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 全集「日本の歴史」の14巻です。まず、時代の区切りが変わってます。日清戦争から昭和初期くらいまでをカバーしています。あと何と言っても「個人史」を大切にしています。「固有名詞が語る歴史」を意識しています。ある程度歴史の流れがつかめている者にとってはこの方が面白いですね。資料の羅列に疲れることもありますが、初めて見る資料ばかりなので「新鮮」な感覚を持ちながら読んでいます。問題意識ははっきりしています。「帝国日本はいのちを序列化し、それを国民が受容するなかで完成されていった」というものです。「いのち」ということでハンセン病の歴史もとりあげられています。私は、この小松さんの問題意識は富山の藤野豊さんによく似ていると思います。そういえば藤野さんの著書名は「いのちの近代史」でした。
 熊本には鵜飼さんやこの小松さんみたいに「面白い」近代史研究者がいますね。何かの機会に鹿児島に呼びたいものです。あ、そうか自分で行けばいいか!でも、鹿児島の仲間と一緒に話を聞いてみたいな!
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 心配していた実践報告集ですが、何とか原稿が集まり発行の目途が立ちました。火曜日には出版社の方に原稿を渡すつもりいます。昨日は、「はじめに」と「編集後記」を書きましたので私の役割はほぼ終わりに近づいています。あとは、顧問のあいさつ、フィールドワーク体験記、Bさんの原稿です。ただ、「嬉しい悲鳴」がひとつ。みなさん充実した原稿なのでかなりのページ数になりそうなのです。その時は、ブログに載せた拙稿をボツにするつもりです。ですから「幻の原稿」になるかも知れません。
 次は、郷土資料集と歴教協の「戦跡マップ」の仕事にかかろうと思います。書きかけの学会投稿論文もあるし・・・・・・と言いながら昨夜は同僚と楽しく「飲みました」。あとの3人は「飲まない」のでひとりで酔っぱらいました。しかも家まで送ってもらいました。たまにはいいですよね!妻は、全国教研の疲れがまだ残っているらしく「週末はゆっくりしたい」と言っていました。今日は子ども達をどっかに連れ出すかな!
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今年度の実践報告集に載せる原稿です。8ページあるので分けて載せます。あと、人名は適当に直しています。タイトルは「社会科研究と社会科教育の間」です。

はじめに
 経費削減が合い言葉の昨今、社会科教師が一同に会する官製研修がめっきり少なくなった。公的な「共同研究」や「情報交換」がしにくくなったということである。かといって手弁当の民間サークルの会合に人が集まっているかというとそういうわけでもない。とにかく社会科教師がお互いの実践について「口角泡を飛ばし、喧々諤々の議論をする」という事が行われなくなってきていることは不幸な事態ではないかと考えている。ましてや、学校の垣根も超えてアカデミックな研究者との交流などごくごく一部に限られているといってよい。そんな中、昨年、歴史研究と歴史教育の関係に関する1冊の本が話題になった。今野日出晴著「歴史学と歴史教育の構図」(東大出版会)という本である。話題になったとは言っても何万部も売れたというわけではなく歴史研究あるいは歴史教育関連の複数の雑誌・紀要に書評という形で紹介されたというに留まる。ただ、7200円と決して安くはないこの本が刊行以後4ヶ月で3刷までいったということはそれなりの読者を獲得したものと考えられる。筆者も遅まきながらこの本を購入し、早速目を通してみた。この本はひとことで言うと「問題提起の書」であると言える。藤岡信勝らの「新しい歴史教科書をつくる会」の動きを批判するとともに筆者がこれまで「常識として疑わなかったこと」についても批判の俎上に乗せている。本稿では、この本を手がかりとし「歴史学と歴史教育の関係」における論争の経過を紹介するとともに筆者の体験から考えた「社会科教育と社会科研究の関係」についても私見を述べてみたいと考える。
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 子守りの合間に本を読みました。最初は橋本治と内田樹の対談本。正直言ってよくわからない。難しい言葉は使っていないのに「ほんわか」した雰囲気だけあって、何もつかめない。理由は、橋本治にあるようでした。兄が大好きだった橋本治、「桃尻娘」「窯変源氏物語」「上司は思いつきでものを言う」など話題本が多いのですがやっぱり変わった人なんでしょうね。半分くらい読んだところで後半をパラパラめくり「いっしょか」と思い読むのをやめました。続けて、「対談昭和史発掘」を読み始めました。先日、講演で田中伸尚さんが推薦していた本です。出だしからいいですね。松本清張と城山三郎の対談です。冒頭、城山が昭和恐慌の解説をします。ケインズから恐慌そして戦争との関係をひとつながりで解説します。それを「怪物」松本清張が引き取って昭和史の闇に引きずり込みます。私はこの手の本がいいですね。こっちの方が「わかりやすい」です。しばらく好きな本を読みますね。ずいぶん買いだめしてますから。
 妻の報告の記事、今朝の新聞には載ってませんでした。後日の特集ですかね!
