<   2018年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧

 「西郷どん」を見ていたら、途中で西郷と大久保の父どうしが相撲をとる場面がありました。その場面をみて私は思わず声をあげました。「あ、銀ちゃんと安っさんだ!」そう、かつてキネ旬ベスト1に輝いた映画の名作「蒲田行進曲」に出ていた風間杜夫と平田満の二人だったからです。キャスティングにこういう裏技も使っていたんでしょう。かつて大久保利通をやっていた鹿賀丈史が島津斉興で西郷をやっていた西田敏行がナレーターと「翔ぶが如く」の両雄も登場しています。あの時は、斉彬が加山雄三で久光は高橋英樹でした。そう考えると、私もけっこう大河ドラマを見てますね・・・・
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 今週は、中社研の研究紀要と郷土資料集の「執筆」と「編集」作業があります。前者が2月5日、後者が2月9日を締め切りにしています。こういう風に自分に厳格に締め切りを課した方が自分自身も計画的に動くようです。紀要は、だいたい原稿は出そろいました。あとは、県教委の指導助言者とフィールドワーク担当の原稿だけです。県教委は昨年までTさんだったので、いち早く原稿が届いていたのですが、今年は人が変わったせいか遅いです。かなり前に「間に合わせます」のメールはあったのですが・・・フィールドワークは朝担当から「今日中には」とメールがあったので大丈夫でしょう。あとは体裁を整えて編集後記を書くだけです。郷土資料集は、今「在庫切れ」状態です。印刷会社にお願いして再版してもらことにしました。主だった人に修正作業をお願いしました。この方々は「義理堅い」ので大丈夫でしょう。
 これらの執筆、編集作業に加えて、ある本の執筆も続いています。いつのまにか、全体の3分の1くらいは書いているようです。送るごとに編集者のコメントが返ってきますが、「なるほど」と思うことがよくあります。
 執筆と編集、私はどちらの作業も大好きです!

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 今、昼休みにひとりの生徒を対象に「特別補充学習」を行っています。「特定の生徒に補習?」と怪訝そうに思った方もいると思います。が、これはしょうがないことなのです。実はこの生徒、10月下旬に近畿地方から転入してきた中1の生徒なのですが、むこうの学校では地理だけを進めていたのでこちらに来た時は歴史を全く教わっていなかったのです。その範囲は何と鎌倉文化まで。授業態度はいたって真面目で関西人らしいユーモアもあるその生徒と相談したところ「その範囲も勉強したい」とのことでした。それで、昼休みに15分程度ずつ見開き2ページずつ勉強することにしたというわけです。面倒になった私が「4ページずつ進めようか」と提案したところ、「今のペースがいい」という返事でした。ということで、今どこまで来たかというとまだ「飛鳥時代」!先は長いです。しかし、この生徒にとっては忘れられない思い出になるのではないでしょうか。ならないかな(笑)!!
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 高2の娘の弁当作りも2年目を終えようとしています。月の半分を妻と私とで分担して作っています。毎朝、五時に起きてせっせと準備に入るのですが起きるのは全く苦ではありません。目覚ましも必要ありません。体内時計でその頃には目が覚めます。
 嬉しいのは娘が毎日きれいに食べてくれることです。昨日は、豚肉の生姜焼き弁当でした。娘曰く「とてもおいしかった」ということです。そのひとことが大切ですよね。土曜の弁当は今のところチキンステーキの予定です。冬になって保温効果のある弁当箱に変えましたが、それも好評のようです。お父ちゃん、頑張ってますよ!!

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 中社研の仕事で最も「面倒くさい」「嫌だ」と思う仕事はいわゆる「挨拶回り」「根回し」といういかにも日本人的な作業です。正直言って私みたいな「ドライ」な人間には鬱陶しいだけです。でも、年齢を重ねるにつれて「ここは辛抱して」と頑張るようになってきたのも事実です。「頭を下げるくらいでうまくいくようならいくらでも・・・」という気持ちもあります。前任校の職朝の場である事案に関して「私が勝手に判断して迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。」と頭を下げたことがあるのですが、後から多くの職員に「大人だあ」と感激された事があります。何か不思議な感覚でした。
 今回も、「そこに挨拶に行くのなら同格の人を連れていかないと」と言われました。「同格」という表現に違和感と反発を覚えました。教育の世界にも「校長には校長が」「教育長には教育長レベルのポストの人間が」挨拶や交渉に行かなければ失礼にあたるという不文律があるということです。そんなの蹴散らしてやりたいという思いでしたが、今日校長に相談してみました。そうしたら、これまでの経験をもとにいろいろアドバイスをいただきました。「私が電話をしましょうか」と気を遣ってもくれました。私なんか、どんな先輩も後輩もみんな「一緒」という感覚です。もちろん、敬語などに気を遣う方はいますがそれは肩書きではなく「実績」や「尊敬」とかいったものです。
 まあ、世の中にはそういう「肩書き」が幅を利かす領域があるようです。先ほど言ったように蹴散らしたい思いですが、ここはじっと我慢して大会の成功につなげようと思います。

