました。お礼を述べた後に質問をしました。「色のバリアフリーという言葉がありますが、学校現場にとっての色のバリアフリーとはどういうことか。具体的に教えて下さい。」自分にとっては核心的な質問でした。高柳さんは答えました。「黒板のチョークの色は白と黄色だけにすること。それ以外に何もする必要はありません。」そのことについて以前中社研の集まりで話題になった事がありました。会長のNさんもその2色しか使わないと言っていました。カラフルな板書が「綺麗でいい」と思っていた時期があるだけに新鮮な気持ちで聞いたものでしたが、今回あらためて具体的に教えられた気がしました。
 集会終了後に高柳さんはわざわざ私のところまで来て「ありがとうございました。」と言われました。私の方が言わないといけないのにと思いながら「ありがとうございました。」と答えました。
 科学的データをもとに現実を変えていく。実に素晴らしい人だと思いました。

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今までずっと思うように書けなかった文章が嘘のようにすらすら書けるようになった。理由は私の中にある「怒り」にあるように思う。「これはいったい何なのか」「これを放っておいていいのか」そういう思いがマグマのようにふきだまってきたせいである。材料はだいぶ固まってきているので、あとはこのマグマにしたがって「どういう文章を書くか」がカギとなってくる。あふれる思いをどう説得ある文章に作り替えていくかということである。けっこう楽しい作業になってきたように思う。
 煩悶してきた時間が長い分、熟成してきていると信じて・・・・・



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 今日の朝日新聞の「ひと」欄にH井三津子さんが載っていました。歴教協では有名な人です。メーリングリストでは毎日のように投稿されています。写真からもそのエネルギッシュさが伝わってきます。この方、私の大学のゼミの先輩なのだそうです。友人から聞いた情報です。この記事の文章を書いたのは、朝日新聞のO久保さんです。鹿児島支局にいました。女性や人権、平和という視点からの記事を書くひとです。そして、このH井さんが「ひと」に載ったきっかけとなった本を手がけたのが私の友人のMさんです。H井さんが同じゼミだと教えてくれた友人です。私にとってはかなり「濃厚」な人ばかりです。
 俺もがんばんなきゃな!!

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