これも直木賞受賞作品である。重松清が「家族」を描いているのに対し、江国香織は徹底して「恋愛」あるいは「男と女」を描いている。共通するのは、特別なことではなく、いかにもありそうなことを描いているということである。だから、多くの読者をとらえるのだろうと思う。特に、どれが面白かったということはなかったが、どの作品も「解決」に向かわない終わり方で、「ひっかかりながら終わる」ので読み終わった後に「さあ、どうなるのか」そして「自分だったら」という余韻を引きずることになる。夜に夜景の見える高台に登ると、無数の「光」を目にする。そして、あの光のひとつひとつに「家族」「夫婦」「恋人」「個人」の苦悩、喜び、悲しみ、あるいは倦怠、断絶、飛躍と言ったドラマが詰まっているのだと思うと不思議な感覚に襲われる。教師をしていてあらためて思うことは「家族にはそれぞれ様々な事情がある」ということである。繁華街ですれ違う人々は皆「穏やかな」あるいは「華やかな」幸福のオーラに包まれているように見える。しかし、その人々も「言いしれぬ」悩みを多く抱えている。何かターゲットを見つけると、畳みかけるようにたたきのめす「抑圧移譲」の心情にはそういうことが背景になっている。そんなひとつひとつのささやなかな出来事を描写し、光を当てるのがブンガクなんだろうと思う。ただ、その光には「温かい」ものもあれば「冷たい」ものもある。そのブンガクに人間の「業」を認めて書棚の1冊に手を伸ばす。その1人に自分も入っている。次は何を、いや誰を読もうかな!?
 (今日はちょっとボーッとしています。)
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 今日の夜、勤務校の同僚から電話がありました。夏休みの勤務交渉についての相談でしたが、それ以外のさまざまな「学校のかかえる課題」を聞いていたら、いつのまにか1時間以上話をしていました。こんな長電話、4,5年ぶりです。しかし、内容はどれも落ち込むものばかり。「ここ数年の中で最悪の状態」とのこと。生徒も職員も保護者も大変だそうです。結構、ここ数年も大変だったのに・・・・気持ちは一気にブルーいやマリアナ海溝のどす黒い闇のような気持ちになりました。久しぶりの「シャバ」は波瀾万丈のようです。「早く帰ってきて」とその同僚は言ってくれましたが、私は正直言って「帰りたくありません。」ああ、でも・・・少しずつ気持ちを「仕事モード」に切り替えていきたいと思います。
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 今日は、娘のピアノの発表会でした。週に1回、月5千円のレッスン料で近くの方に教わっています。先月くらいまでは、やる気もないし練習もしないので、やめさせた方がいいかなとさえ思っていましたが、先週から私も妻も意識して毎日練習につきあったところ、結構ましになってきたような気がします。曲目は、何と「メリーさんの羊」!もう1曲はさらに簡単な「ライオンほえる」!
 ほめにほめ、おだてにおだてて今日まで来ましたので、本番も結構落ち着いてミレドレミミミ・・とゆったりとしたリズムで弾いてくれました。が、曲も終盤にさしかかった頃「チャララララー」と携帯の音がホールに鳴り響きました。ビデオカメラを抱えた私の左前方の中年女性の携帯がなりました。「コノヤロー」と思いましたが、その後の光景にはさらに驚きました。何とその女性はその携帯を手にとり「はいもしもし」としゃべり始めるではないですか。「オンドリャー」とは言いませんでしたが、相当がっかりしました。「娘の演奏中だった」という悔しさよりも、「携帯で話し続けた」という事実に衝撃を覚えました。
 その後、発表会を終え「ごほうび」ということで、年に1回食事をしに行くS観光ホテルのレストランへと向かいました。妻の決断です。食わせてもらっている私にそんな事は言えません。そのレストランに到着はしましたが、開店まで30分くらいあったため「暇つぶし」にホテルを散策しました。ホテルの中は結婚披露宴に出席する着飾った紳士・淑女や経済新聞を読んでいるビジネスマンでいっぱいでした。そして、ホテルマンもさすがに礼儀正しく、VIPの気分にさせてもらいました。ところが、またしても携帯にその気分を壊されました。開店近しとエレベーターに近づいたところ、廊下にエレベーターガールがいて紳士・淑女に恭しく頭を下げていました。そこへ私たち家族がエレベーターに近づいたこと「チャラララー」とまた携帯の音。そのエレベーターガールはポケットから携帯電話を取り出し、しゃべり始めました。業務用ではなく、友人か彼氏との会話であることは間違い在りませんでした。そのエレベーターガールは視線だけは私たちに向けていましたが、扉が閉まるまでずっと「できないってばー」としゃべり続けていました。妻もカチンときたようで「私たちがスーツ姿だったらどうだったろうね。多分、あんなことしないよ。」と言っていました。まあ、そんな気がしました。
 みなさんは携帯で不愉快な思いをしたことはありませんか?