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 水曜日の1年生の6時間目の授業は、これまでの復習を白地図作業を通して行うというものでした。グループを作らせて、お互い協力しながら進めるように指示し「先生は一切教えません。グループの人たちに聞いて下さい。」と言いました。黒板にはでかい字で「協力」とだけ書きました。最初の方では2、3人の生徒が「先生、先生」と聞いてきましたが、私が教えないのをみて次第にグループ内で解決するようになっていきました。「教える」生徒も、かねてはおとなしく「自分の事だけ」という感じなのですが、今日は「聞かれたらしょうがない」という事で、図を書いたりしながら丁寧に教えていました。けっこういい学習だったと思います。まあ、とっくに習い終わっている内容だからできることなのでしょうが・・・・困ったのはかえって私の方でした。「教えたがり」「しゃべりたがり」の私にとって、「ここはこうしてね」「ここはこういう意味だよ」と言えないのはなかなかしんどいことでした。ついつい聞かれるままにすぐに教えて、こういう「学びあい」のチャンスの芽を摘んでいたのかもしれないと思いました。
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 西部邁に続いて岩波の「世界」の常連だった西原博史さんが交通事故で亡くなりました。記事によれば痛ましい事故のようです。日の丸・君が代など「内心の自由」に関する文章を数多く見た気がします。確か早稲田の総長を務めた西原春男の息子だったはずです。「日の丸・君が代」問題では、国家による強制を批判しながら教師の「権威」というものにも注文をつけていたと思います。子どもの思考・判断の自由を何より大切にしていた研究者だったのではないでしょうか。こういう亡くなり方は、さぞ無念だったことでしょう。ご冥福をお祈りします。
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 保守の言論人で知られた西部邁が川に飛び込み自殺したというニュースが飛び込みました。私にとっては「朝まで生テレビ」全盛期の保守派の論客でした。「常識を疑う」「はっきりさせる」そういうスタンスで議論をふっかけるタイプだったと思います。大学時代の英語のテキストがオルテガの「大衆への反逆」だったのですぐにこの人の翻訳を手に入れた覚えがあります。「民主主義」というタテマエにも真っ向から挑んだ人だと思います。私は、保守VS革新という図式と人間性は全く別物だと思っているので、この人はそんなに嫌いではありませんでした。狂信的な右翼とは違ってアカデミックな雰囲気を持っていました。饒舌でもありましたね。江藤淳や福田恆存のように「かっこいい保守」に入るのかもしれません。昔、中沢新一を東大に入れようとして教授会で反対されたことがニュースになったことがありました。それをUm先生に話したところ「そんなのどこでもあるあたりまえの話でニュースにすることでもない。」と一蹴されたのを覚えています。 
 西部は「発言者」という雑誌をずっと発行していました。普通の書店にも置いてありました。自殺の理由は何なんでしょうか。遺書があったということですが、その中身が知りたいような知りたくないような・・・・・・

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 頼まれていた原稿執筆がなかなか進まないので、自分でお願いして1週間ごとに「書き上げただけの原稿」を送ることにしました。そうすると、「締め切り」を気にして計画的に文章を書くようになりましたし、そのために資料収集・整理もするようになりました。書く場所も決めて書く時間もだいたい決めています。そう考えると、やっぱり自分は「サラリーマンだな」と思ってしまいます。明日、月曜日ですが大概の人は「月曜日って嫌だな」と思うと思います。月曜日から仕事が始まる人は!しかし、学校というところは決められた流れがあるので、それにしたがって授業をしたり給食指導をしたり清掃始動をしたり会議に参加していればいつのまにか時間が過ぎていきます。特に授業が詰まっている日などあっという間に「一日」が過ぎます。いわゆる「ルーティーン」ってやつですかね!そういう自分って何か寂しいですけどね!!
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 今年は中社研九州大会が鹿児島で開かれる年です。ついにその年がやってきたかという感じです。昨日は午後2時から事務局会がありました。組織作り、研究テーマ、事務手続きの内容が話し合われました。組織作りと研究テーマは私の担当です。組織作りは、協力をもらえそうな人たちをそれぞれ地理、歴史、公民の分野に分けてその人たちに誰が声をかけるかを決めていきました。次に研究テーマです。大きな方向性は昨年度の県大会で了解をもらっていましたが、サブテーマについて再検討を要求されていましたので、全体の文章を大きく書き換えて提案をしました。そして、最後は事務的内容。受付手続き、業者との関わり、料金徴収のしくみについていろいろ議論になりました。会が終わったのが午後5時。3時間ぶっ続けでありましたので結構疲れました。夜には早速、自分が声をかけることになっている15人ほどにメールで連絡をとりましたが、受諾の返事が来たのはひとりだけでした。なかなか前途多難のスタートです。
 2月17日には第1回実行委員会(決起集会)も開かれます。11月16日まで長い戦いが続きます。

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