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 先ほど妻から報告がありました。全国教研の報告は「好評」だったようです。ある県の質問が「本質」「認識」など妻の苦手な「概念用語」が多かったせいで「さっぱりわからなかった」ようではありましたが、報告終了後に共同研究者の坂井俊樹(学芸大教授)さんが近づいてきて「前回の特攻の授業、今回の死刑制度、命につながる貴重な実践報告ありがとうございました。」と言ってくれたようで本人はいたく感激し「もうこれで十分」と思ったようです。マスコミも殺到したようで、「特定できないような記述」を条件に朝日新聞、読売新聞、共同通信社の掲載をOKしたようです。どういう記事になるかわかりませんが、明日の朝刊を楽しみにしたいと思います。昨夜は、午前4時まで報告の原稿を書いていたようです。「ようやるわ」と感心しています。明日、明後日は「気楽に参加できる」と喜んでいました。ちなみに、私はこの実践にはほとんど関わっていません。文章の校正をしたくらいです。「命」がテーマになると私は妻にはかないません!坂井さんとかその辺を見抜くんでしょうね!
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 今日は午前中は娘の「歩こう会」(子ども会行事)、午後は息子の「プール教室」でした。早い話が「一日中子守り」でした。今から夕食の準備ですが、ご飯が炊ける間こうやってパソコンに向かっています。そして、明日は動物園に連れていくつもりです。息子が「雨だったら水族館ね」と言いますが、水族館には行きません。入館料が高いですから。動物園は大人200円ですからね。こうやって、今週の土日を「まるごと家族サービス」にあてることによって、ここ1ヶ月ほど「受験勉強のために子守りを妻に押しつけた」ことを補おうという功利的行動と言えます。次の金土が「飲み会(兼学習会)」であることの「免罪符」でもあります。すでに妻には「まるわかり」でしょうが、それでもこういうことはきちんとやっておきませんとね!ねえパパさん達!
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 今日の朝日新聞に全国教研のことが大きく扱われていました。去年のトラブルがあったからですよね。その記事の中に「教研集会は先生達の純粋な教育研究の場だ」という評論家橋爪大三郎のコメントが載っていました。さめた評論の多い橋爪にしては教組に好意的なコメントと思いました。が、全国教研に過去3度参加した私が正直に言います。「教研は本当に教育研究の場です!いや実践交流の場です。」それは、1回目よりも2回目、それよりは3回目という風に変わってきています。私など「もう少し色があっても」と思うほど、客観的な議論を積み重ねています。きっと公開されても、右翼が「アレッ」と思うくらい「味気ない」と思うと思います。ただ、報告には濃淡がかなりあります。昔は「日教組の会にこんなレポート持ってくるな」と怒る人達もいましたが、最近は「いて当たり前!文句も言いたいが、できるだけレポート内容に即して落ち着いて意見を言おう。」という人達がほとんどだと思います。だから「怖がる」ことないんですよね。おそらく右翼の人達にとってはこの集会が「お祭り」「同窓会」みたいなもんなんでしょうね。あと、中山などのタカ派政治家にとっては「日教組をつぶせ」がウリですから、旗を降ろせないんでしょう。28%の組織率で、「真面目にやっている」のはおそらく10%いないくらいなんです。「その割にはまだ影響力を残している」それが正直なところだと思います。だから、勉強の邪魔しないで欲しいんだよなあ!