 ことわっておきますが、それでもレストランの食事はおいしかったです。「ホルト」のディナービュッフェはお薦めです。大人1人2700円ですが、たらふく食えました。
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 家事の中で私が唯一好きなのは「料理をつくること」。ちなみに今夜のメニューは、かんぱち・さといも・かぼちゃの煮付け、ベーコン・バター・ニンニクの芽のバター炒め、卵焼き、鶏刺しというものでした。煮付けが好評でした。まあ、自分が食う物を作るわけなので「気合い」が入るのも当然です。が、最近この夕食作りが苦痛になってきました。理由は「娘が手伝う」からです。「親子で料理なんて微笑ましい」と言われればそうなのですが、うちの娘は「自分のできることを手伝う」というよりは全部やろうとするのです。私としては、包丁を握ったり、油ものをしたりする時は「遊んでいていいよ」と言うのですが、娘は「お父さんは意地悪だ。せっかく手伝うと言っているのに何もさせてくれない。」と大泣きしてしまいます。今日もそのパターンとなり、しょうがなく予定のメニューにはなかった卵焼きのために「卵をとかせる」ことでようやく機嫌を直しました。しかし、今日はそこからが大変でした。その卵を床の上にひっくり返してしまったのです。しかも2個分全部。当然、娘は泣きます。「卵を落とした。何もできない。なわとびも、ピアノも、プールもお料理も何もできない・・・」と自虐的に泣き叫びます。おまけにこぼしたものの片づけはせずに、新しい卵を冷蔵庫から取り出すことに必死です。娘をなだめながら、床をふいていたところ、今度は天井からビーチボールが飛んできてキッチンの上の皿やボールが次々に床に落ちてきました。これは、息子の仕業で、「愛嬌」でやったようですが、私にとっては「踏んだりけったり」。2歳の息子に向かって「何やってるのよ!」と怒りましたが、何食わぬ顔で「ハッヒフヘホー」と駆けていきました。そこからようやく状況を立て直し、何とか上記のメニューを仕上げました。すると、娘がさっきの失敗を取り返そうとしたのか、いつもは片づけしないのにまな板を水で洗い出しました。「これは殊勝な」と喜んだのもつかの間、ちょっと離れた間に床が「水びたし」。ああ!!
 おかげで、妻が帰ってくるまでずっと「閉口」状態でした。まあ、今日はひどかったですが、最近いつもこんな風です。一人で作ると20分くらいで出来るものが1時間くらいかかり、3品で終わるはずが5品くらい作ることが多くなっています。まあ、「育児休業」中なのでしようがないのですが・・・・・このごろ午後4時くらいになると緊張してくる自分がいます。
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 重松清を3冊読んでから「きよしこ」でちょっと退屈したので、江国香織を読んでいる。「小説は読まない」などと言っておきながらこのザマである。職場復帰を前に現実逃避したくなったのか知れない。このごろ書店に行くと「新潮文庫100冊」が並べてある。中高生の夏休みに備えてのものであるが、このコーナーの前に立つと何か後ろめたい気持ちがする。理由は簡単である。「中高生の時期に読むと言われるこの100冊をほとんど読んでいない」からである。文学部に在籍したという過去も「後ろめたさ」を倍加している。かといって「今さら」・・・と結局読まないのである。「青春期の読書」でなく「生涯における読書」くらいにタイトルを変えてくれればちょっとは手に取りやすくなるのだが・・・・
 本を読まなかった高校時代、中3の現代国語の教師が授業中推薦図書を示して、希望者に購入させて読ませていたことがある。私は、劣等生ゆえに気がひけたが、5,6名しかいなかった希望者に手を挙げた。最初の本は室生犀星「我が愛する詩人の伝記」であった。授業に出てきた「故郷は遠きにありて思うもの・・・」という「小景異情」が好きだったこともあるが、とにかくブンガクなるものに触れてみたいという気持ちからだった。その後の推薦図書は島崎藤村「破戒」、吉田満「戦艦大和の最期」と続いた。あとは覚えていないので、この3冊が面白かったのだろうと思う。特に「破戒」は印象に残っている。「被差別部落ってなんだ」「どうしてアメリカに逃げるんだ」そう思いながら読んだ。それからちょっとずつ小説や詩を読むようになり、「活字」が好きになったような気がする。そう思えば、17,18の頃の読書ってやっぱり貴重なものかも知れないなと思う。その高校時代、成績優秀な同級生が太宰治の小説を読んで、長野の山奥に家出したという事件が起こった。寮生活に嫌気がさしたということであった。数ヶ月、いっしょに登下校をともにしたが、高2で退学して地元の高校に入学し直した。その行動力に感心した覚えがある。そして、私は友人にこうつぶやいたのを覚えている。「成績優秀だからかっこいいんだよな。」その後2年間、私ははいつくばりながらようやく「地獄の高校生活」を抜け出した。いい「肥やし」にはなった。そういえば「彼」は太宰の何を読んで長野に行ったんだろう!
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 「イラク戦争は間違っている」と派兵を拒否した日系ハワイ出身の中尉が軍法会議で「予想以上の重罪」にされそうです。派兵拒否だけでなく、「イラク戦争の是非」をめぐる発言が「上官に対する侮辱」「大統領に対する侮辱」「不作法行為」に問われるということです。昨夜の「筑紫哲哉のNEWS23」にも出ていましたが、特に退役軍人の間では「軍人は戦場に行って当たり前」の声が強いようでかなり風当たりは強いようです。ただ、支援活動も活発で、アメリカの「幅の広さ」を感じました。母親の「息子を尊敬しています。」のコメントが印象に残りました。
 以下は、メールで流れてきた文章で英文を日本語に訳したものです。