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 昨夜、家事に翻弄されながら台所からテレビの「日本アカデミー賞授賞式」の様子を見ていました。予想どおり「おくりびと」が賞を独占しました。まあ、映画を見終わった時から「今年はこれで決まりだな」と思ってはいましたが、作品賞、監督賞、主演男優、助演男優、助演女優など主要な賞は「総ナメ」でしたね。この映画、本木雅弘が企画したというのは初めて知りました。「入り込んでいる」と思わせたのは本木自体が「これをやりたい」という強い意思を持っていたからなんでしょう。あと、広末が「職業差別に関することで監督からみっちり話し込まれた」と言っていましたが、あの作品が「社会派」的側面を併せ持っていることを証明していたような気がします。あと、見ながら気づいたこと。①娘と見に行った「パコと魔法の絵本」もノミネートされていて嬉しかったこと②「フラガール」で甦った松雪泰子がパワーアップしていたこと③松山ケンイチが妙に力強く拍手していたこと④監督賞のコメントで授賞者が「自分の流儀」という表現を使っていて共感したこと。などでした。あと、最後にひとつ。山崎努が「他人褒められた時が一番うれしい」と言ったこと。これ、私もそうです。皆さん、遠慮無く(笑)褒めてくださいね。
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 なぜ、博士課程をめざしたか!理由はいくつかあります。ひとつは、修士課程で手に入れたものをさらに博士課程で高めてみたいと思ったからです。「アカデミックな世界でどれだけ自分が通用するのか試してみたい」ということです。あと、鹿児島でお世話になったUm先生の指導を引き続き受けたいと思ったことです。類い希な構想力・企画力・実践力を持つあのUm先生とあと3年間「何かをやってみたかった」そういうことです。夏お会いした時には「日韓の実践交流」の真っ最中でしたが、「あの中で自分も何かやりたい」そういう思いでした。しかし、願いは叶いませんでした。「力及ばず」でした。ただ、私のめざすものは「実践的研究者」です。現場において作りあげたものを研究のかたちにまとめそれを学会に問い、社会的意義あるものに高める。決して「権威主義」に陥ったわけではありません。正直言って、今のままでも「組合の中で頑張っている○○さん」でそれなりに通用するでしょうし、それでも十分「価値ある生き方」なのかも知れません。しかし、「管理」と「同調圧力」の強い教育現場にあって、「自分はそれに組みしない」と主張するためには、それだけの「実践力」「説得力」が必要です。「あの人が言うからには」と思わせるものが備わっていることが大切だと思います。そのためには、アカデミックな世界で「揉まれ、鍛えられる」ことが自分には大切であると決意しました。これまで「あなたは研究者タイプだ」と言われるのは愉快なことではありませんでした。私にとっての理想はやはり「金八先生」でした。授業はもちろん、子どもとの関わりの中で光り輝く「生涯一教諭」が目標でした。しかし、最近は「研究者タイプ」という資質を伸ばすのも悪くないなと思うようにもなりました。多少垣間見た、経験した「研究生活」も決して苦痛ではなかったからです。ただ、私のフィールドは教育現場です。現場で実践し、それを研究という形でまとめてその「意義を問う」というやりかたしかありません。それをUm先生は「実践的研究者」と呼んでいました。残り16年の教師生活。その「実践的研究者」として頑張ろうと思っています。やりたいことは山ほどあります。たとえ嘲笑されようと挫折の連続であろうと、その道を歩き続けようと思います。(言うねえ!!)
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 こないだの日曜日に私は某大学の大学院博士課程を受験してきました。そして、昨日発表があり「自信満々」だった私は見事「不合格」となりました。13人中4人の合格でした。きっと、その4人の方が上だったのでしょう。自称「勘違い男」の久々の挫折体験となりました。さすがに昨日の発表直後はガクンときて、ツッパリ兄ちゃんから「元気ないよ」と言われるくらいでした。ただ、「立ち直りは早い」のも事実で昼過ぎくらいには元気になって「狂った人生計画をどう立て直していくか」をあれこれ考えていました。とりあえずは「実践」→「まとめ」→「投稿」というサイクルを繰り返していこうと考えているところです。
 桜は散っても2月の桜はヒカン(悲観)ザクラ!いつか咲かせてみせましょう。希望に満ちた大輪の向日葵を!
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