7月5日、米国陸軍中尉エレン・K・ワタダ中尉は、軍事司法統一法典の3カ条、
すなわち、移動不参加(第87条)、上官に対する侮辱2件(第88条)-特に G. W.
ブッシュ大統領に対する、そして、将校・紳士にあるまじき不作法行為3件(第
133条)によって、正式に起訴された。この6件の起訴全てに高等軍法会議で有
罪となれば、ワタダ中尉は7年以上の陸軍刑務所入りを言い渡されることも有
り得る。

ワタダ中尉の弁護士エリック・ザイツ氏は今朝、「移動不参加罪は予想してい
たが、侮辱罪、無作法罪には虚を突かれた感じで、ワタダ中尉の言辞の内容の
再検討を必要とし、米国憲法修正第1項(訳者註:言論の自由条項)の重要問題
を提起するものだ。我われは軍がこれらの問題を法廷の場で議論する機会を与
えてくれたことに、満足している」と語った。

これまでの第88条に関わる訴追は、ほとんどが南北戦争と第一次世界大戦時の
ものであり、知られている直近の訴追は1965年だった(ハウ対米国)。ハウ小尉
はベトナム戦争に反対していた。(訳者註:ヘンリー・ハウ(Henry Howe)少尉
が米軍基地へのデモに私服でプラカードを掲げて参加し、軍法会議に掛けられ
重労働2年に処せられた。おだやかな政治的意思表示にたいしては罰が厳しす
ぎるというのが、大方の評価だった)

ワタダ中尉が6月22日にイラクへの移動を拒否する前から、軍は中尉の発言に
調査を絞っていた。実際の起訴によって、軍の主要な意図がワタダ中尉の異議
を黙らせることにあることが確認された。

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 大雨の中、近所の海岸沿いを息子とドライブしました。海は大荒れでしたが、湾岸の道路は車で埋め尽くされていました。そう「海が大荒れ」はサーファーたちにとっては「天の恵み」なのです。ちょっとした広場に車を停めて、息子はお茶、私はコーヒーで「ティータイム」をとっていたところ、周囲はいつのまにかサーファーでいっぱい。そこで気づいたこと。「けっこう、おっさんが多い。」今まで遠くから見ていたので、みんなキムタクや工藤静香みたいな若者のように見えたのですが、近くで見ると40歳くらいの人が多いのです。体型も意外にパパイヤ鈴木みたいな人がいました。共通しているのは、みんな「嬉しそうな」顔をしていること。荒れた海を見て「よだれをたらしそう」なほど喜んでいるように見えました。今日は木曜日。波穏やかな日は「だーれもいない」のを考えると、天候を察して「仕事を休んだ」のだろうと思われます。こういう風にのめりこめるものを持っている人はうらやましい気がする。オヤジだろうがデブだろうが関係ない。私にもそういうものが欲しいな!
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 今年度の職員録が届きました。鹿児島の教職員の所在がわかる貴重な本ですが、個人情報保護のため電話番号が空白になっている人がだいぶ増えましたね。これを見ると、知り合いの所在がだいたいつかめます。「遠くに行った人」「近くにいる人」「偉くなった人」「行政に行った人」「組合の役員になった人」「恩師」「教え子」「同窓生」「同期生」etc・・・私が大学院に通った時の同窓生のMさんが純心女子校に就職していました。心配していましたが、良かった良かった。あともう一人のYさんなんですが、昨年から職員録に掲載されていないんですよね。どうしたのでしょうか。大学院を出てすぐに教職を退くなんてまず考えられないような気がするのですが・・・
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 埼玉で次のようなことがありました。

埼玉新聞 2006.6.28

上田知事 「従軍慰安婦いなかった」
 資料館記述、検討の意向

 上田清司知事は、27日、県立平和資料館(東松山市)の昭和史年表に
ある従軍慰安婦の記述について「古今東西、慰安婦はいなかった。こう
いう間違った記述は修正しなければならない」と述べた。県議会一般質問で
小島信昭議員(自民、岩槻区)の質問に答えた。同館は学識経験者ら14人
で構成する平和資料館運営協議会などで対応を検討する意向という。
 県によると、年表は同館通路に常設展示されている。「ヨーロッパ・ アメリカ」
「アジア・太平洋」「日本」「埼玉」の4地区に分け、太平洋戦争を中 心とした昭
和を主な対象に出来事を列記。記述は1991年の項で、「従軍慰安婦 問題
など日本の戦争責任論議多発」と紹介されている。
 小島議員は「戦後復興から現代までの、特に世界の平和に貢献してき
たはずの日本の紹介がない」とし、「生涯学習として学ぶ施設として広く利
用されている施設が偏った内容でいいのか」などとただした。
 上田知事は「自虐的な感情を抱かせず、真の真実、真の史実を学べる
ようにするのが大事」と答弁。同館の年表に触れ「兵のいるところに集まって
きたり、兵を追っ掛けて民間の業者が連れていったりするものであり、軍そのも
のが連れていったりするわけは絶対ない」と述べた。
 また「自虐史観になっていないか、きちっと検討しなければならな い」とし、
「協議会で見直しをしてもらい、県議会でもチェックしてほしい」と話 した。

朝日新聞 2006.6.28
「従軍慰安婦いない」
県議会で知事答弁 政府公式見解と矛盾

 上田清司知事は27日の県議会の一般質問で「慰安婦はいても、従軍
慰安婦はいなかった」と発言した。従軍慰安婦問題については93年に当時の
河野洋平官房長官が旧日本軍の関与を認める談話を出しており、「政府の公式見
解を否定するもの」と発言の撤回を求める動きも出ている。
 上田知事は、県平和資料館(東松山市)に展示されている年表の91
年の欄に「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と書いてあることを挙
げ、「古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない。民間の業者が連れて
行ったりするのであって、軍そのものが連れて行ったりするわけは絶対ない」と
発言した。
 さらに「自虐的な感情を抱かせることなく、真実、日本の正確な立場 を学べる
ようにするのが大事」「こうした間違った記述は修正しなければならな
い」と話し、有識者で作る同資料館の運営協議会に展示の見直しを要請した。
 議場から「そうだ」「間違っている」と賛意と反発の声が上がり、一 時騒然とした。
従軍慰安婦を巡っては93年、政府が公文書や関係者を調査し、「慰安
所は当時の軍当局の要請により設営されたもので、旧日本軍が直接関与した」
「業者が募集した場合も本人の意思に反して集められた事例が多い」と日本軍の関
与を認めている。
 議会後、共産党県議団は「知事の答弁は政府の公式見解を否定するも
の」との談話を発表し、発言の撤回を求めている。

………………………………………………………………………………………

外務省HP  いわゆる従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策 
 平成17年2月

 日本政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、平成3年
(1991年)12月以降、全力を挙げて調査を行い、平成4年(1992年)7月、
平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、資料を公表し、内閣官房において閲覧に供して いる。
また、平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した 河野洋平官房長官談話
において、この問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳
を深く傷つけた問題であるとして、心からのお詫びと反省の気持ちを表明し、
以後、日本政府は機会あるごとに元慰安婦の方々に対するお詫びと反省の気持ちを
表明している。


 議員に加えて知事たちも「歴史の修正」にやっきになっているのがわかります。
この知事、石原慎太郎とも仲良しのようですので言いそうなことではあります。
 教科書が自主規制し、資料館などの自主規制も始まれば、子どもたちはどこで
「歴史」に向き合えばいいのでしょうか。
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 昨日は「夏期休業中の勤務」についての教育長交渉があり、妻が執行委員として参加してきました。前日には、私が教育長になって「模擬交渉」もやって臨みました。聞いたところでは、教育長は「のらりくらり」とかわしているようで、原則論をはみ出さず「ちょんと指導をしている」「そんな事実は知らない」「校長の考えでやることで私は何も言っていない」に終始したようでした。「交渉では誠意を見せ、裏指導で崩していく」という最近多いやりかたなのだろうと思いました。あと、校長、教頭たちの「自主規制」も大きいような気もします。これからの分会交渉が勝負だろうと思います。しかし、気の毒に思ったのは昨晩、妻がやっていた電話連絡でした。学校の数にしてはえらく早い終了だと思ったので理由を聞いたところ「1校は、交渉前にすませたから連絡はいらないと言われ、もう1校は随分前に組合の連絡は一切要らないと言われた。」とのこと。どちらも分会長の言葉ですが、いったい何の組合なんだろう、組織的に動かないと効果はないのに・・と思ってしまいました。元気をなくしてしまいますね。
 とにかく、これまで2回の教育長交渉に妻は張り切って出かけていき、それなりに物を言ってきているようです。そして、今回も前と同じ感想を言っていました。「今まで、自分がいかに人任せの活動だったかがわかる。」誰かの苦労の上に今の自分があることを再確認できたようです。Kさんたちの苦労が身にしみたようです。
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